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【いつもありがとう】愛猫へちまの一周忌を迎えました。

どうもこんにちわ。ワイです。

去る2022年5月7日10:20に、愛猫のへちまが25歳で猫生を全うしました。
理由は老衰
前日に少し咳き込むような仕草を多くしていたので、次の日に獣医さんの予約を入れ、
歩いて獣医さんに向かったところ、着いた時には亡くなっていました。

心肺蘇生の施術も虚しく永眠。
朝6:00頃には普通に朝ごはんを食べていました。

先生は目に涙を浮かべながら笑顔で「この子は頑張ったじゃない!!」と言ってくださいました。

苦しむことなく眠るように亡くなったへちま。
その日はちょうどゴールデンウィークの最終日の前日、土曜日。

その時期は激務だったけど、何故かゴールデンウィークは奇跡的に仕事が入っておらず、
前日は少し出かけて帰ってきたらずっとへちまをだっこしていました。

あの時、病院にタクシーで行っていたら、へちまは数日生き延びていたのかもしれない。

でも、だとしたらまた月曜からの激務で、仕事から帰ってきたらへちまが死んでいた
という状況だったかもしれない。
それだけはどうしても嫌だったので、そういったことも見越してへちまはGW最終日前日のその日に亡くなった、
次の日に火葬してまた月曜から働けるようにと…私の社畜仕様に合わせてくれたのかもなーなんて思っとりましたw

■へちま没後、一年を振り返って

あれから今日でちょうど一年経ちました。

一年の間に本当にいろんなことがあったよw
本当に自分で自分のこと「今日までちゃんとよく生きてるな」って思ってるよw

まず、自分はいかに生かされていたか…というかw
どんな些細な悩みも、苦しみも、楽しさも、嬉しさも、
全てはへちまがいることで成り立ってたということを本当に実感。

それと、へちまのことをTwitterで公開するようになってからたくさんのTwitter友達が増えたことw

へちまの愛用品を色んな人にもらってもらったし、逆にへちまがもういないのにこんな自分を気にかけてくれて
色々世話を焼いてくれたり、プレゼントをくれたりする、どうしようもなくお節介で優しい、顔も見たことねぇ隣人がいっぱいいるわけだw

日々の色んな悩みや愚痴、止まらない下ネタをフォロワーに聞いてもらい、
逆に日々の色んな悩みをフォロワーが話してくれて、みんながそれぞれ悩み苦しみながらも
猫のことを思いながら生活してることなんかを知った。

また、友達や同僚、前の会社、その前の会社、その前の前の…て昔からの友達なんかと飲み歩くようになったり、
外泊したり、家を空けることが多くなったなぁ。

色んな人と話すことで色んな考え方も出来るようになったと思うよw

超個人的なところで言うと

・会社が潰れたこと
・ゴルフを始めたこと
・30年来の親友と縁を切ったこと
・転職できたこと
6年モノの彼氏と別れたこと

てとこすねw

■意外と平気だった、でもところどころで襲ってくるペットロス

へちまが亡くなってすぐ、自分はとんでもなく重度のペットロスに襲われるんだろうと思ってたけど、
意外にもそんなことはなかった。

火葬したり色んな人に挨拶したりお礼したり、写真整理したりそれなりに忙しかったので、
悲しみに呑まれすぎずに済んだかな。

なにより、色んな人が「25年も一緒にいられたなんてすごいじゃない!!」と声をかけてくれて、
まぁ私的にはそれでも全然足りなかったけどw「それもそうかもな」と思うことができたのもあったな。

ペットロスってのは本当にず~~んと部屋に引きこもってご飯も食べられないとかそんな感じかと思いきや、
意外にも普通に生活できる。
ずっと泣いてることもなく普通に笑ったりできるが、スーパーでペットフードの特売日の時とかに
「あ、今日特売日だから買って帰らな…いや、もういないんだっけ」
みたいにふとした時に思い出してた。

さすがに一年経ったからもうなくなったけど、毎日ルーティーンだったことが急になくなったから
そうやって「必ずやっていたこと」がぽっかりなくなったときに思い出して涙したりってことはしょっちゅうあった。

■ところどころに感じるへちまの小さな気配

へちまが旅立ったあとすぐにはへちまの気配はなく、だんだんと時間が経ってから気配を感じるようになった。

多分だけど、時間差で現れるようになってくれたのは、いなくなってすぐだとへちまがいないことを(私が)受け入れられなくなってしまうからじゃないのかな?

