発言と人格の分離
ツイッターは面白い。最近、改めてそう思えるようになった。
実は、過去にまおちゃんずというCHIPのファンクラブを作成した。1ヶ月100円という対価を支払いまおちゃんずに加入すれば、アプリを介してコミュニケーションを取れるという仕組みだ。
CHIPがリリースされた当初は大流行していて、箕輪さんや家入さん、けんすうさんなど名だたる方々がファンクラブを作成した。とっても有意義なコンテンツがあるのだと思う。
わたしのファンクラブでは何をしているかというと、控えめに言って何もしていない。
わたしが全レスしたり、たまに今の気持ちを赤裸々に投稿したり、見てもらいたい写真を投稿しているだけ。それでもわたしにとって、大切な居場所になっている。
だらだらと続けるうちに、思いつきで始めたのがいけま公式アカウントの運用。
いけま公式アカウント、爆誕。
コンセプトは、わたしになりきる。それだけ。わたしがなぜいけま公式アカウントを作成したかというと、自分以外になれるチャンスがあるならなりたかったから。
この憧れは、幼少期に、友人との争いや相手の望む言動を与えられない自分を嫌いになり続けた体験が元になっていると思う。
わたしは今も期待されている言動を返せていない、という想いとともに、過去の自分を否定しながら生きている。一見ネガティヴに聞こえるかもしれない。
けれど、わたし自身は期待されていると思えることが幸せの証だと考えているので、心配は無用です。ありがとうです。みんな大好き。
そんなこんなで爆誕したいけま公式アカウントの開設当初は、わたしがツイートしまくっていたが、今はほとんどツイートもリプもしていない。1日5ツイート以内かな。
いけま公式アカウントを運用して思ったこと
いけま公式を運用してみて気づいたことは、発言単体と人格は決して紐付いていないということ。
いけま公式アカウントのツイートに、わたしらしい発言とわたしらしくない発言が混在しても、発言単体にフォーカスされることはなく、わたしじゃないとバレない!
むしろ、わたしはどれやねんとなっている。いけまを探せ状態だ。
(混乱を招いたり、配慮不足があり不快な思いをさせてしまっていたりしていたら、ごめんなさい。)
らしさ、とは
人は変わる。だからこそ、その人らしさも変わる。明日のわたしは餃子が嫌いになっているかもしれないし、好きな食べ物ランキングTOP3が栗、マカロン、ライチになっているかもしれない、
いけま公式アカウントがいけまになり、わたし個人のアカウントがいけま公式になっても、バレないかもしれないと最近よく思う。
そのくらい、世の中の個人に紐づく虚構と事実の定義は不安定だ。明確な根拠も証拠もない、気分1つに左右された話だったりする。
嘘が本当に変わる瞬間も、本当が嘘に変わる瞬間も、1秒先の未来に待ち構えているかもしれない。
おわりに
最近では、わたしが言ったことすら忘れていた情報をいけま公式アカウントの方が覚えてくれていたり、約束を取り付けはじめていたり、わたしの予想を超えたことが起こりはじめている。
面白そうだし、わたしのスケジュール共有をしようかな。
曖昧でカオスな世界こそ、今この瞬間を大切にしたいと思えるなと、思う毎日です。
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