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幸運は巡る!おかねの女神💖さきこさん〜税理士さきこさんの万華鏡的生き方のススメ〜第3話 さきこさんトラウマから回復~自分の人生を生きる!


#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門#キラキラ終活#ハートのパワー

第3話 さきこさんトラウマから回復~自分の人生を生きる!

・税理士への長い道のりー天の声「受けるのをやめたら終わるよ」

30代半ばとなったさきこさんは、再び通信で学び始め、昼間は税理士事務所でアルバイトをしながら経験を積んだ。家族のサポートも受けながら、地道に勉強を続け、ついに40歳で税理士試験に合格しました。


さきこさんは、法律事務所を退職したとき、長男を妊娠していた。出産、子育てをしながらの勉強、長く辛い日々でした。宅急便や専門学校で教えていたり、家庭教師をしていたりしながら、さきこさん自身の受験勉強もしていました。

育児、仕事、勉強の両立、二度とできないくらい勉強した。

途中、合格できない数年があり、全5科目のうち、3科目は合格していましたが、残り2科目がなかな合格できず、その後の長い停滞期、さきこさんは受験をやめようと思っていた。


その時に、「受けるのをやめたら終わるよ」との天の声がありました。それは、さきこさんに向かって話していてのではない言葉でした。

しかし、私はそれを聞いて、やっぱり受験しようと思い直し、その後続けて、2科目を合格することができました。
『継続は力なり』成功の秘訣は続けることを実感しました。


「国家資格は人生を転換するパワーがある」と、さきこさんは振り返る。育児や仕事の合間を縫って勉強に励み、試験に合格するという経験を通じて、さきこさんは自己の限界を超え、強い意志と忍耐力を身につけました。


税理士として新たなスタートを切ったさきこさんは、これまでの努力と経験が自分を支えていることを実感しながら、未来に向けて歩み続けました。


合格は平成10年、長男は昭和63年生まれ、次男は平成2年生まれ。

さらにさきこさんの次男は喘息の持病がありました。2才のときまで一年で殆ど背丈も伸びず、体重も増えませんでした。咳き込むと食べたものを吐き出してしまう。咳の連続でエネルギーを消費する。そんなことの繰り返しでした。そんな中、よくやれたなぁと思っている。

これらの日々は、振り返るとまるで夢のように過ぎ去っていった。無我夢中だった。

どんなに困難な状況でも、諦めずに努力を続けることの大切さを実感しました。そして、その努力の結果、税理士の資格を手に入れ、自分の夢を叶えることができ、人生を大きく転換できました。

・私が税理士!そう、私が税理士さきこ先生です!

さきこさんが税理士になったばかりの頃、女性税理士の数は非常に少なく、社会的な認知度も低かったため、様々な困難に直面しました。

例えば、銀行に口座を作りに行った際には、税理士としての彼女自身の立場よりも、あなたは事務員さんですねという対応だったり、銀行員からは、さきこさんの夫が税理士であるという認識を持たれ、さきこさん自身が税理士であることが認識されなかったり・・・。

また、税理士としてセミナーや表彰式に参加した際にも、他の男性税理士が「先生」と敬称を付けて呼ばれる一方で、さきこさんはぞんざいに「あっ、あなたもね」と呼ばれることがありました。

さらに、当時の税理士会の会合では、女性税理士が発言する機会が制限されていたこともあったとのこと。女性税理士が少数派であったため、会合での発言が認められず、意見を述べることが難しかった。

このような状況は、女性税理士が専門職としての立場を確立し、社会的な認知を得るために、多くの努力と忍耐が必要であった。さきこさんが直面した困難は、女性の職業進出における歴史的な背景と深く関連している。さきこさんは、諦めず、前に進んだ。とにかく、何でも引き受けて、次への道を作ってきた。

-女性の形容詞、若くて、かわいい?!

さきこさんは、若くてかわいい女性のみが女性なのだという対応が残念だと思っている。女性が発言する際には、男性には求められない謙虚さや可愛げなどというものが必要とされる。
さきこさんはシニアマダム、若くて、かわいいとは程遠い。
仕事の上でも、恋するときにも、
若くないしなぁ
かわいくないしなぁ
あー、若返りたいなぁ
もっとかわいくなりたいなぁ
と思ってしまう自分の思いに抗いながら
シニアマダムとして胸をはって、活き活きと生きていきたい。


・不思議な年、人生を転換できた

税理士になって、ある同業者の会に入会した。そこで出会った座禅の世界、臨済宗の寺で行われた。ご住職そのものが大変やんちゃな人生を生きていた人であった。それこそ、「飲む・打つ・買う」の三拍子で、真っ当ではない道を生きていた。その生き方で幸せな世界に向かう訳はなく、人生のどん底を見た。
そこで、出会ったのが、「禅」の世界であった。

