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花を贈る。

どうもこんにちわ、ワイです。
最近めっきりnoteから遠ざかっちまってますが、書きたいテーマが
デカすぎてなかなか進まずにいます。
いつも先延ばしの人生…

まぁ今回も思いついたままの箸休め的noteを書きますわ。


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前回のnoteも読んでクレメンス↓↓


■花について思っていたしょーもないこと


いきなりだが、今回は「花」について。

全国のお花屋さんには本当に申し訳ないんだが、
実は数年前まで花なんか一番もらってうれしくねぇと本気で思ってますた。
(マジですまん…でももうちょっと読んで…)

まだハタチくらいだった若かりしころ、道で花束を持った男性が歩いてて
当時付き合ってた人と歩いてたんだけど、ほぼ同時くらいに

ワイ「花なんかもらっても一銭の特にもならんよな」
彼氏「花、すごくきれいでいいよね!」

みたいな会話をしてしまったことがある。

だって花ってジャマだし枯れるし、意外と高いじゃん?
もらうんだったらその分のゲンナマか今だったらアマギフとか
もらったほうがいいじゃん とハタチのワイは疑うことなく思ってました。

そんなこんなで花とはほぼ無縁の生活をしていたワイ。
ところがどっこい、愛猫へちまが2022年に25歳で亡くなった時に事件は起こった。

■へちま宛に贈られてきたお悔やみの花


Twitterのフォロワーたちから「へちまさんにお花を贈りたい
というDMが山のように来た。

正直そんなDMをもらっても「え・・・花??い、いいけどなんのために・・・??
て感じで戸惑った。
花瓶すら持ったことがなかった上に、へちまが亡くなった時には
火葬までの間片時も離れたくないと自分でも花を買いに行かず、
結局兄貴の嫁が手配してくれた。

しかしその後も何人もの人から花を贈らせてクレメンスというDMが届いた。
ご厚意だし受け取ろうかな~と軽い気持ちで受け取ることにした。

何日かして、花をもらって気づいたことがある。

▲少しだけ紹介。これはへちまをイメージしてくれたというプリザーブドフラワー。

■花は思ってたよりずっときれい


シンプルにきれいなんだよね。花。

だってほとんど近くで見たことなんてなかったもん。
好きか嫌いかすらわからない。
どちらかと言うと「虫が湧く」みたいなイメージしかない。

でも届いた花は、生花だったりプリザーブドフラワーだったり、
形状も様々、色も形も実に様々。

そしてそこには贈ってくれた人たちの気持ちが詰まりに詰まっていた。

ある人は「へちまさんのきれいな白をイメージした」
ある人は「虹の橋をイメージした虹色にした」
ある人は「へちまさんの元気いっぱいなイメージでオレンジの小さい花を選んだ」
ある人は「あのへちまさんの写真がかわいかったから写真がつけられるやつにした」

そんな感じで皆、「なぜそれを選んだか」を語ってくれた。
ていうかだいたいお手紙がついてた。

少し経って「迷惑じゃなければ枯れないお花でへちまさんのイメージで作らせて!」
と、うちの狭い祭壇のスペースに合わせて本物みたいに美しい造花(って呼ぶには似つかわしくないほど本物みたいな)のアレンジを贈ってくれた人もいた。

当然嬉しかったが、
会ったこともないへちまのために、こんなどこの馬の骨とも
わからん自分のためになんで花なんか送るんだ?

という気持ちでいっぱいだった。

しかし、その気持ちは自分が花を贈る時にようやく理解することとなる。


▲少しだけ紹介。これは生花。これもへちまの白をイメージしてくれた花だったな。

■言葉にできないこの気持ち


少し経って、あるフォロワーさんの猫ちゃんが闘病の末に亡くなった。
ずっと気になって見ていた子だったこともあり、おいおい泣いた。
声を出して泣いた。
もう居ても立っても居られなくって、辛い中連絡するもの悪いなぁ
と思いつつも「お花を贈らせて」と思い切ってDMを贈ったら快諾してくれた。