まぁだいたいは気のせいなんだろうけど、ありえないところにお供えのカリカリが落ちていたり、
思いっきり顔にへちまの毛があったり、「あ、今触られに来てるな」って感触があったり。

枕もとで充電してたはずのCatlogが胸の上に知らぬ間に移動していた時には嬉しかったな。
あと最近導入した人感センサーのライトが何もない時にふと光ったりするときも「あ、へちま今いるのかな
なんて思ったりしたな。

■消えない習慣

へちまがいなくなっても「行ってきます」「ただいま」「おやすみ」なんかの挨拶はやっぱりなくならないな。
あと、量はだいぶ変わったけど毎朝お水とカリカリをあげるのも習慣として残っている。

Catlogの充電と月額料金の支払いも続けてるよ。
Catlogの中のへちまは、いつもスヤスヤと寝てる。
この中でだけはへちまが生きているような気がしちゃうんだよねw

それと無意識に話しかけてしまうのも直らないなw
新しい習慣としてはへちまのために飾るようになったお花にお水をあげるってこと。

増えた習慣もある。それは「#この日」というツイート。
数年前の今日、へちまが何をしていたのかという写真のツイートね。
Amazon Photoにへちまの写真だけをアップしていてそれをスクショしてアップしてる。
こんなことしてたんだなってクスっと笑ったり、フォロワーが感想をくれたり、楽しくやってるよ。

あとnoteを書く頻度も上がった。
やっぱり猫一匹を25年、偶然かもだけど生かした事実があるから、自分にしか伝えられない考え方なり
ノウハウを猫と暮らしてる人にも伝えたいよね。
あ、アフィカスですが、noteを有料にする気は今んとこないのでご安心をw

■見てる人に伝えたいこと

改めて、TwitterでCatlogきっかけでへちまを知ってから仲良くしてくれてる人、
noteからTwitterに来てくれた人、noteだけ読んでくれてる人、
生前はへちまを応援し、自分ちの猫のようにかわいがってくれて本当にありがとう。

そして亡くなってからは、自分のことのように悲しんでくれて、いつも私を励ましてくれて
気にかけてくれて、本当にありがとう。

この一年、いろいろなことがあったけど、私は改めてへちまが大好きで、へちまと一緒に過ごした25年間は
何物にも代えがたい、かけがえのない時間だということがわかった。

苦しいことも悲しいことも嫌なことも嬉しいこともいろんなことがあったのは、「家に帰ったらへちまが待っててくれる」
という"絶対的な幸せの後ろ盾"みたいなものがあったからだということを痛感したよ。

だから猫と暮らしてるみんなにも、
「あなたのその幸せ・辛さ・悲しみ・苦しみ・喜びは、どんな時も
自分を愛して待っていてくれている猫がいるからだ」
ということを噛みしめてほしい。

猫が生きているうちは実感できないかもしれないけど、「猫と暮らす」ってことがどれだけ幸せで
無償の愛を感じられることなのかってのを改めて考えてほしい。

それでいて、猫と一緒にいられる時間は本当に短い。
だからこそ、1秒でも多く猫のそばにいてあげてほしいんだよね。

あなたには学校も会社も友達も身内もいるかもしれないが、猫にはあなただけということを忘れてくれるな。

へちまがいなくなって一年が経ちました。
私はもう多分猫暮らすことはないだろうけど、もう大丈夫だよ。

この先はへちまがいなくても楽しい人生を送ってみせるよ。
そんで、へちまとあの世で再会したときに、
「へちまがいてもいなくても、私の人生にへちまがいたことでこんなにも素晴らしい人生を送ることができたよ」
と胸を張って報告できるように生きていかなきゃって思ってるよw


▲最期に撮ったへちまの写真。

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