瞬間を共有するということ〜詩境について考える〜


強く胸を打つ言葉たちが大好きです。YouTubeの検索履歴はプロ野球とカジサックと、そして数々の名言集ばかりです。どうでもいいか。

そんな僕の中でも特に人生において忘れられない言葉というのがいくつかあります。
今日はそんな言葉について自分の言葉で紡いでやろうと思います。


「詩境」という言葉、聞いたことあるでしょうか?しきょうと読むのですが、、。
意味は結構幅がありますが、「詩が生まれる境地」というくらいにここでは認識して話します。

言葉との出会いは大学時代に行った教育実習。実習主任の先生に言われたものです。

授業で大失敗したんです。子どもの言葉を聞き流して、計画通りにやることばかり考え、意欲を低下させた授業をしてしまいました。
ご指導の折に、先生に、「今君は詩境に立っているんだよ。」と言われました。

意味わかんなかったですよ?最初は。でも、子どもが発した言葉への向き合い方を見ておっしゃっていただいたんだと知り、頭をぶん殴られたみたいな衝撃を受けました。子どもが懸命に紡いだ言葉に対して、自分は語るだけの境地を持っていなかったんですね。聞き流す、つまり言葉から逃げたわけです。そこを教えていただきました。そんな失敗を忘れたくなくて、今でも心に留めている言葉です。

詩境
どこにあるのかはわからないけど
今の仕事だったら、様々な人と関わる瞬間一つ一つにあるんだと思います。
ひねくれていますので、総ての想いに寄り添うなんて事はできません。大体寄り添うって言葉がもう上から目線で寄り添ってない気がします。
だからこそ、僕は楽しい!嬉しい!悲しい!悔しい!そんな瞬間瞬間の感情を同じ気持ちで共有できる人になりたいなあと思います。喜びは共に喜び、悲しい時は一緒にその虚しさに浸る。人と関わる上での大きなテーマです。

詩境があるとしたらココだよ、と教室を指さした主任の先生の姿は今もなお焼き付いています。自分なりに常に詩境を持って人と関わるようしたいなあなんて考えて生きています。

いいなと思ったら応援しよう!