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勝手にふるえている。
僕の見たもの、聞いた音、感じたことが、僕の世界だ。
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頭の中が誰かと共有できない以上、僕の世界は僕だけのものでしかなくて、それが誰かと異なっていたとしても決して責められることはない。
だから僕らは、自分の世界に手を加える。それは写真加工アプリを使って彩度を上げるような、余白をトリミングするような、そういった類の、うまく生きていくための加工だ。
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その加工によって、世界はさらに僕の中に沈んでいく。共有できるわけのない深さまでその世界を抱え込みながら、それでいてみんな同じ世界に生きているような素ぶりで僕らは繋がる。
そのやり方を僕らはいつのまにか身につけているし、マニュアルだって腐るほどある。そして、それらを駆使した結果、僕らは”孤独ではない自分”を誰かの視界に提供することができる。
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勝手に解釈して、勝手に決めつけて、勝手に好きになったり嫌いになったりして、世界は回る。僕の世界も、誰かの世界も。それは生きていくだけなら十分で、それでもきっと物足りなさを感じる時はいつか来る。
その時はじめて、自分の世界と誰かの世界の乖離に気づく。孤独であることを知る。その孤独といかにうまく付き合っていくか、が大切だと思っていたんだけれど、実はそれを埋める方法は一つある。
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作り上げたそれぞれの世界の上に立って、対峙する。わかりあいたいなんて動機はいらない、どうしてわかってくれないんだという純粋なエゴだけでいい。感情に任せて本音をさらけ出して、ノーガードで殴り合う。練り上げられた言葉じゃなくて、想いを文字が追いかけるくらいの必死さで。
思わず笑ってしまうような滑稽さがある。涙のようにこぼれ落ちる喜びがある。心臓が握られているような感覚がある。そして何やってんだろうの苦笑の果てに安堵が転がっている。
そうやって、僕らは、孤独から抜け出せるのではないだろうか。
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映画「勝手に震えてろ」をみて、そんなことを思った。ラストシーンがとてもよかった。
「言いたいことを言い合って、思ったことを伝え合う。」なんてあまりに陳腐な解決法だけれど、だからこそ、それに僕は憧れる。
コミュニケーションを諦めない。2018年はそういう年にしたい。
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