「責任の取り方」について
標記について。
ずっと長らくわからなかったです。だから他の人のためにも残します。
分からなかったのは、どうしてか。
それは、何かあったときに言われる
「責任があるだろ(取れ)」
と、何かある前の
「責任を果たす(取る)」
との『責任』は違うものを指している。それが分からなかったから。
前者は「この瞬間からお前に人権はない。気の済むまで好きなようにさせろ。異論は許さない」、難しくいうと「被可罰身分(造語)」であり、後者は「Responsibility 職務の遂行責任」「Accountability 説明責任」「Liability 負債=賠償責任」の集合体。
よく、死んで『責任』を取りたくなってしまうのは、前者の観点だから。
「生きていればあなたに償った後幸せな人生を送る可能性がありますが、私はそんな権利は許されていないので、その可能性を含めすべて放棄します」
ということ。
そして、これが「逃げだ」と叩かれるのは
「気のすむように好きにさせろ」
が叶っていない(自らの手で権利を断ち切ることができなかった)(または、自分の損を補填する賠償責任を放棄している)(あるいは、自分の納得のいく説明がなされていない)から。
なので、ある職を辞める意図としては
「自分では損を取り戻すという職務の遂行責任と賠償責任を果たせないから、それができる後任を提供します」
ということ、かつ、「自分の権利や立場を相手に断ち切らせる」ことで許しを乞うている。
だから「辞めて済むか!」という話は、話者と受け取り手にかなりのコミュニケーションのズレが生じている。
だから、
「責任を取れ!」
と言われた時には、その時点であなたの人権は「自分で死ぬ権利」も含め一切停止しているので、まずは相手に確認すること。で、幸運にも何か希望が出たらその通りにすること。
あれ、最初はだから「後者の『責任』を果たそうね」って前向きな話にするつもりだったのに、これだと結局「やはり死ね」といわれる結論が導き出されることになってしまった。