齋藤飛鳥さんの卒業に際してーー"何者でもない者"の激しい混乱ーー

完全に訳のわからない状況に置かれている。訳などわかられてたまるか! と言った具合に、情報は僕の頭の中を激しく歩き回り、身勝手に横断歩道を斜めに横断し、時々車に轢かれそうになりながら、僕の頭の中で足音をがんがん響かせている。僕のまぶたの下は相変わらずピクピクし続けている。しかし僕はその法則を発見した。瞬きをするとまぶたの下はピクピクとする。僕はその法則を逆手にとって、鏡の前で痙攣を繰り返す。そしてまぶたの下が勝手にピクピクするのを発見すると、まるで刑吏が囚人の首根っこを捕まえたときのように「まぶたがピクピクしている!」と高らかに宣言する。だがその行為には全くの意味はない。おしまいだ。僕は本を読んでいても勉強をしていてもラジオを聴いていてもライブを見ていたとしても、いつ何時でもそのまぶたのピクピクを意識が捉えてしまう。そして脳みそはどんな状況でもこう思うのだ。「まぶたの下がピクピクしている」と。ああ、またまぶたの下がピクピクした! 僕は何を書こうと思っていたのか忘れてしまった。否、何を書こうと思ってなどいなかったのだ。この文章に下書きなどあるものか。話に下書きがないように、僕の指は半ば自動筆記的に文字を打ち続けている。
僕がCoCo壱で最も安いカレーを食べている間にも、提出期限の過ぎた課題は僕に発見されるのを待っていた。提出期限の過ぎた課題だけではない。インスタグラムに投稿されたストーリーや、まだ読まれていない小説の続きは全て、僕に発見されるのを待っていたのだ。齋藤飛鳥さんの卒業発表のお知らせだってそうだ。彼女は今日一日、来るべき発表に、彼女なりにドキドキしていたに違いない。そのドキドキがどういう種類のもので、どれくらいの規模に値するのかは全く計り知れない。彼女の内面を覗くことなどできやしないだろう。僕に関係のある人間の内面だって覗くことなんてできないのに、会ったこともない齋藤飛鳥さんの内面なんて全くわからない。彼女がなぜ卒業するのか、まだ文章を見ていないからわからない。彼女は文章を書くのがとても上手だ。手紙を書くのだってきっと上手だろう。問題は、彼女が手紙を書く暇を持っておらず、仮に暇があったとしても彼女は手紙を頻繁に書くような性分でないことだ。無論彼女から僕のところに届く手紙など一通もない。そんなことは分かりきっている。黙ってくれ。無粋な人間こそ当たり前のことをさも正論であるかのように仰々しく指摘してくる。
僕は真夏のピークが過ぎたあたりで旅に出て、海岸線に浮かぶ島を遠巻きに眺めることのできるおかしな海岸通りでカキフライを食べたり、扇風機を流したりした。扇風機はとても良い。ありがちな恋愛だって良いし wilderness worldだって良いが、その時には相応しいのは扇風機だった。扇風機はオノマトペを印象的に用いて、その曲の雰囲気を柔らかなものに形作っている。歌詞は声に出して発音されることで音楽になる。発音された「あー」は間延びした夏の昼下がりのような印象を与えるし、「ざわざわ」は木々が揺れる森の中にいるような涼しい印象を与えてくれる。全てのものには意味がある。それは逆説的に、全てのものに意味がないことを意味する。
彼女が好きだと言っていた大江健三郎の「死者の奢り」や「飼育」を読んだし、安部公房の「砂の女」だって読んだ。貫井徳郎の「壁の男」だって読んだし、谷川俊太郎の『夜のミッキーマウス』だって読んだ。僕は彼女がたくさん本を読むことを知らなかったし、知らなかったら書かなかった小説がある。彼女が僕に与えた影響はかなり大きいが、その影響は僕1人に止まらず、把握しきれないくらい数多くの人物に影響を与えている。MONDO GROSSOだってそうだしハマ・オカモトだってそうだろう。そう考えると、彼女が影響を与えた人物でバンドが組めそうだ。その際には僕がボーカルをやろう。彼女は無表情のまま聴いて、聴き終わったあと間延びした声ですごーい、と言うかもしれない。あるいは何も言わないかも知れない。
齋藤飛鳥さんが僕のことなど知らない人物であるとしたらそれが一体何になる? 僕は確かに彼女にとって何者でもない。それこそ横断歩道を無秩序に横切る1人の歩行者にすぎない。彼女の頭の中でも今までの思い出や嫌な感触やあらゆる念が歩き回っているだろう。彼女はそれをひとつひとつ積み上げては文章にしたのだろう。その作業は簡単なようで難しい。僕が今しがた書いている駄文より何百倍も難しいだろう。”僕は誰にとっても何者でもない”。その意識はここ最近とても強まっている。
11月4日、Last Dinosaursは「From Mexico With Love」を発売し、ONE PIECEは104巻を発売し、齋藤飛鳥さんは卒業を発表した。午後0時30分、僕はCoCo壱で最も安いカレーを「少し辛いな」などと思いながら食べている。獲得できなかったコースターが頭の隅に並んでいて、でもそれは床の間に置かれた高そうな掛け軸のように無視されている。否、その時の僕は全てを無視することができた。ひとつ無視できなくなるとあらゆる後悔の念や悲しみや切なさが堰を切ったように溢れ出てくる。それはもう誰にも止められない。勝手に横断歩道を無秩序に歩き回った情報たちのせいだ。

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