【変えられるものを変える勇気】
どうも。石神です。
ニーバーの祈りと言われる言葉を知っていますか?
最も有名な部分は、
神よ、天にまします父よ、
私たちに変えられないものを受け入れる心の平穏を与えて下さい。
変えることのできるものを変える勇気を与えて下さい。
そして、変えることのできるものとできないものを見分ける賢さを与えて下さい。われらの主、イエス・キリスト。アーメン。
という言葉です。
僕はikiではしゃべる人担当として
もともとは身体を使う技術を伝えていました。
では、身体の話し。
ダイエットや、ボディメイクをする方達はしばしば、
無謀な目標を立てることが多いです。
そんな人に会うといつもこの言葉を思い出すんです。
僕はキリスト教でもないし、神を信じているわけではないんですが、この言葉は何度も自分の中でも繰り返します。
重要なことは、
変えられるものは変える
変えられないものは受け容れる
そして、そのどちらかを見分ける賢さを持つということ
例えば、身長を伸ばしたいという希望は、大人になってしまえばもう叶いません。
姿勢をよくすれば、数cm変わる方もいるかも知れないですが、
10cmも伸びることはありませんよね。
ですから、モデルさんのような細長い感じの体型になりたいと思っても、元々の体格ががっしりとして体重も重い人では絶対に実現不可能なんです。
体重が重いというのは体脂肪が多いだけではなく、
当然筋肉も多いですし、骨格もしっかりとしていますからね。
そして、
身長が低い方が高くなるのも、身長が高い方が低くなるのもどちらも「不可能」
これは受け容れなければならない事実なんです。
では、変えられるものって何でしょう?
人は基本的に無い物ねだりをします。
身長が低ければ、「高くなりたい」
身長が高ければ、「低くなりたい」
女性なら胸が大きければ、「小さい方が服が着こなしたい」
小さいと、「胸を大きくしたい」などなど
全ての人がそうとは限らないと思いますが、多くの人が無いものを求めます。
何故なら、既に手に入っているものは欲しいと思わないからです。
最もわかり易いのは、僕らはこうして日本語を自由に使えるので、
こうして日本語で書かれた文字を読むことが出来ます。
だから、「日本語が自由に使えるようになりたい」とは思いません。
もう少しカラダのことに関して言うと、既に現実にあるカラダを受け容れないままでいると、目標として「絶対に手に入らないところ」を目指してしまう。
もの凄く努力をして限界までトレーニングしたとしても、絶対に得られない目標を立ててしまいがちになるということです。
ですから、少しづつ変えていくことをお勧めしています。
遠すぎる目標は逆にやる気を削ぎます。一瞬だけ燃えて継続が出来ないんです。
カラダを変えていくというのは長期戦です。
自分のカラダとしっかり向き合ったうえで、少しづつしか変化が出来ません。
まずは自分のカラダを知ること
そして、「変えられるところはどこだろう?」
と考える事です。
無理な食事制限で病気になったり、無理な重量を使うトレーニングでケガをしてしまったり。
それではもったいないと思うんです。
変えられるものは何なのか?
変えられないものは何なのか?
そしてあなたが今変えたいと思っているコトはどちらに入るのか?
このどちらに入るのかを見分けるのが知識や冷静さです。
目標を持って「自分を変えるんだ!」と取り組むことは素晴らしいことですが、アツくなり過ぎるとその冷静さを失って「変えられないもの」まで変えようとしてしまいます。
厳しい食事制限をする前に、無謀な重量を上げようとする前に、
「変えられるもの」はきっとあります。
その「変えられるもの」は何か?
これを知るには知識が必要でしょう。
自分のカラダを正しく知ることが必要だと思います。
それを知れば、きっともっと自分のカラダを好きになる。
正しい目標設定が出来るようになる
歩くたびに自分のカラダを好きになれる
そう思います。
最後にもう一度。
変えられるものを変える勇気と
変えられないものを受け容れる冷静さ
そしてそれらを見分ける知性を
神に与えてもらうのではなく、自分で身に付けていただきたい。
そう思っています。
では今日はこの辺で。