さきこさんの心は、数々のトラウマや出来事により石のように固まっていました。この出会いが、さきこさんの心をたたき割ってくれた。
ここで大きな人生の転機が訪れた。

離婚すること、自分の人生を生きる!と決めた。
そのとき、不思議なことが起こった。

「あっ、姉が笑っている」
そう感じた。
姉が亡くなって、四半世紀が過ぎていた。
姉は、私が自分の人生を生きることを決意したことを
喜んでくれているのだと。
姉が笑っていた。

先月亡くなった、ピアニストのフジコヘミングさんが虐待を受けた子どもたちの施設を訪ねた際に、自立には教育が重要とおっしゃっていました。
本当にそう思う。
教育が人々の生活や未来に与える影響は計り知れない。特に虐待を受けた子供たちの場合、適切な教育や支援が彼らの人生を大きく変えることができる。

教育は、知識や技術を身につけるだけでなく、自己肯定感や社会的なつながりを築くための基盤となる。虐待や苦難を経験した子どもたちにとって、安心できる環境での教育は、過去のトラウマを克服し、健全な人間関係を築く手助けとなる。

さらには、教育は人々に新たな可能性を開かせ、自己実現を促す。その才能や能力を伸ばし、自分の夢や目標に向かって進む力を与える。教育を通じて、彼らは自己価値を再確認し、自信を取り戻すことができる。

さきこさん自身もそうだった。さきこさんが自分の人生を取り戻せたのは、まさに教育の力であったと思う。改めて教育をサポートしてくれた父に感謝したい。

-元夫のこと

元夫はとてもいい人であった。
さきこさんと元夫の間に不足していたものは、会話と自立であったと思う。元夫は、親切で、信頼できる人であった。

相互のニーズの不一致だったこと、 二人の価値観や人生の目標が異なっていたために、関係がうまくいかなかったと思う。
元夫は婿養子であったため、さきこさんの両親に頼りきっていた。そのため、さきこさんと元夫とは、お互いが家族として自立する機会を逃してしまった。

元夫とは自分の夢を語り合ったことがありません。女性や子どもたちの未来を創造していく。こんな話もしたことがない。ただ自分たちの子どものことだけを話していた。社会の動きやあり方にあまり関心のない人だった。そう、自分の子どもの未来さえ興味のない人だったと思う。

さきこさんは、女性や子どもたちの未来について語り合うことを望んでいた。しかし、元夫は社会問題や子どもたちの未来に関心がなかった。このような価値観の違いは、深いつながりを築く上で大きな障壁となった。


・離婚に至る物語-夢を語らない二人夢を語らない二人

プロローグ

さきこさんは、地方の小さな町で生まれ育ち、常に大きな夢を抱いていた。彼女は女性や子どもたちの未来を明るくするために、コミュニティプロジェクトに携わりたいと思っていた。しかし、彼女の夫は、自分のことにしか関心がなく、社会問題には全く興味がなかった。

・ 出会いと結婚

二人はある合コンで出会い、友人としての付き合いが始まった。その後、さきこさんに大きなアクシデントが起きた。たった一人の姉を亡くし、打ちひしがれていた。そんなときに、優しく対応してくれた。さきこさんはひとりでは生きていくことが難しかった。

彼は、次男であったため、さきこさんの両親と養子縁組をする形で結婚した。二人は子どもを授かった。さきこさんの実家で、両親と同居した。最初のうちは幸せだったが、次第にさきこさんは夫との会話に物足りなさを感じ始めた。また、さきこさんの両親ともしっくりいっていなかった。

・ すれ違いの日々

さきこさんは社会活動に情熱を注ぎたかった。特に姉の自死により自殺防止の啓発活動にも力を入れたいと考えてうたが、夫はその話題に興味を示さなかった。彼らの共通の会話はもっぱら子どものことだけだった。さきこさんは、もっと深い話をしたいと感じながらも、その願いを夫に伝えられずにいた。一方、夫はさきこさんの不満に気付かず、自分のやり方が最善だと信じていた。

・内なる葛藤

さきこさんは自分の夢を諦めるべきか悩んでいた。夫と一緒にいることで安定を感じる一方で、自分の内なる声がますます強くなっていった。彼女の叔母は、家族がいて幸せだからこれ以上何を望むの?とさきこさんの生き方を否定していた。しかし、さきこさんは社会に対して何かを成し遂げたいという思いを捨てきれなかった。さきこさんは若くして亡くなった姉のことを、命の意味、生きるということ、人生でなすべきとこがあるを考えていた。そして、姉の分も生きたいと思っていた。

・変化の兆し

ある日、さきこさんは地元のコミュニティセンターで開かれた女性支援プロジェクトに参加することを決心した。そこで、同じような夢を持つ仲間たちと出会い、彼らと語り合うことで、自分のビジョンが再び明確になっていった。さきこさんは家に戻り、夫に自分の思いを初めて真剣に伝えた。

