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水平社100年 漫画で理念 (毎日新聞)

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grandmaの徒然草 第三段

2月27日、毎日新聞の朝刊を見ていたら、目に入ってきました。

私は、1979年4月1日、小学校教員として採用されました。辞令をもらって、勤務先の小学校へ…うららかな春らしい日でした。ドキドキしながら挨拶をすませたら、職員会議が始まり、担任や校務分掌の発表がありました。

何年生を担任するのか一番楽しみで、気になるところです。一生懸命聴いていました。「『同和教育推進担当』 さちさん。〜さん。〜さん。」続いて一年生から担任名が発表されました。初めて聞く役割だったので???私はいったい何をするんだろう。不安が湧きあがった出発でした。先輩2人や教師をしていた叔父たちに話を聴き、たくさん本を読んで、学ぶことばかりでした。

同和対策事業特別措置法という時限立法が終わり3年延長になった1年目でした。部落差別の解消を推進し、もって部落差別のない社会を実現することを目的とするために、学校と地域の橋渡しをしながら必要な教育や啓発をしていく仕事です。普段は分担した担当学年の算数の授業に入り、支援。放課後は週2回地域の公民館等で解放学級の指導。学力補償と解放教育の二本立てでした…

人権・同和教育は、教師生活の原点です。私自身は近くに部落がない地域だったので、実際には部落差別は知らずに育ちました。今思えば、中学生の頃人権・同和教育が始まっていたのです。『橋のない川』という映画を、学校のみんなで観た時の衝撃は忘れられません。原作本を新任時代に第6部まで読みそのまま仕舞い込んでいました。「水平社宣言」が出される強い思いを忘れてはいけないと思います。岡林信康さんの歌から結婚差別のことを考えさせて下さった先生もいました。たまたま生まれたところで差別される、部落差別の理不尽さは許せません。部落差別だけでなく、世の中理不尽なことが多くてgrandma怒っています。

リニューアルされた水平社博物館に行ってみよう❗️

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