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「可処分時間の争奪戦」から「記憶の争奪戦」へ ―「メディアの本質的な転換点」をひも解いてみた
「半沢直樹」から学ぶ新しい評価軸や、ウクライナ戦争における戦い方の比喩を用いながら、2026年へのメディアの本質的な転換点をひも解いておきたくなりました。。前回noteで数字や図表を重視しすぎたので、図表なしで書きたいと思います。ニッチでディープな約7,000字。興味の在る方はどうぞお付き合いください。
池松潤/Jun Ikematsu
コミュニケーションデザイン/事業計画/エクイティストーリー/エンタープライズ営業コンテンツ/マーケティング/コンテンツなど。スタートアップCEOの壁打ち相手。慶応義塾大学卒/博報堂を経てスタートアップの若手と世代間常識を埋める現役58歳。ときどき婦人公論.jpにコラムなど。 ⇒ https://lit.link/junikematsu
はじめに:新「メディアの興亡」影響力の主役が変わった日
ひとくちポイント
・兵庫県知事選から見えたメディアの新地図
・なぜ「記憶の争奪戦」なのか?
・既存メディアは「江戸城のお侍さん」
・「資本主義のアップデート」と情報革新
かつてのメディアの戦場は「可処分時間」の奪い合いでした。このnoteも可処分時間を食う一つのプラットフォームでした。情報大洪水のなか、限られた時間を、いかに自社プラットフォームに振り向けさせるか?それが勝利の方程式でした。
しかし、2024年の兵庫県知事選は、このパラダイムが大きく転換したことを示す象徴的な出来事となりました。従来型メディアの影響力が衰退しYouTubeが主役となった初の選挙でした。従来型メディアの影響力が衰退し、YouTubeが主役となったこの選挙で見えてきたのは、単なるプラットフォームの交代劇ではありません。そこには、メディアの価値基準そのものの転換が起きているのです。
振り返れば、40年前に書かれた「メディアの興亡」(著・杉山隆男)はコンピューターによる既存メディアの変容を予見しました。そして今、私たちは新たな転換点に立っています。この30年のインターネットの進化を見れば、この展開は必然だったように思えます。人々の記憶に残る本質的な価値の提供へと変化しているのでしょう。
既存メディアの方に対して、私が「江戸城のお侍さん」と呼ぶのは、この変化に最も戸惑っているように見えるからです。その様子は徳川幕府の最後に似ていませんか。高い櫓から情報を配給することに慣れた彼らには、ネット空間の変化が分かっていません。いや。変化は理解しているけど、未来地図を描けない。徳川幕府が明治政府にになりどのように変化するか予見していたのは一部でした。
「可処分時間の争奪戦」から「記憶の争奪戦」へ
私たちは今、「誰が言ったか」という権威や、「どれだけの時間を消費したか」という量的指標から、「誰と共感し、何を記憶に残すか」という質的価値への大きな転換点に立っています。
このメディアの変容は「資本主義のアップデート」の始まりでもあります。産業革命が「モノの作り方」を変えたように、今は「情報の伝え方」の革新を通じて、新しい資本主義のアップデートが始まるのでしょう。
第1章:注目から記憶へ - 価値基準の大転換
「はじめに」で述べた「可処分時間の争奪戦」から「記憶の争奪戦」への転換。この変化をより具体的に理解するために、まずはメディアの価値基準がなぜ、どのように変化しているのかを掘り下げていきましょう。
ひとくちポイント
・かつての「可処分時間の争奪戦」とは何だったのか?
・なぜ「注目」(熱狂)という価値は(何回も)機能しないのか?
