自己紹介
はじめまして。
池野 里美(いけの さとみ)です(*^^*)
2023年4月の統一地方選挙で初当選!!
現在は、2人の子育てをしながら
「柏崎市議会議員」として働いています!
では、私の人生を
ざっくりと振り返ってみます('ω')ノ
昭和52(1977)年 7月 15日。カニ座のB型。
新潟県柏崎市の下田尻に、
サラリーマンの父と、小学校教諭の母の、
第一子として生まれました。
2人姉妹で、4歳下の妹がいます。
『田尻保育園』→『田尻小学校』→
『東中学校』→『常磐高校』(普通科)と、高校卒業まで、
柏崎でのびのび育ちました。
幼少期の私は、
「おおきくなったら、ちょうちょになる♪」
と言うような、夢見る女の子だったようです(*´ω`*)
小学校時代は、スイミングスクールに通い、エレクトーンを習い、
目立つ女の子の後ろに隠れているような控えめな少女でした。
しかし、
高学年になって、育成会に入りミニバスケットボールをやり始めてから、
かけがえのない仲間たちができ、
段々と自分を表せるようになり
活発になっていった気がします。
中学校では、
「女子バスケ部を作って欲しい!」と
仲間たちと校長先生に直談判した思い出も
あります(^^;)
しかし、
体育館が狭く場所がないとの理由で、
女子バスケ部創立はかなわず、、、
水泳部へ入部。
水泳部では、憧れの先輩との出会いもあり、
先輩を見習って、プールで朝練をしてから授業に出ていたことも!
愉快な仲間たちと、部活動に切磋琢磨した楽しい中学校生活でした。
高校の想い出も、やっぱり部活!
念願のバスケ部に入部し、
とにかく部活は一生懸命だった気がします。
朝から自主練、放課後・土日も
基本、毎日練習。
夏の厳しい合宿も、
仲間たちがいたから頑張れる!
テスト期間のみ部活が無いため、
バスケ部の仲間たちとカラオケに行ったことがいい思い出です♪
副部長として、
仲間たちと一緒に部活に明け暮れたことは
青春の貴重な想い出。
長男長女の第一子として生まれた私は、
一番年上のため、従妹たちの面倒を必然的に見ていた私。
昔から、小さい子のい世話は、慣れたもの。
いつしか、将来は保育園の先生になりたいと思うように。
高校卒業後は、
夢だった保育士になるために上京!
淑徳短期大学、社会福祉学科、
児童福祉コースに入学。
短大から徒歩5分の近さに、
アパートを借り、一人暮らしがスタート。
短大では、ボランティアサークルに入り、
児童養護施設の子どもたちに勉強を教えたり、
身体に障がいのある子どもたちのお手伝いをしたり、
将来の夢に向かって、勉強に、ボランティアに、バイト(近所のお蕎麦屋さん)にと、充実した2年間でした。
卒業後は保育士資格を活かし保育園に就職する予定だったのですが、
「これからは、幼稚園教諭の免許もないと就職が厳しくなる」
との先生からのアドバイスもあり、
専門学校へ進学。
竹早教員保育士養成所に入り、
午前中は幼稚園教諭の資格を取べく勉強し、
午後は、15時~19時まで、毎日保育園で働き学費を稼いでいました。
竹早では、
これまた様々な年代の仲間たちに恵まれ、
和太鼓部やダンス部にも所属し、
保育発表会で披露するなど、
勉強に、部活に、仕事にと濃密な2年間☆
専門学校卒業後は、
和の行事や自然遊びに力を入れている、
葛飾区にある私立幼稚園に就職。
毎月遠足に行き、天気が良ければ園庭や公園にどんどん出かけ、外遊びや自然保育を大切にしている幼稚園。
夏休みには、集大成として年長児は二泊三日で新潟まで宿泊保育!
年長児は、音楽会で和太鼓を披露するため、
職員も定期的に和太鼓を学び練習していました。
3、4、5歳児の担任をさせて頂き、行事の多い園でとても大変でしたが、
かわいい子どもたちと出会い、保護者や、先生方に支えられ、
とても学び多い5年間でした。
しかし、将来を考えた時に、
より安定した公立幼稚園の教諭になろうと
一念発起し、
5年間勤めた私立幼稚園を退職。
運転免許を取得したく、江戸川区の自動車学校に通いながら、公務員試験の勉強をスタート。
東京都内の公立幼稚園の、産休代替教諭の募集を見つけ登録したら、8月に、江東区立の幼稚園から声をかけて頂き、
年長クラスの担任として、9月から産休代替教諭として勤務することに。
この時の園長先生には、公務員試験の面接対策をして頂き、先輩たちからは試験対策のアドバイスも頂き、
お陰様でこの年の公務員試験に無事合格!
産休代替でのご縁が繋がり、
念願の江東区立幼稚園の教諭として再就職!
