散る、会う、と。
湯河原に来ている。
朝、品川駅に集合して、昼は真鶴観光、
夕方ごろに湯河原の温泉旅館にチェックインした。
浴衣に着替えて、部屋でくつろぐ。
片手にはビール、周りには友達。
ああ、いいなあと思う。
「嬉しい。」
今日のランチのピザのあまりの美味しさに友人が発した台詞。
「美味しい」という食べ物に対しての感想の
その奥側にあるはずの「嬉しい」という感情がこぼれた瞬間の、
違和感と納得感が混ざり合った空気が、よかった。
確かに、何かについて冷静に語られる感想の何十倍も、
その時に湧き上がった感情の方が素敵だと思うし、興味がある。
真鶴観光では久しぶりにカメラを持って歩いた。
真鶴の見どころを案内してもらいながら、
街の雰囲気に癒されて、出会う人と話して、強い風にはしゃいで。
気になった時にシャッターを切ることもあれば、
なんとなく撮った写真の中に好きな瞬間を見つけることもある。
通り過ぎるだけの風景に、
それを切り取って記録する行為を並走させて、
それらが和音のように響き合う、心地いい時間だった。
と、今日を振り返りながら「いいなあ」と思う瞬間が
たくさんあったことにまた、いいなあと思った。
今回泊まった「THE RYOKAN TOKYO」の
サイトのトップページにはこのような言葉が書いてある。
風光明媚な相模湾を望むさがみの小京都・湯河原。
文豪たちが都会の喧騒を離れチルアウトするために
訪れていたこの温泉街で自分を取り戻す時間を。
チルアウトの意味は実はあんまりよくわかっていないんだけれど、
確かに今日は、東京にいる時よりも多くの感情が想起された気がする。
ご飯の美味しさをこんなに表すことも、
強い風にいちいち反応することも、
写真を取りながらハッと驚くようなことも、
いつもの生活ではあまりない。
「生きていると、いいことも悪いこともある。」
きっと間違いないその事実を、
期待でも諦めでもないトーンで話せるくらいには
いつのまにか大人になっていて。
そして、だからこそ、目の前にある感情を大事にしたいと思うようになった。
+100の感情と-100の感情があった時、
トータルの感情は0になるんじゃなくて200になる。
感情はきっと移動距離で、揺れれば揺れるほど積み重なって、
その総和が僕が生きたということになるんじゃないだろうか。
だから悲しいときは悲しんで、楽しいときは楽しんで、
その瞬間の感情にのってたどり着ける、
一番遠くまで行ってみたいと僕は思う。
東京での生活に不満はない。
それどころか、仕事に向かう時間も、友達と飲む時間も、すごく楽しい。
でもそこにいるだけでは出会えない景色や感情は確かに存在していて、
そういったものに囲まれていた今日は、すごく幸せだった。
時間も、曜日も、季節も、繰り返す。
何度目かわからない春の、
何度目かわからない土曜日の、
何度目かわからない夕方。
きっとただ通り過ぎるにはもったいなくて、
だからといって感想に終始するのも何か違って、
なんだっけ、こういうときは、そう、チルアウト。
友達と過ごすゆっくりとした土曜日が、嬉しい。
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「書く日、書くとき、書く場所で」という共同マガジンをやっています。今回は「チルアウト」を共通テーマに書きました。
読んでいただき、ありがとうございました!