終わる日記(2024/11/13)
2024/11/13
夢をいくつか見た。いずれも断片的なもの。覚えているものをひとつ書いてみる。車でどこかに向かっていて、僕は後部座席に座っている。車は知らない高校に入って、都会的な校舎だと思った。大きな高校だった。そこでトイレを借りる。看板には「夫婦でない」と書いてあって、男女がバツ印を作っている。それは在学生向けではない、おそらく外部向けのトイレであると解釈した。扉に近づくと使用中らしく、(おそらく)おじさんの力む声が聞こえている。扉の前で使用中でなくなるまで待って、入ると誰もいなかった。おじさんは出てこなかった。中にいると、風呂とリビングのやり取りみたいに車の母から何か言われるが、ひとつも聞き取れなかった。
電気ケトルのスイッチを入れて、コンロのスイッチを入れて、換気扇をつけるとブオーンと鳴る。静寂にメスが入る。その音は、コンロの音に加わって、重なる。
はじまりの音だ。お茶を選んで、番茶にして、スパゲッティをゆでて、沖縄島とうがらしと沖縄そばのだしで食べた。ニラ玉を作って今日のタンパク質とした。残っていた3つの卵を、ちょうど使い切る。
登校中、公園でボール遊びをするちびっ子がいた。階段に差し掛かったところで、偶然ボールが僕の前に転がってきて、拾ってからそっと投げた。ありがとうとちびっ子が言った。
と書いて、ちょっとひっかかった。今、僕の前に転がってきたと書いたが、「偶然」というのは嘘だ。偶然を装っている。僕はみだらに待っていたのだ。
それで、国語の教科書で待っている女の話があったことを思い出す。開いてみる。ない。表紙を見ると、精選現代文B 新訂版と書いてあって、現代文Aというのが前に使っていたものでそっちだったかは不確かだが、これより前にやった気がする。高専時代の現代文の先生を思い浮かべた。コロナ禍のオンライン授業で、村上春樹の『羊をめぐる冒険』を読んだ。それはさておき、あらためて開くと太宰の『待つ』という短篇だった。「けしからぬ空想」とか「立派そうな口実」とか「不埒な計画」とかに線が引っ張ってある。それを読んだ。
実験室で同期と話をした。左手で回す。右手ではなく左手なのがいびつで、それを回しているかっこうが全体的にいびつで、右手用だからかと言った。毛筆も打ち込みが右利きでないとできないし、文房具好きなのに万年筆も書けないのだと言った。だんじり祭りについて。岸和田のひとたちは、あの祭りにかけてきているのだと同期が言った。祭りのときは当然会社も休みになるという。アラブがワールドカップで勝ったときみたいかと言った。
しかし祭りで人が死ぬとはどういうことなのだろう。祭りで人が死ぬということが理解できない。それは名誉なのか。それが名誉なのか。名誉とは何か。
ポスドクさんが先に帰っていった。部屋を出るとき、鍵をよろしくと言われたが、leaveという単語をliveと聞き間違えていて、なぜいるのによろしくなのかと思っていた。ひとつ聞き間違えるだけで文意が丸々わからなくなってしまう。
鍵を閉めて、同期と晩ごはんに行った。真っ暗な大通りをモノレールを眺めながら歩いていく。きょうだいのはなし。男性きょうだいしかもっていない身からすれば、任意の男性に対して女性きょうだいの有無がわかる、というはなし。共通の知り合いをあれこれ挙げて、それぞれのきょうだいについて話した。彼にはたしかに女性きょうだいがいると言った。それは自明なことだと言った。彼に女性きょうだいがいないこともまた自明だと言った。逆に男女きょうだいはそこに自覚的でないのかもしれない。そのことについて、那須の露天風呂でも話したと話した。
ラーメン。入って2人ですと言うとどうぞとカウンター席に通された。白ラーメンと焼き飯のセットをひとつでと言うと、同期がそれをふたつでと言った。外に出て、隣の細麺の焼きそばがうまそうだったと言った。
帰ると、Amazonから小包が届いていた。ハンドスピナーを買った。中学校の頃に買って、それはまだ取ってあるが、むかしのはもっとチャチなやつでベアリングもやわでシャリシャリしていた。だが、今回のは違う。重厚感からして違う。机に置いて回して、ストップウォッチで止まるまでの時間を計った。そのまま布団に持っていって、寝る直前まで回した。外から小豆を洗うような音が聞こえた。誰かが砂利道を歩いているのだろうか。砂利道なんてあっただろうか。小気味好い音を立ててなめらかに回っている。その回転を眺めているうちに眠った。