終わる日記(2024/10/08)
2024/10/08
登下校の道に、歩車分離式の横断歩道がある。朝の時間帯には、警察が斜め横断は危険です自転車からは降りてわたるようにと言っている(その実情はどうか?)。
歩車分離式の横断歩道は、歩行者は当然歩行者の番にしか進めないが、他方、自転車はといえば、歩行者の番には歩行者のように進み、進行方向の車の番には車のように進んでいく。軽車両なんだからそりゃ当然でしょう、みたいな顔をしながら。というのは、僕がそう思っているというだけなのだろうか。教習所では、自転車は道路交通法によって軽車両に分類されると習った。思えば、自転車に乗らなくなってずいぶん経っている。だからいまはそう思っているというだけなのかもしれない。書いていて、いま、ちょっと乗ってみたくなった。
しかし歩くことはいいことだ。自転車よりもはるかに小回りが利くからあっちこっち行ったり引き返したりもできるし、あるいはその場でぐるぐる回ったりということだって造作ない。すり足や千鳥足やスマホ歩きだって、歩いてしかできない芸当だ。その点、自転車は速すぎると思う。街をよく見て歩くということになると、歩くくらいの遅さがなくては街をよく見て歩くことはできない。
むろん、自転車は便利な乗り物だ。便利すぎるといってもいい。電動自転車なんて革命的だと思う。だから自転車は速い乗り物で、そのことでさんざん重宝されているわけだが、ゆえにこそ、速く漕がなくてはという強迫観念からますます速くなっていくことがよくない。だからちょっと漕いでみたら、あれよあれよとダンシングに切り替えていて、通り過ぎていった植え込みとか木通とかセイタカアワダチソウとかが後になってチラついてきても、戻ってみたらかなり距離を走っていたことに気づいて落胆させられる。それでせっかくあそこまで漕いだのにとかぶつくさ嘆くことが自分でやってて嘆かわしくなってきたので乗りたくなくなった。修理にだしにいくのがめんどうで、自転車にはもう1年くらい乗っていない。だから忘れてしまったが、昔の記憶を思い返してみても、自転車は冗長性をとことん排除する乗り物だと思う。最短で到達することに最適化した乗り物、みたいな。いささか露悪的に言えば。
坂を歩く。背後から音が聞こえて、周期的にどんどこいっていて誰かにつけられてるんだろうかと思う。振り返ってみたら音が消えて、それがたんに自分のリュックの中身が揺れている音だったと気づく。最近はそんなことが多い。気づいて、あえてそのどんどこをしばらく泳がせておいてから、満を持して振り返ってみたりなんかした日には、自らのみすぼらしさに放屁しそうになる。坂にはタイルが敷き詰められているが、ところどころヒビ割れているところがあって、それをバコッと踏むと裏の水が跳ね返ってきて罰ゲームみたいにびしょ濡れになる。雨の日はそれの犠牲になっているひとをひとりは目にするが、ほんとうに可哀想だと思う。全員が傘を指して押し合い圧し合いしていて、それを避けながら進むから傘しか見ていなくて思い通りの経路をたどれなかったからというのもあるのかもしれない。しかし靴下までじゃぼじゃぼに浸かったのに気づいた連れが、あー、それねえ、と気だるそうに言っているのを見ると、それなら先に言っておいてくれよ、とか思ったりする。
研究室に着く。リュックを下ろして中を見たら、いろいろ出てきた。まずはいつのものともわからないパンツが一枚。次いで小銭がじゃらじゃら出てきて、さらにACアダプターが発掘された。最近、パソコンのボディが蚯蚓脹れみたく傷だらけになっていることを不思議に思っていた。