公立幼稚園では、他校種研修として、小学校や中学校に実習に行ったり、
都内の他の公立幼稚園に研修に行かせてもらったり、
月に一度、区内の先生方で集まり調査・研究する区立幼稚園研究会など
様々な研修やサポート制度があり、本当に多くの事を学ばせて頂きました。
公立幼稚園時代の経験は、
今の仕事にも生きていることが多くあり、
本当に貴重な時間を過ごせていたことに感謝です。
公立幼稚園時代に結婚もし、
このまま東京でマンションでも購入して暮らそうかと考えていた時に、
3・11の東日本大震災を経験。
その当時は、毎日、満員電車に揺られ、バスに乗り換え通勤していたのですが、
交通網がすべてストップし、幼稚園に泊まることに。
コンビニに夕食を買いに行くも、皆さんが買われた後で、
食べるものがないという状況に!!
都会で暮らしていくことの危うさを感じ、
夫と話合い、これからは、自然の中で農業に携わった暮らしをしようと決め、
2012年、柏崎市に夫と一緒にUターン。
私(植木)の実家にて、
両親と祖母との同居生活が始まりました。
Uターンしてすぐ、
柏崎・夢の森公園 (yumenomori-park.jp) の
「自然農業講座」や「自然建築講座」を受講。
講座のおかげで、多世代の愉快な仲間と出会い、
繋がった仲間たちと自宅を改装したり、
曽地の山中に田んぼも借りて、無農薬で手植え、手狩りでお米を育てたり、
柏崎での農的な暮らしをゆるゆるスタート。
東京ではなかなか授かれなかった子どもも、戻ってすぐに授かり、
4世代同居しながら、子育て中心の生活へ!
でも、
我が子を育ててみて、今まで学んできた事や育児書で読んだ通りになんて
まったくいかない現実に直面(>_<)
他のママたちは、どうしてるんだろう、、、と考えるようになり、
子育て中のママたちや、子育てを終えた先輩方や、これから子育てする若者などが、気軽に集って学び合えるコミュニティを作ろうと、
柏崎市の元気なまちづくり補助金を活用し、
『自然育児の輪はぐ組』を立ち上げ、活動をスタート。
子育てイベントを仲間たちと一緒に企画・運営したり、
講師を招いての学びの会や持ち寄りご飯会などを定期的に開いたり、
たくさんの同じ想いの仲間たちと出会い、繋がることが出来ました。
同じ想いの仲間たちが増えていくことで、
いざとなったら気軽に相談できる仲間ができ、
子育てって楽しい!!柏崎に戻ってきてよかったと思えるように(#^^#)
そして、せっかく自然豊かな柏崎に戻ったのだから、
森の幼稚園みたいに、自然の中でのびのびと子育てをしたいと思い、
同じ気持ちのママ友たちと、自主保育サークル『森きち』を立ち上げ、
野外での自主保育をスタート。
→詳しくはこちら:豊かな子育て時間 (peraichi.com)
元気な妊婦だった私は、娘がお腹にいた時も、
息子と一緒に夢の森公園で仲間たちと外遊びをしていて、
生まれる前日も息子と夢の森公園にいたんです(笑)
自然の中にいると、元気でいられるということを体感していた私です(´∀`)
そんな娘は、外遊びの大好きに育ち、
寺泊にある、海辺のこども園 かいじゃり|長岡市寺泊の自然保育 (niigata-web.info) まで、片道40分を2年間通っていました!
海と山がすぐ近くにある素敵な環境にある古民家で
少人数で家族のような温かな雰囲気の中で
たくさん貴重な自然体験をさせてもらいました。
そんな子育て中心な生活を送っていた私ですが、
同じ田尻地区在住の素晴らしい女性議員さんとのご縁があり、
応援弁士をさせてもらったり、少しだけ選挙のお手伝いを経験したりもしてきました。
そして、2023年の年明け。
自宅で介護していた、
大好きだった祖母が亡くなり、急展開。
市議や県議を引退される尊敬していた先輩方の噂も聴かれるようになり、
若い世代に引き継ぎたいとありがたい声を頂くことになり、
私のような子育て世代の声が、市政になかなか届いていない、、という想いもあり、
周りの仲間たちの応援もあり、清水の舞台から飛び降りる思いで出馬を決意!
無名の新人、ただの主婦だった私が、
まさかの議員に!!
ということで、現在に至ります。
本当に、たくさんの方のご協力があって、
今、市議会議員として働けていることに、
感謝しかありません!!
ざっくりと、
私の人生を振り返ってみましたが、
自己紹介になっていますでしょうか(;´・ω・)?
これから、このブログでは、
私の想いや日々のこと、議員活動について
ゆるゆると綴っていきたいと思います。
今後も、末永いお付き合いを、
よろしくお願い致します_(_^_)_
令和6(2024)年5月30日