・ 試練と決断

夫は最初、さきこさんの突然の変化に戸惑いを感じたが、彼女の情熱に触れ、自分も何かを変えなければならないと感じ始めた。彼は初めて、さきこさんの夢や考えを理解しようと努めたが、その過程で、二人の価値観や人生の目標が根本的に異なることに気づいた。さきこさんは、自分の夢を追求するために夫との関係を見直さなければならないと痛感した。

・ 離婚と新たな始まり

二人は、話し合いの末に離婚を決意した。さきこさんは、自分の夢を追い続けることが自身の幸せにつながると確信し、亡くなった姉のためでもあると決心し、新しい人生を歩み始めた。この頃には、税理士という国家資格夫もとり、独立開業していた。これにより、さきこさんの世界はますます広がった。さらに、自分にとっての幸せを再定義し、子どもたちの未来を見つめ直すことを決意した。

エピローグ

さきこさんは、税理士として活躍する傍ら、女性や子どもの支援活動にも関わっていた。元夫もようやく新しい生活を始めた。二人は、それぞれの道を歩むことで、より充実した人生を送ることができた。彼らの離婚は、新たな始まりを意味し、互いにとって最良の選択だった。さきこさんは子たちとともに生きる決意をしていた。


・2020年の初日の出はカンボジア


さきこさんは、2019年の年末から2020年の年明けまで、ワールドシアタープロジェクト(World Theater Project, WTP)https://worldtheater-pj.net/のスタディツアーでカンボジアに行きました。
このスタディツアーは、参加者が現地の文化や生活を直接体験しながら、プロジェクトの活動をサポートする貴重な機会を提供している。


このNPO法人は、2012年に設立され、アジア等の子どもたちに映画体験を提供する活動を行っている。このプロジェクトは、子どもたちが映画を通じて夢を描き、自分の人生を切り拓ける世界を作ることを目的としている​。

映画を見たことのない子どもたちに映画を届けており、文字の読めない子どもたちへの配慮から現地の言語の吹き替え版を制作し、母国語での映画鑑賞を可能にしている​。また、映画上映後にはワークショップを行い、子どもたちの創造性や感受性を育む活動も実施している。​

このプロジェクトは、SDGs(持続可能な開発目標)の「4:質の高い教育をみんなに」および「10:人や国の不平等をなくそう」に貢献するものとして評価されており、現地で活動するパートナーシップや他の国際協力団体との連携を通じて、映画を通じた教育の普及に努めている​​。


ノームービー、ノーライフ

「ノームービー、ノーライフ(No Movie, No Life)」は、ワールドシアタープロジェクトの理念を象徴する言葉で、映画が持つ力を最大限に活かし、子どもたちに夢や希望、視野の広がりを提供することを目指している。この言葉は、映画が単なる娯楽ではなく、教育や文化の重要な一部であり、子どもたちの人生に大きな影響を与えるという信念に基づいている。


さきこさんは、カンボジアの学校やコミュニティを訪れ、映画上映会を手伝うだけでなく、子どもたちと交流し、教育や文化交流を通じて現地の人々との絆を深めました。現地の人の家庭を観ることもできました。学校に通えていない子どもの中には、裸足の子もいました。

さきこさんは、考えました。ここにいる裸足の子どもたちに靴を与えるだけで問題は解決するのか?
いや、解決しない。子どもたちは、一瞬は靴を履くと思う。けれど、裸足の方が楽だから、裸足に戻ってしまうと思う。
靴を履くことで、見える世界が変わること、自分の人生を転換できることを伝えることが大切だと思う。
それは、教育により実現できると思う。
教育の基本、「行って、見て、聞いて、体験して、体感する」ことが重要だと思う。

2020年元旦アンコールワットで初日の出を見ました。

早朝に移動し、初日の出を期待して待っていた。
今日は、もう無理かもしれないと退却しようとしていたときに
日が昇りました。
その神々しいこと、素晴らしい体験でした。
きっといい年になる!と大きな希望と期待で一杯になりました。
カンボジアの歴史や文化への理解も深まり、
とても充実した旅を終えました。​

その後、さきこさんを待っていたのは、コロナ禍パンデミックでした。
そして、そのパンデミックはさきこさんの人生を思わぬ方向に導いていくのでした。
 
 

・生きる意味、IKIGAIを語る
 
この言葉は盆栽や歌舞伎のように、日本語で世界に広がっている。
「IKIGAI(生き甲斐)」は、日本語で「生きる意味」や「生きる目的」を表す言葉で、個人が人生において価値を見出し、充実感を感じるための要素を指します。
最近では、この概念が国際的に注目され、多くの人々が「IKIGAI」を自己啓発やビジネスの文脈で取り入れるようになっている。
 

