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「”自分”も”自由”もフィクションだ。」
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では、本題。
小坂井敏晶著・「社会心理学講義 閉ざされた社会と開かれた社会」を読んだ。
社会と心理、つまり集団現象と個人現象との関係を考察するこの学問を学ぶと、
人間を抽象的な視点で考えられるとともに、具体的な特徴も見えてくる。
とくにこの本は、社会問題や実験結果を広くわかりやすく説明してくれるので、
人間を理解するにはどのような角度からアプローチするべきか?のヒントを得れる。
かなり骨太の内容ではあるけど、俺的には大当たり。
わかりやすい心理実験結果の本を読むのもいいけど、こっちも超オススメ。
”人間には自由があり、意志に応じた行動を取る。
個人は特有の性格を持ち、そのため行動にも個性がでる。”
おそらく、多くの人がこう思っているんじゃないかな。
ただこの人間像を、社会心理学は真っ向から否定する。
”個人の行動を理解する上で、個性などの個人的要因は重要ではない。”
これが社会心理学の基本的メッセージだ。
たとえば、権威による服従率を調べた超有名なミルグラム実験。
実験では偏りがでないように、
人格・国民性・性別・年齢・イデオロギー・職業、さまざまな人があつめられたが、多くの人は権威にたいして服従し、非人道的な行為をしてしまうことがわかった。
このことから、行為や判断の原因は、個性といった内的なものとは関係がないことがわかる。
人は、外的な社会的状況に大きく影響を受けて日々の判断をし、行動をするんだ。
実験状況を、ほんの少し変えるだけで服従率が大きく上下したのはそのため。
意志や意識が行動を決めるわけじゃなく、
実は、因果関係が逆。
外的なチカラによって行動が引き起こされ、その後、実際にとった行動に合致するような意志がつくられるんだ。
だから、意志によって行動をするという錯覚が生まれやすくなる。
つまり、人間は合理的動物ではなく、合理化する動物なんだ。
もっというと、自由だって錯覚しているだけで、人間に自由意志なんかないんだよね。
自ら主体的に選択して行動をしたとおもっても、
それは知らず知らずのうちに外界からの情報に影響を受けて行動しているだけなんだ。
たとえば、
「食べるか食べないかはあなたの自由です。」と確認をとった上でバッタを食べさせる実験をした。
どう考えてもイヤなはずなのに、実験参加者の半分以上はバッタを食べたという。
これも自由意志によって行為をするのではないことを示している。
「食べるか食べないかはあなたの自由です。」と言われると、
本当は外的強制力が原因で食べているのに、あたかも自分で選択した行為だと錯覚してしまうんだ。
だから、自由意志なんてない。
あるのは自由の虚構だ。
人間は、自らの行動をとった本当の原因が別にあっても、他のもっともらしい理由を常識の中から選び採用する。
つまり行為や判断の説明は、その人がいる社会に流れる常識の投影ということ。
自由は虚構、行動や判断は社会常識の投影。
これがわかると、《自分》なんてないことがわかる。
《自分》は脳でもなければ、イメージが投影される場所でもない。
《自分》とはただの社会心理現象であり、社会環境の中で脳が繰り返す虚構生成プロセスなんだ。
ざっと説明したけど、超需要なことだし、これを理解できれば何を重視して生きるべきか?が見えてくる。
それは、環境だ。
だって、外的な影響を強く受け、その常識によって行動も判断もするんだからね。
俺みたいな凡人は特に、とにかく環境にこだわるんだ。
クソな環境にいたら、クソな影響を受け、クソな思考判断をして、クソな自分になってしまう。
クソだなと思うヤツが身近にいたら、アナタもクソになる可能性が大きいんだ。(もしかしたら、すでにクソかもしれない。)
もちろん、逆もまた然り。
よく聞く言葉だけど、いる環境が全てだ。
それを深く落とし込んで理解できた。