・ドローン空中戦時代の新しい戦い方について(具体的な事例と解説)
従来の情報戦争は「可処分時間の争奪戦」でした。限られた人々の時間をいかに獲得するか、それが唯一の勝利の方程式でした。しかし情報過多の時代において、この方程式は機能不全に陥っています。視聴率や再生回数という量的指標は、もはや本質的な価値を測る基準とはなりえません。代わりに求められているのは、人々の記憶に刻まれる質的価値の提供です。この転換は、情報経済における根本的なパラダイムシフトを意味しています。
「数字に疲れた人たち」
ビジネスマンも企業のSNS担当者も日々「注目を集めるか」に奔走していますが、その効果は年々薄れていくばかりです。なぜなら、人々の「可処分時間」という資源は有限だからでしょう。私たちは、SNSプラットフォームに踊らされて(致し方なく)人々の限られた時間をいかに奪い合うかという「可処分時間の争奪戦」を戦ってきました。
より多くの視聴率を、より多くのPVを、より多くのいいねを。それが唯一の勝利の方程式だったのです。しかし、このビジネスモデルは明らかに限界を迎えています。
ウクライナ戦争の比喩を借りるなら、それは「ミサイル空中戦」から「ドローン空中戦」への転換に似ています。従来の情報戦争は、「弾道弾ミサイル」のような大規模キャンペーンや、インフルエンサーの一瞬の「バズる」破壊力で注目を集めることでした。そのためには炎上も厭わず、むしろ敵愾心を煽って過剰な演出で数字を作ってきました。
しかし今、ウクライナやアゼルバイジャンなどの新しい戦場では安価で小回りの利くドローンが状況を一変させてます。またAI戦術の活用により、より正確なターゲティングが可能になり、戦術予測も可能になったので、継続的な効果を生み出しています。
同じことが情報経済の世界でも起きています。「注目」や「熱狂」という一過性の価値は、もはや持続的な効果を生み出せません。なぜなら、人々は次々と押し寄せる情報の波に飲み込まれてしまうからです。「情報消費」は更に加速していくでしょう。
事業経営者に求められているのは「記憶に残る」価値です。ReHacQの事例は示唆に富んでいます。NewsPickやPivotに比べると弱小資本で最後発でありながら、1コンテンツあたりの視聴回数でほかを圧倒しています。その秘密は、高橋さんの個人商店的な目利き力の凄さもあるでしょうか、視聴者の記憶に刻まれる「文脈理解」の深さにあるのではないでしょうか。
絶妙なゲストのキャスティングで短期的な注目を追い求めつつも、視聴者の記憶に残る本質的な価値を提供する。言葉ではない表情や人柄を引き出す絶妙な対談スキルが番組のスタイルを支えています。それは結果論に見えるかもしれませんが、実は高橋さんがテレ東時代に培った能力なのでしょう。
重要な点は、この転換は、単なる戦術の変化ではありません。情報経済の根本的な価値基準の転換を意味していると感じます。この変化は、次章で見ていく「共感と記憶の経済学」という新しい理論へとつながっていきます。
第2章:共感と記憶の経済学
1章では、従来の「注目を集める」という量的価値から、「記憶に残る」という質的価値への転換を見てきました。単なるPV数や再生回数という表層的な指標ではなく、視聴者の記憶に刻まれる本質的な価値が重要になってきています。では、この「記憶に残る」という価値は、どのようにして経済的な価値へと転換されるのでしょうか? その鍵となるのが「共感」という要素です。
ひとくちポイント
・「バズる」インフルエンサーから「共感の連鎖」へ
・「半沢直樹」に学ぶ新しい評価軸(スクリーニングとモニタリング)
・情報経済のROIの時間軸は短期から長期へ
(人的資本経営に学ぶ時間軸の捉え方)
・なぜ「伴走型メディア」が求められるようになるのか?
(可処分時間の争奪戦から記憶の争奪戦へ)
確かに、インフルエンサー・マーケティングや、バズる仕掛けは、熱狂的な物語を描ければ盛り上がりを見せます。しかしその効果は一過性であり、持続的な価値にはつながりにくいものです。「バズらせること」自体が目的化してしまい、本来伝えたかったメッセージが歪められてしまうことも少なくありません。それに検索すれば何でもでてくる時代にフォロワー数やPV数は、以前より価値が薄らいでいる点もあります。広さだけでは成果に結びつきにくい。共感から生まれるシェア拡散がついてこないと難しくなったのではないでしょうか。
ここで示唆を与えてくれるのが、TVドラマ「半沢直樹」です。
TVドラマ「半沢直樹」が示唆する新しいメディアの評価軸は、現代のメディア環境を理解する上で重要な視点を提供してきます。
ドラマの中で描かれる銀行の融資判断には、二つの重要な評価軸がありました。一つは「スクリーニング」―融資時点での財務状況や事業計画の審査です。もう一つは「モニタリング」―融資後の継続的な経営支援と状況把握です。この二段階の評価プロセスは、現代のメディアビジネスにも直接的な示唆を与えています。
例えば、NewsPicksの成功はこの「半沢直樹モデル」で理解することができます。彼らは単にニュースをたくさん配信する(スクリーニング)だけでなく、ユーザーとプロピッカーのコメントを通じて理解を深め(モニタリング)、コミュニティの形成へとつなげています。記事を読んで終わりではなく、コメント欄で意見交換、オフラインイベント、さらには新規事業まで行い、収益を上げています。―これは既存メディアにはなかったビジネスモデルです。
