言語を学ぶとは
先日、私の好きな人物が監督を務める映画を観てきた。映画の言語はスペイン語。舞台はキューバで監督は日本人。本作の大きなテーマの一つはこれから起こるで広がるであろう民主社会主義について。北欧の国々をスペイン語で発するシーンがあり、フィンランドのことをFinlandiaと発音していた。スペイン語のリズムは英語のそれとは異なり非常に独特で、国名の単語に関しても、英語とは異なるのでとても面白い。私はFinlandiaという単語を聞いた瞬間に小学校の頃、地元の芸術館で行われた校内の合奏演奏会?のことを思い出した。記憶によると、そこで他のクラスが演奏していた曲の名前がフィンランディアだった。
調べてみると、フィンランディアはジャン・シベリウスの代表曲だということが分かる。フィンランドを代表する作曲家だそうだ。早速Apple Musicで聞いてみる。曲自体は覚えていない。しかしフィンランディアという曲名だけ覚えている。当時の私はイチロー選手の影響でMLBが好きだった。その為全30チーム名の前につく都市の名を覚えていた。フィリーズの都市名は?フィラデルフィア。当時の私にはフィンランディア=フィラデルフィアで、アメリカの何かだとなんとなく勝手に思い込んでいた。しかし先の映画でフィンランディアがフィンランドのスペイン語における固有名詞だということを知る。突然、20年近く前の勘違いが解消される。
英語を使っていると、その他の言語に興味を抱く。短い期間だが、クルーズ船で働いていた時期があった。当然ゲストの国籍は様々である。フランス人のマダムが発する”Bonsoir(ボンソワール)”はとても優雅に聞こえるし、イタリア語のなんとも言えぬリズム感は癖になる。ギリシャ語は数学の記号をアルファベットとして用いるし(Θ,Σ,Φ,Ω, etc..)、英語以外の世界を知ると意外な語源を知ることとなり、点と点が繋がる瞬間が多々ある。
そこで勿体無いと感じているのが、テレビ番組の吹き替えである。私は極力テレビを観ることを控えているが、食卓でテレビがついている時、海外の方を連れてきて日本の文化凄い!という内容の番組が放映されていた。この番組をしばらく観ていると、その海外の方の言葉は面白おかしく吹き替えられていた。これは一種の機会損失となる可能性を含む。何故なら、その人が発する生の言語を聞く機会を失ってしまったからである。英語一つとっても、国によって独自のイントネーションや訛りが存在する。イギリス、アメリカ、オーストラリア。英語を母語とする国でもそれぞれの発音が異なる。それを聞くだけでも”あー、この人はこう言う感じで話すのか。”などと想像をする愉しみが生まれるが、吹き替えでその機会を失う。それが無い。少しレアな言語なら尚更である。例えばセルビア語。この言語はスラヴ語派に属す為、余韻がロシア語に似ている。もしテレビでセルビア語を話している場面を放映されても、吹き替えられていたらそのセルビア語がロシア語とどこがどう違う感じなのかを聞き分けるトレーニングする機会を失われてしまうということになる。と、勝手な意見を申し上げたが、吹き替えに関しては視覚に障害を持つ視聴者への配慮がある可能性を忘れてはならない。
母国語以外の言語を聴くことは、聴覚への刺激となり、良い影響を及ぼすという文章を目にした記憶がある。つまりこの文章が正しければ、TVで聴く外国語を吹き替えせず、字幕のみで放映すれば、TV視聴者は聴覚のトレーニングを行うことが出来るという論理が出来上がる。子供達への知的好奇心を刺激するチャンスが増えるかもしれないのだ。”パパ、この言葉は何語なの?”
クルーズ船で働いている時、顧客の国籍がバラバラだと船内放送はカオスになる。多い時には同時に9カ国語で放送されることがあった。英語に始まりスペイン語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語、ドイツ語、ギリシャ語、トルコ語、イラン語といった具合だ。伝える内容は同じでもそれぞれを聞くだけで雰囲気がだいぶ異なる。これだけでも聴覚は刺激されるし、好奇心を掻き立てられる。
世界最大規模の語学学校であるEF(Education First)がまとめた2022年版の英語能力指数によると、ランキング第1位はオランダである(111ヵ国中)。オランダで観る英語の海外ドラマや映画には基本的には吹き替えがなく、児童向けの番組も吹き替えなしのオランダ語字幕が基本だそうだ。更にBBC、CNN、Discovery などの放送は英語で字幕無しで視聴出来る環境が整っているとのこと。これなら幼少期から英語に触れられる機会が増えるし、他国の言語がより身近になり、習得率や上達に影響するのは想像に難くない。
ちなみに、先の英語能力指数ランキングによると、日本は111ヵ国中80位。アジアの中だと24ヵ国中14位。格付けでいうと、”低い”である(格付けは非常に高い、高い、標準的、低い、非常に低いの五段階)。
日本国民として、順位が低いことに対する言い訳材料を探すならば、言語間距離の開きが挙げられる。これはそれぞれの言語がどれだけ似ている、もしくはどれだけ異なるか?という程度を示すものである。
例を挙げると、中国語を学ぶ際、日本人は中国語同様、漢字を使うので日本人に言語習得のアドバンテージがあるが、英語を母語とする人からすると言語の距離自体が遠く、学ぶのは難しく感じる。
また、スペイン語と英語はアルファベットを用いる且つ共通の単語が多く、相互の国では学びやすいが、日本人は漢字とひらがなとカタカナを用いるので学習進度の差が開くといった具合だ。
それにしても、一応先進国と言われている国が、アジアの中でも下位である。中国語や韓国語も同様に英語からの距離は遠いが、日本より上位である。現在は母国語を話すことが出来れば仕事にも困らない。
2022年10月にIMFが発表したWorld Economic Outlookに記載された一人当たりの名目GDPは、2022年は台湾に対して抜かれる見通しであり、近年中に韓国にも抜かれる可能性が高いことを示している。下図をご覧の通り、日本は80年代以降で抜かれたことはなかった。また、95年以降成長していないことが分かる。これが、いわゆる”失われた30年”の正体だ。
このまま”失われた30年”がダラダラと続き、思いもしない天変地異が日本列島を襲うようなことがあれば、外貨獲得に乗り出す必要がぐっと増すかもしれない。そんな緊急事態を救うのは、他言語という可能性もある。
言語を学ぶとは、つまり、上記の図の様な一次情報に直接アクセスをして、加工をされていない情報源に辿り着く為の術でもある。