選ぶ際は慎重になった。
飼い主さんが花好きの人だったら自分で選びたかろう、
他の人からも送られてくるはずだ、祭壇の大きさはどのくらいだろうか、
骨壺より大きな花なんか送ったら悲しくなるだろう、
邪魔にならなかろうか・・・などなどなど。
アホほどいらんことを考えたが、結局「邪魔にならない、小ぶりで
白い花が入った生花」にした。

これはもうほぼ自分の気持ちの押し付けだったので
届くまで「迷惑ではなかろうか」とビビっていたが、届いた時には
飼い主さんから「嬉しくて涙が出た。あの子もきっと喜んでいる」
というメッセージをもらってこっちが泣いた。

その時に、ふと花っていうのはその人の
言葉に表せない気持ちを形にしたものなのか
って思ったんだよね。

いや、正直お花を飾ってあの子が喜んでくれているのかは分からんよ?

でも少なくとも私は

「会ったこともないけど私はあなたの猫ちゃんがかわいくて
かわいくて仕方なかったよ。できれば変わってあげたかったよ。
あなたも今大事なあの子を失って張り裂けそうな気持だよね?
こうなりゃ明日自分が何食うかなんて本当にどうでもいいどころか、
もうこのまま死んじまってもいいんじゃねぇかってくらいすべてがどうでもいいよね?
その気持ち、痛いほどわかる。わかるんだよ。
でも私には何にもしてあげられねぇ。だからせめて花くらいは受け取ってくれよ。」

って気持ちだった。

こんな時に100万円の札束を渡されて「これで好きなものでも食べなよ」って言われても
そりゃ嬉しくないわけではないけど
「そうじゃねぇんだよ!じゃあこの100万円であの子は戻ってくるのかよ!」って思っちまうだろうよ。

そういう時に役に立ってくれるのが「花」なのかなぁって思ったんだよね。

その時にはじめて
もしかして花を贈ってくれたフォロワーたちも同じような気持ちで送ってくれたのかなぁ
なんて思ったんだよ。

プリザーブドフラワーや造花は、枯れずに美しいままへちまの祭壇を
彩ってくれるし、生花はだんだん変化していく様や水を上げたらそれに応えてくれる
反応なんかを見るのが楽しい。
最後にもう見納めってときにも「へちまのためにありがとね」って感謝して処分。

そんなこんなで何人かの人に花を贈ったけど、みんな同じように喜んでくれる。
花って具現化できない気持ちを表してくれる、儚くも切ない、思いやりのツールなんだね。


▲少しだけ紹介。これはとても立派な生花。
▲少しだけ紹介。この写真を私がすごく気に入っていることを知って、お花と共に飾れるようにと選んでくれたプリザーブドフラワー。


■花屋が潰れないわけが分かった気がする


花屋さんの前を通ると、お店の方がせっせと世話をしているし、
お客さんに「暑いところに弱いので涼しいところに移動してあげて」とか
「咲くまでお水を何回くらい替えてあげて」とか、まるで「かわいい子」
みたいな感じで説明してくれるよね、だいたいどこでも。

そんな愛情をかけて、虫がつかないよう痛まないようきれいに
メンテナンスされた花ってびっくりするくらい持つ。

花屋さんが世の中から消えないわけが分かった気がする。

もし周りにいる人の大事な家族である猫ちゃんが旅立ってしまったら
小さくてもいいから花を贈ってあげてほしい。
特に、誰かから花を贈られてうれしかった人は、余計。

嬉しいのは、その「気持ち」。
それに猫ちゃんだってきっと喜んでくれてるはず。
花のにおいをクンクンとかぎに、そこにいるかもしれないよ。


▲28年前のへちま。


▲少しだけ紹介。アーティフィシャルフラワーという本物みたいな造花。お手紙と手作りのキャンドルも嬉しかった。
▲少しだけ紹介。小ぶりなプリザーブドフラワー。猫のシルエットがへちまみたいだ。


▼素早い対応と親身になってアレンジの相談に乗ってくれる
素晴らしい花屋さんは、ワイの激推し「フラワーショップ はなはな」さんだよ。


今の祭壇はこんな感じだよ。


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