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鳴門ドイツ館で、新しい歴史と感動の発見!

この週末、仕事の関係で
ひさしぶりに徳島へ行きました。

徳島といえば大塚美術館、鳴門の渦潮も有名ですが、

今回、心揺さぶられる歴史があることを
新たに発見してきました!

鳴門ドイツ館
皆さんは行かれたことありますか?
四国にうん十年住んでおりますが、
今回、始めて行きました(^^;

鳴門ドイツ館ってどんなところ?


鳴門ドイツ館は、第一次世界大戦中にドイツ人捕虜が収容されていた板東俘虜収容所の歴史を伝える施設です。

それは、1917年から1920年までの3年間、ドイツ兵と坂東の人々とのあたたかい交流から始まりました。

第一次世界大戦が始まると日本も参戦し、ドイツの租借地だった中国の山東半島にある青島を攻撃しました。敗れたドイツ兵5000人は徳島に集められ、約3年間坂東捕虜収容所で過ごすのです。

地域の人々はドイツの進んだ文化を技術を取入れようと製菓、西洋野菜栽培、建築、音楽、スポーツを「ドイツさん」と呼びながら、ドイツ兵から指導を受けたのです。彼らとの間で日常な交歓風景が当たり前のようにみられるようになったのです。

収容所での捕虜たちは活動は実に多彩でした!複数のオーケストラや楽団、合唱団を作り、定期的にコンサート開きました。

ベートーヴェンの第九が日本で初めて演奏されたのも、この収容所でした。

その後、1972年に旧ドイツ館が建設され、1974年には鳴門市とドイツ・リューネブルク市との間で姉妹都市同盟が結ばれ、れ以降、両市の国際交流は続き、1993年には新しいドイツ館が完成。

という感じです。

なぜ、鳴門ドイツ館がおすすめ?


それは・・・

展示されている写真や資料から、当時の収容所の様子や、捕虜と地元住民との交流が生き生きと伝わってくるのです。

鳴門市ドイツ館を訪れて、板東俘虜収容所という歴史の舞台があったからこそ、現在の日本とドイツの友好関係があることを実感しました。

特に、ベートーベンの交響曲第9番が日本で初めて演奏されたというエピソードには感動ものでした。

ドイツ館では、当時のドイツ兵たちが第九を演奏している様子を再現しており、私たちは観客となり演奏を聞けるのですが、第九の曲が流れるたびに、そこに捕虜たちの音楽にささげた情熱の魂を感じるのです♪
彼らが、時空を超え、ここで演奏しているかのような錯覚♪

そして、忘れてはならない重要人物が
収容所の松江豊寿(マツエトヨヒサ)所長、
ドイツ兵捕虜に人道的かつ寛容に接し、住民と交流させた方。

いや~~!歴史のロマンを感じますね!

松平健さんが
映画『バルトの楽園』で松江豊寿所長役を演じたそうです!
知りませんでした!

健さんは、現在もキラキラと踊り、活躍されてますね!



新しい発見がもたらす感動!~my history~


今回の徳島の旅で
久しぶりに訪れた場所、

四国1番札所「霊山寺
5年ぶりだろうか、

1番札所はやはり特別な趣がある、
当時の記憶がよみがえる、
いつ来ても特別だ

霊山寺
霊山寺

その後に、
始めて訪れた鳴門ドイツ館

3年間という短い期間で、
捕虜の身でありながら、
交流と文化を伝え、音楽を愛し楽しんだドイツ兵の人びと。

きっと、3年の期限だと知る人は
捕虜の中には少なかったはず、

捕虜の身がいつまで続くか分からない中で、
今を精一杯生きた!
今ある命に感謝して、希望を持って、

恵まれた環境に身を置く我が身は
時間を大事にしなきゃ、、、

ドイツ館の施設を説明してくれた
学芸員さん?の言葉が
とても印象に残っている。

ここ坂東収容所は
四国八十八か所の
1番札所と2番札所「極楽寺」の
丁度間にあります。

昔から多くの人が
お参りに訪れる場所であり、
坂東の人々にはお接待というこころが常にあった、と

だから、ドイツ兵の捕虜の人々を
「ドイツさん」呼び、とお接待の気持ちで
あたたかく迎えることができたのではないかと、

1917年の時代、
言葉も通じない、異国の人々を



今回仕事で訪れた徳島でしたが、
前日の夜は

前々から気になっていた、
神山高専の松坂さんの講演を聞くこともできました。

ずっと気になっていた、なぜこんな田舎の神山なの?
その疑問が少し、分かったような気がします。

文化や芸術、新しいものを受け入れる力がある場所

おせったいの心”
”あったか~い心“
”それはまさに神”

1番札所とドイツ館が繋がる
お遍路さんの「心」と、神山も

そして、思い出の2番札所へと
想いが巡り、繋がる。

こんど訪れたときは
2番札所へいき、
命のお礼参りをしているだろう、
自分の姿を重ねてみた

2024年10月
吉方位の2泊3日の旅

いい旅でした♪

鏡島




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