また、ReHacQの高橋さんの番組運営手法も、この文脈で捉えることができます。ゲストの選定(スクリーニング)は重要ですが、それ以上にゲストの表情や人柄が伝わる対話を通じて理解を深め(モニタリング)、言葉では言い表せない「雰囲気」の価値を提供しています。一回で終わるのではなく番組展開は数珠つなぎのように発展し、新たな気づきが生まれ、それがまた次の企画へとつながっていく。それは単なる番組スタイルではなく、ブランド化し、やがてビジネスモデル化していくと類推できます。
これは、従来型メディアが陥っている「与信型」のコミュニケーション(一方的な情報配信)から、「伴走型」のコミュニケーション(双方向の価値共創)への転換を示しています。視聴率やPV数という単一指標による評価(スクリーニング)から、継続的な関係性構築と双方向性の形成(モニタリング)へと、価値基準そのものが変化している。
このように「半沢直樹」の融資審査の手法は、現代のメディアに求められる新しい評価軸と重なるのがわかるのではないでしょうか。それは単なる偶然でしょうか。この変化は、情報経済における価値創造の本質を示していると思うのです。
第3章:2026年の新しいプレイヤーたち
2章ではTVドラマ「半沢直樹」の例を通じて「スクリーニング」と「モニタリング」という評価軸や、「伴走型メディア」の重要性を書きました。共感を基盤とした持続的な関係性が、これからのメディアの在り方を規定していくことが明らかになってきましたが、実際に主役となるのは誰なのでしょうか?そのタイプをより具体的に言語化してみましょう。
ひとくちポイント
・共感するコミュニティの「文脈」を理解した新興メディアの台頭
・「共感の連鎖」を経済価値に変える新プレイヤーたち
・ギルド的なの編集者集団の誕生
(攻殻機動隊的な少数精鋭・高度プロフェッショナル集団の登場)
情報経済の転換点において最も重要なのは、単なるプラットフォームの変化ではなく、価値を生み出す仕組みそのものの変容です。
例えば、10年前は「西麻布のタレントが行きつけのレストランで食事をすること」に喜びを感じるヒトがいました。しかし現在では「西麻布のタレントが行きつけのレストランで食事をしてるInstagramにいいねがつく」ことに喜びがシフトしました。単にSNSで変わったのではなく、価値観が変化した。SNSを使った生活そのものが変容したと言えます。このような変化は、3種類の新しいプレイヤーの台頭を促しているのではないでしょうか。
1:文脈理解型メディア
既存メディアが「情報の一方通行」だったのに対し、ネットメディアは「共感の文脈」を理解し、それを基に新しい価値を創造しています。例えばReHacQの高橋さんのように、単に対話するモデレーターではなく、その背景にある文脈や意味を共有することで、それぞれのユーザーが読み解き、その対話を通じて新たな理解を生み出していく新種のプレイヤーが出現しています。
2:共感連鎖スタイルへ
これは単なる情報共有の「場」という意味ではありません。視聴者の共感が連鎖的に広がり、それ自体が新しい経済価値を生み出す番組(コンテンツ)スタイルのことです。例えば、あるコンテンツへの共感が、関連商品の開発やイベントの企画、さらには新しいコミュニティの形成へと発展していく。このような「共感の連鎖」を経済価値(収益)に変換できるプレイヤーが求められています。「推し活」として秋山歌謡祭のメ~テレのメモ少年(篠田プロデューサー)にはその潜在力を感じます。
3:ギルド型編集者集団
これはアニメ「攻殻機動隊」的な、高度なスキルと専門性を持つプロフェッショナル集団です。彼らの特徴は・・・
1:高度なデータ分析力とコミュニティマネジメント力を持つ
2:情報の真偽を見極め、本質的な価値を抽出する能力
3:従来の組織に縛られない、プロジェクトベースでの柔軟な活動
4:深い専門性と広い視野を併せ持つ
このような新しいプレイヤーたちは、単なる情報の仲介者ではありません。彼らは「共感」という新しい経済価値を創造して持続可能な形で循環させる触媒(ファシリテーター)となっています。
重要なのは、これらのプレイヤーが従来のようなピラミッド型・階層的な構造ではなく、よりフラットで有機的なネットワークを形成している点です。それはアニメ映画「攻殻機動隊」のような、高度に専門化(プロフェッショナル化)されながらも柔軟な組織の在り方を示唆しています。
このような変化は「メディア」の再定義を加速させるでしょう。「情報伝達の手段」から、「共感を基盤とした新しい価値創造の場」へと進化させているように感じます。
おわりに:日本発の新しい物語へ
3章では、2026年に向けて台頭する3つの新しいプレイヤーについて書きました。彼らは既存メディアの「情報配給者」という立場を超えて、「共感」と「記憶」を基盤とした新しい価値創造の担い手として頭角を表すでしょう。
しかし、このような変化は、単なるメディア業界の構造変革にとどまるものではありません。そこには、より本質的な問いが潜んでいます。
ひとくちポイント
・なぜ「思慮深さ」が日本型・情報経済の競争優位になるのか?
