【思い出】最近、亡き愛猫へちまの気配を感じるって話。
どうも、無職のワイです。
クリスマスも終わり、いよいよ年末。
ワイはもう既に寝正月モードに突入しております。
毎年クリスマスは、愛猫へちまのごはんはお誕生日同様、ちょっと豪華にして、へちまの大好きなささみを食べさせてあげていました。
が、そんなへちまももういないので寂しい限り。
さて、今回はクリスマスとは全く関係ない話題、なんとなく霊的な話です。
と言っても、わたくし霊感はゼロなんですが、そんな私でも不思議な体験ってのをするもんでしてね。
暇な人だけ読んでください。
■なかなか夢に出てきてくれないへちま。
さて、愛猫へちまは今年の5月に25歳という長い長い猫生に終止符を打ちました。
そんなへちま、亡くなってすぐにはなかなか夢にも出てきてくれなければ気配なんかもまるでない。
ちょっとくらい出てきてくれればいいのになぁなんて思ってましたけどね。
でも、なぜか友人やフォロワーのもとにへちまが現れるw
ある人の夢に出てきたり、友人の家で気配ビンビンにあらわして、翌日にそいつからLINEで「へちまがラップ音鳴らしてきてうるせぇよw」とクレームが入ったw
■満を持してへちまの夢を見る。
そんなへちまが初めて私の夢に出てきてくれたのは、亡くなって22日後のことでした。
最初の夢はやっぱり「へちまが亡くなった」ということが強く意識されていた夢だった気がする。
■気のせいなんかじゃない!へちま降臨。
それからしばらくして7月、今度はへちまの気配をしっかりと感じるようになる。
イメージでいうとこんな感じで、何往復か歩きながら私の手にぐりぐりと頭を押し付けてくるw
いつだったか忘れたが、へちまを抱っこしながら何かから逃げるという不思議な夢も見た。
とにかく必死だったのでへちまと再会できた喜びを嚙みしめるもクソもなかったよw
最近は夢に出てきたり、気配をあらわしたり、けっこう近くに来てくれてる感じです。
不思議なことに触った時ってちゃんと感触があるんだよね。
忘れもしない、25年間もふもふと触り続けたあの感触を、間違えるはずなんかないよ。
■最近あったうれしい出来事
1)へちまが胸の上で寝てくれていたのかも
へちま生前時の超絶愛用品「Catlog」のサービスを今も使い続けている私。
へちまが着用していない今、それまでは週に一度は充電していたCatlogペンダント(首輪ね)もすっかり電池を食わなくなってしまったが、習慣なので毎週土曜日か日曜の夜には充電をして眠るようにしている。
CatlogペンダントはCatlog Homeといういわゆる「充電クレードル」にペンダントである首輪を乗せて充電するのだが、充電クレードルは枕の横のサイドテーブルに置いてある。
朝起きたら、なんと充電していたはずの首輪が私の胸の上にあったのだ。
なんか、へちまが私の胸の上で寝ていてくれたのかな って勝手にじ~んとしてしまったよ…。
2)へちまに見守られる。
生前、へちまは大半を私のベッドの上で、私の横にセットしてある寝床で寝ていたので、へちまを抱っこして寝るということはそこまで多くはなかった。
それでもかわいくて仕方なかったので、定位置で寝ていたへちまを叩き起こして布団の中に入れて抱っこして一緒に寝ることもあった。
(今の時期最高にあたたかいんだよなぁ)
そのまま一緒に朝まで寝ることももちろんあったが、だいたいはへちまが、私が寝たのを見計らってもぞもぞと起きて定位置に戻る。
そしてよく朝起きると冷めた目で私のことを見ている というシチュエーションが大半だったw
現在、私は友人からもらったへちまの写真がプリントされたクッションを抱っこして寝ている。
先日もいつものようにクッションを抱っこして寝ていたのだが、なんと朝起きたらクッションが定位置に戻っていた!
いつもみたいにへちまは「はぁ、ヤレヤレ」的に私が眠りに落ちるまで見守っていてくれたのかもしれないw
■亡くなった猫に心配をかけてはいけない
先日も、分骨の件で似たようなことを書いたのだが、愛猫や愛犬が亡くなったら、その後その子がどこに行くのかというのはそれぞれの飼い主の気持ち次第だと思う。
虹の橋の袂に行くと思う人もいれば天国に行ったと思う人もいる。
私なんかは「姿はなくなっても気持ちは、心はすぐ近くにいる」と信じているクチだ。
今も近くにいるから、へちまの次元と私の次元がたまたま合致したときに、気配としてへちまが現れる、だからしっかりと触った感触や温かさが残っている そんな気がする。
そして、フォロワーさんとも話していたのだが、思いが強すぎるとかえって亡くなった猫たちは来てくれないような気がする。
なんとなくだが、へちまが亡くなってすぐの頃に全然出てきてくれなかったのは、まずは私に「もうへちまの姿形はないんだ」ということを実感させるために、あまり積極的に出てこなかったのかな なんて気がする。
あまりにも飼い主が、愛猫がいなくなったことに悲しんで悲しんで毎日枯れるように泣いていては、そりゃ心配だしめんどくさいと思う。
こっちは長い猫生ようやく終わってやっとゆっくり休めるって時にまで余計な心配かけないでくれよと思われても仕方がない。
だからこそ、「君が近くにいないのは本当に寂しいけど、それでも君との思い出を胸に、私は前に進んでいるよ、なんとか頑張って生きているよ。」って心をもって毎日過ごさなきゃいけないなと思う。
私の今の目標は、新しい猫を迎えることでも、へちまのことを忘れることでもない。
へちまのことをずっと思いながら、死んであの世でへちまに会えた時に「私はこんな人生を送ってたよ」とへちまに胸を張って言えるような人生を送っていくことである。
な~んてな!
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