1990年の桜坂 #手紙小説
転職や副業がフツーになった現代では想像できないかもしれないけれど、当時は入社が同期というだけで不思議な連帯感がありました。困った時に助け合い、嬉しいときに喜びあう関係。振り返れば、内定者のうちのあの十数名は特別な人間関係だった気がします。一芸で入社したあの仲間たちは、人間味に溢れていて、勘も鋭くて、会えば話題に事欠かなかった。その中でも忘れられないあなたへ手紙をおくります。
#手紙小説 ・・・フトしたきっかけで思い出したあなたへ届くといい手紙のような小説。
お元気ですか?
僕が引っ越したシェアハウスの近所には、こじんまりとした赤いドアのパン屋さんがあります。いま流行りのイートインも無いテイクアウトだけのお店ですが、地元に愛されているお店とでも言いましょうか。値段といい種類といい、とにかく程よく手頃な感じが気に入ってます。
そこでサンドイッチを買うと、僕はよくその先の少し景色がいい場所へ向かいます。切り通しになった坂の上に赤い柵の小さな橋が架かっていて、そこからのぞむ風景は遠くまで見渡せるのです。なんとなくサンドイッチに似合うというか、美味しく感じる風景というか。あなたがよく言っていた表現だと「どちらも美味しい」感じなのかもしれません。
憶えているでしょうか?あの夜のドライブで偶然みつけた桜のトンネルになってる坂を。福山雅治が歌った桜坂のモデルになった場所です。でもあれは、曲がヒットする10年も前のこと。当時は名所になるとは思いもしませんでしたが、あのとき確かに同期のあなたと僕はこの坂にいました。サンドイッチが偶然を呼び寄せてくれたのでしょうか。
あの頃の僕は、仕事に足掻いていました。白と黒の狭間に横たわる大きなグレーゾーンに足を捕られ、どうするコトもできなかった。才能があるあなたはすぐに抜擢されましたが、才能のない僕は何をどう頑張ればいいのかさえ分かりませんでした。
道を変えるという選択肢は無かった。あの頃の転職は何か問題を起こして敗残した者が歩む道という雰囲気が強かったし、競争に負けるということは全てを失うことでした。いま考えると多様性のカケラもありませんね。僕はどうしようもないちっぽけな存在でした。だけど企画だけなら先輩たちに負けないほど沢山あったし、そして何より恐れを知らない若さがありました。でも自分の能力をカタチにするのはまだ随分先のことです。それも自分の想像するカタチではなかった訳ですが。
研修の最後に、10チームくらいに分かれて実施した模擬・競合プレゼンを憶えていますか。あのプレゼンで僕たちのチームは優勝しました。それはベテラン勢が唸るほど素晴らしいものでした。何が凄いかというと、あの内容を超えるものは何年も出てこなかった。いま振り返ってもアレが凄かったのは、同期の仲間が優秀だったからだと思うのです。それは才能があったからでしょうか、それとも知識に汚れていなかったからでしょうか。
あの夜、ドライブへ行ったのは、まだ言葉に出来ないモヤモヤを抱えこんだあなたがいたからで、西へあてもなく走らせた帰りに、送り届けるために偶然通りかかって見つけた場所でした。見上げると桜の枝先に星が瞬いていて、花冷えする夜風が僕たちを追い越していったのを憶えています。
でも、あのとき皆んなと少し距離を置いて、桜を見上げていたあなたと二人で何を話したのかどうしても思い出せません。オトナになって消えてしまったのでしょうか。それともココロが汚れて見えなくなってしまったのでしょうか。あなたの横顔は憶えているのに。
やがて季節がめぐり、僕たちは散り散りになっていった。活躍するやつ、辞めるやつ、いろいろあったけどそれぞれの人生に分かれました。30年経った今では、もう誰かの通夜でしか会わないほどの関係だけど、今でも桜を見るとあの頃を思いだします。あの頃の熱気を。やっぱり凄いやつらと一緒だったんだなと。
その凄さはコスパや損得からは生まれないと思う。純粋さから生まれる「何か」への揺るぎない自信が、僕たちを支えていたのは確かです。パワハラとか、今の時代から考えると酷いことも多かったけど、あの頃の方が良く思えるのは何故なのでしょう。若さだけではない、凄い仲間と一緒にいると感じられるあの一体感があったからだと思うのです。一緒だから突破できるチカラがあった。何も知らないからこそ湧きでるパワーがあったのかもしれません。
いまとなっては同じ坂の景色を見ても、あの頃と同じようには感じられません。あの甘美とも言える、何事にも変えられない奇跡のような人間関係は、あの頃にしか味わえない体験だったのでしょうか。人生とは残酷で厳しいことも理解してますが、ヒトは基本的には自分中心でやっぱりあの頃は蒼かった。そうは思いたくありません。
いくつもの新人賞を獲って輝ける星だったのに、突然プイっとそっぽを向いて会社をやめてしまったあなた。当時はSNSもない時代だったから、今よりも音沙汰がつかめなくなる時代でした。最近ふとFacebookでなら見つかるかもと頭によぎりましたが、検索はしなかった。だからこの手紙を書いています。
「あの頃は良かった」と言いたかったわけではなく、ただあなたとならあの日の景色を分かち合えると思ったのです。目を凝らせば、あの頃の星が見えるかもしれません。そしていまとなってはもう取り戻せない時間も、あれよアレよと散っていく花びらが癒やしてくれるでしょうから。
まぶたを閉じれば、桜舞い散るあの日が脳裏に流れてきます。あなたは今頃何処にいるのでしょう。1990年はもう戻って来るわけではありませんが、もしタイミングが巡ってきたらもう一度あの桜坂で。
編集:仲 高宏
#手紙小説
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