・兵庫県知事選で見えた「分断の予兆」
・分断は避けられない。でも制御は可能かもしれない
・ピーター・ティールの論ずる「ポストエリート」
・「共感」と「記憶」はコミュニケーションの基盤となるか?
大統領選後のアメリカはどうなるか?トランプ大統領の政策は分断を加速させるでしょうか。分断は日本でも一般的になるのでしょうか?
兵庫県知事選で露呈したのは、単に影響力の主役がテレビからYouTubeに転換したのではありません。そこには「意思疎通の分断」という、より本質的な課題が潜んでいます。陰謀論により共通の文脈は失われ、対話の基盤となる共有体験は貧困化して、相互理解を促す「場」(受け皿)がすでに消失していることを示しています。(黙って何もしなければ)この状況はさらに加速していくでしょう。
しかし、日本人の「思慮深さ」は、文脈の丁寧な理解と共有、多様な視点の統合による新しい意味の創造、そして長期的な関係性の構築を通じて、より持続可能な世界に踏みとどまることができるのではないでしょうか。
分断は不可避の現実かもしれません。しかし、まだ今なら、情報経済の設計によって制御可能だと思います。重要なのは、分断を生む構造的要因や本質を理解して、新しいコミュニケーションの仕組みやスタイルを実施していくことです。
ピーター・ティールの言う「カウンターエリート」の台頭は、単なる世代交代ではありません。それは既存の権力構造の解体であり、分断を利用した新しい権力獲得の手法の出現を意味しています。日本の場合、「エリート官僚」と「公務員」「既存メディア」に対して「一般市民と感覚ズレてるんじゃね?」という違和感や静かな怒りが分断を生み出しつつあります。この萌芽に対して具体的な対策を打たねば悲惨な未来が待っていると思うのは、考えすぎでしょうか?
※カウンターエリートとは・・・
「空飛ぶクルマを望んでいたのに、手にしていたのは140文字だった」とメッセージしたピーター・ティールの考え。衰退したアメリカという問題認識を起点としています。
ピーター・ティールの論ずる「カウンターエリート」とは、既存の権威に対抗し社会の変革を目指す新たな力を象徴しています。伝統的なエリート層とは異なり、既存の権威に挑戦し社会の変革を目指す人。テクノロジーやビジネスモデルの革新を通じて社会に新たな価値を提供しようとする人。従来の枠組みを超えた思考を促進させる人。を意味します。
この文脈において、「共感」と「記憶」は、分断を超えて新しいコミュニケーションの基盤となる可能性を持っています。共感は文脈の共有を促進し、記憶は持続的な関係性を構築する。この両者の組み合わせが、新しい価値を創造していき、わたしたちの描く未来の地図になると思うのです。
ここで特にシェアしたいのは、日本人の「思慮深さ」という特性が、グローバルな競争環境において意外な強みとなる可能性です。SNSプラットフォームを使っていると陥りがちな「即時的な反応の追求」や「過度な二項対立」とは異なる、より豊かな対話が可能になるからです。
2026年に向けて、私たちは単なるテクノロジーの進化やプラットフォームの変容を超えた、より本質的な変革に向き合っていると感じます。「思慮深さ」は分断を超えた対話の場の創造を可能にするのではないでしょうか。
最後に強調したいのは、私たちが真に必要としているのは、「共感」と「記憶の深さ」の「統合の物語」だということです。それは欧米型の「効率」でも、中国型の「人口規模」でもない、日本独自の価値観に基づく新しい情報経済の姿です。この地図を描くことが大事です。2026年から振り返ったらそう思うでしょう。
ピーター・ティールは「空飛ぶクルマを望んでいたのに、手にしていたのは140文字だった」と嘆きました。では私たちは何を手にするのでしょうか?それは「共感」と「記憶」を基盤とした、新しい価値創造の物語ではないかと思うのです。
2025年に私たち一人一人が問われるのは・・・
1:「バズる」数字を追うのか?本質的な価値の共有を目指すのか?
2:分断を加速させる情報発信をするか?良質な対話の基盤を築くのか?
3:短期的な注目を集めるか?記憶に残る発信をするのか?
2025年がやってきます。
この転換点に、あなたはどのような選択をしますか?
良い年をお迎えください
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