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ルッコラをかじる 食材の力強さの正体

先日、知り合いの方の畑へ行った。会うのは4ヶ月ぶり。農薬は使わず、いわゆる化学肥料も用いない。そこでは野菜を購入する際は自分で必要な分を収穫する。購入する前提であれば、”味見”も可能だ。ここでいう”味見”とは、育っている野菜をそのまま食することを意味する。私はそのままルッコラをいただいた。うまい。以前もこちらで色々な野菜を”試食”させていただいたが、感じ方が違う。突然、”こんな野菜を食べていれば、食べ過ぎなんてことにはならないのに”なんてことが浮かんでくる。現代の食生活は、言い換えるなら”そのものの味が弱い”食材に対して、必要以上にドレッシングや化学調味料、時には甘味料などを用いて味を濃くして食べている。味を濃くしないと美味しく感じないのだ。更にたちの悪いことに、TVを中心としたマスメディアは太っていたり、カラフルで派手な芸能人達に”味付けの濃いもの”をたくさん食わせて、視聴者に対して”もっと食え”と言わんばかりに消費を促す。それは広告主というスポンサーへの忖度も理由に含まれる。その結果、”人が食べている所を観ながら食べる”という二重の謎の現象が発生している有様で、どこまでも食欲を刺激する。私が畑で食べたルッコラはそのままで美味しいと感じた。食卓では、オリーブオイルを絡めただけのルッコラサラダは濃い味と力強さを感じた。スーパーに流通する大量生産されたと思しきルッコラのそれとは何が違うのか。農家さんが生計を立てる為に、より多くを出荷する為に、より多くの作物を栽培する必要があるからだろう。畑で野菜を育てると分かるが、狭い面積でも面倒を見るのは大変だ。雑草を抜き、生育具合によっては間引きをするなどの仕事は想像以上に大変だ。スーパーに流通する様な野菜はこの何百倍の手間が掛かるのだろうかと考えると気が遠くなる。そこでやっと、その手間を減らす為に雑草や虫を駆除する農薬やより早い生育を促す肥料(窒素や鉱物をより多く含む)を使用する必要があると理解する。いわゆる化学肥料を用いると、生育は早く野菜自体は大きくなるがその分中身の伴わない味の薄い野菜になりやすいという。どうやら、私の”味見”したルッコラとスーパーに並ぶルッコラの違いはそこらしい。その素材自体が力強ければ、そのまんま、もしくは最低限の調味料で美味しく味わえる。”素材の味を活かす”という表現があるが、それは素材自体に力強さがあることが前提になる。

ここで私は、力強さだけでなく、食べ物そのもののエネルギーというものを感じた。これは現代の栄養学における栄養元素の量では測れないものである。また、身体の差はあれど栄養療法だけでは治療の成果が現れないことのヒントでもある。つまり、その病状に有効な栄養や不足する元素を摂取して全員が治癒することはない。

では、力強い食材とはどの様な食材なのだろうか?私が行きついた一つの結論は、”なるべく野生・オリジナルに近い形で育ったもの”である。付け足すならば、人間の都合に合わせずに育ったもの。それは農薬や化学肥料の使用といった育て方だけではない。例えば、”糖度”を争い、より甘くする為に掛け合わせた野菜や果物の品種改良、一代限りしか育てられない種(いわゆるF1種)の開発も人間都合だ。そうなると、なるべく原種に近い作物、種取りして次のシーズンでも育てることの出来る種(よく固定種、在来種)がより自然な形ということになる。魚であれば、自然界(ここでは人間界以外という意味で用いる)で育った魚であり、いわゆる養殖の様な、本来その種が食物としないものを餌として育てられた魚ではない。家畜としての肉類であれば、本来の食物を食す動物だ。例えば、牛は本来草食動物であることを加味するならば、穀物肥育よりも牧草肥育の方が野生に近い。食用としての植物であれば、山で自生する山菜、肉類であれば、飼育されずに山を駆けずり回る猪や鹿は野生そのものである。上記の基準で述べるならば、力強い食材のトップに位置する。

こうした、より力強い食物を常食とすることが出来れば、人間は必要以上に食する必要はない。つまり、こうしたものを食していれば、現在の人類は”必要以上に食わされている”と気付かされるはずだ。何も私は大量生産で流通する食べ物が悪いと言いたい訳ではない。実際こうした食べ物が流通しないと80億人と言われる世界の人々を支えることは難しいだろう。ただ、今後増え続けるであろう人口に対して地球がどこまで持つかは甚だ疑問である。ゲップに含まれるメタンガスを地球温暖化のせいにするなど愚の骨頂だ。人口増加に対するアプローチは本当に代替肉なのだろうか。その代替肉自体の素材が”力弱く、必要以上に味付け”されていれば、結局食べ過ぎて地球と私達のの首を絞めてしまうではないか。まずは私達が”必要以上に食べている、食わされている”ことを自覚し、”力強い食材”を口に入れる機会を増やす方が、環境負荷低減に貢献出来ると感じるのは私だけだろうか。自戒の意を込めて。

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