「IKIGAI」は、一般的に以下の四つの要素が重なる部分で見つかるとされている。
 
*好きなこと(What you love)
あなたが情熱を持っていること、夢中になれること。
*得意なこと(What you are good at)
あなたがスキルや才能を持っていること、他の人よりも上手にできること。
*社会が求めること(What the world needs)
社会やコミュニティが必要としていること、他者に貢献できること。
*報酬を得られること(What you can be paid for)
あなたがその活動を通じて収入を得ることができること。
これらの要素が交わるところに、
あなたの「IKIGAI」が存在すると言われている。
 

「IKIGAI」を見つけることには多くの利点がある。

*人生の目的
明確な目的や目標を持つことで、毎日の行動に意味を見出し、モチベーションを維持できる。

*幸福感の向上
自分の「IKIGAI」に従って生きることで、深い充実感や幸福感を感じることができる。

*ストレスの軽減
 自分が好きで得意なことをしながら生きることで、ストレスを軽減し、より健康的なライフスタイルを送ることができる。

*社会貢献
 社会が求めることに貢献することで、他者との繋がりや社会的な承認を得ることができる。

*経済的な安定
 自分の情熱や才能を活かしつつ、収入を得ることで、経済的な安定を得ることができる。


「IKIGAI」は、個人の充実感や幸福感を高めるだけでなく、ビジネスの成功にも寄与する重要な概念となる。この日本語の言葉が世界中で広がり、多くの人々が自己の「IKIGAI」を見つける手助けとなっていることは、非常に嬉しい。
 『Ikigai: The Japanese secret to a long and happy life』 Héctor García, Francesc Miralles 2016

しかし、さきこさんはIKIGAIを持って生きていたのだろうか?


-「ありがとうの魔法」・・・ごめんなさいをありがとうに転換
 

さきこさんは、IKIGAIを感じて生きてはいなかった。
幼い頃に経験したトラウマからいつも「ごめんなさい」と謝る癖がついている。
人と衝突することを避けるために、何かあるたびに自分を責めて謝り、自分が遠慮することでその場を収めようとしてきた。
しかし、この癖が自分自身の成長を妨げ、他人との本当のコミュニケーションを阻害していると思った。
 
ある出会いから、「ごめんなさい」を「ありがとう」に変えることができるのだろうか?
まだ、その実践中である。
 

-幼い頃のさきこさんとさきこさんの母


さきこさんの両親は不仲で喧嘩が絶えなかった。争いを修復する手段は、父に「ごめんなさい」と謝ること。それしかなかった。
たとえ父に非がある場合でも、家族がごめんなさいと言わない限りは、収まることはなかった。
 
さきこさんは、姉を失ってからは、ただ命があり生きているだけの生活でした。
自分のために生きているのではなく、両親のために生きていました。
二人姉妹で、姉がいつも守ってくれていたので、その人がいなくなったことはとても辛いことでした。

姉を失ったことが、さきこさん人生に大きな影響を与えた。姉がいなくなったことで、生活の中で感じる孤独や喪失感。
そして姉に対する守られていた感覚の喪失は、深い傷を残した。
自分の存在や意味についての疑問や不安が生じ、ただ生きることが困難になった。


さきこさんは自分の人生を取り戻すのに、四半世紀の月日が必要でした。
親のために結婚しました。
一人では立っていられなかったこともありますが。
なので、結婚生活の中で幸せを感じたことはありませんでした。
結婚式もしたくなかったけれど、白無垢や打掛姿を見せてあげなくてはという使命のような感覚で行いました。

大切な人が死んでいく経験をしたくなかったので、子どもも産みたくありませんでした。元夫との間に愛があったというより、支えてほしかったが本心で、両親との盾になってほしかった。

両親も周囲の人も子どもの件は何もいいませんでしたが、結婚5年が経過し、孫の顔を見せてあげなくてはという思いで子どもを産みました。
一人では、何かあったら困るからもう一人・・・。
自分のために生きていなかった。

傍から見たら、結婚して、子どももいて、マイホームもあって、何不自由ない暮らしに見えたと思う。親のために結婚し、子供を産むことで自身の役割や責任を果たそうとしていた。

これは他者への愛や配慮から来るもので、自己の欠落や空虚感を埋めようとしていた。結婚や子育てが自分が選んだ自分のための生き方ではなく、周囲の期待や社会の役割を演じることによるものであった。

子供を持つことで、孤独や喪失感からの一時的な逃避を試みた。しかし、自己の欠落を埋めることはできず、今でも自分自身の存在や生き方に対する疑問を抱えている。深い内面の葛藤や孤独があり、自分自身のために生きることを見つけたいとこれからも自己の内面と向き合い、新たな道を模索していく。



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