同調圧力から離れられた自分
こんにちは。大学生のあいけーです。
今回は僕が日本に住む中で、疑問に思う「同調圧力」について考えることがあるので共有したいと思います。
1つの意見として聞いてくれたら嬉しいです!
今思えば、大学に入るまで同調圧力だらけだった
この記事を書こうと思った理由が、ネットで同調圧力というワードを聞いたからなんですが、考えると自分は周りのことばっかり気にし過ぎていた時代があったなと感じました。
一緒に遊ばないと除け者だった小学生時代
なんか一緒に遊ばないと、もうその人とは遊ばないとかがあったような気がして、今更感じるのが、マジでしょうもないことだったなと思いました。
別に、遊ばなくてもいいし、自分が遊びたいとおもった時に遊べばいいじゃんと思うんですが、当時はそうもうまくいかなったんですかね笑
自分が派閥とかに属さずに、中間的な立場でみんなと仲良くすることが得意だったので、よく遊んでいたんですが、いま考えると大人数で遊んだりすることが苦手だったクラスメイトに対して、知り合いが陰口を言っていたことも覚えています。
ここで思ったのが、この経験を覚えているということは、自分がその立場になりたくないから無意識的に皆と同じ状況にいないといけない同調圧力を受けていたということです。
それは、中学や高校にも続きましたね。
意見が違っていることの恐怖があった中学時代
クラスの皆の前で発表する時や意見交換するときに、恐怖感をもっていたなと今でも覚えています。
よくあるのが、賛成や反対などを決める時の過半数で決める制度ですね。
ちゃんとした理由もないくせに、「こっちの方が良いから」みたいな抽象的な理由で決められたり、クラスの中のリーダー的な人が賛成だったらみんなが賛成みたいなしょうもないこともあったなと恐怖が出てきますね。
これを止めない教師に対しても、今考えれば適当に流していたんじゃないかなとは思いますね。
一生の付き合いではないんだなと気づいた高校時代
高校時代にこのクラスメイトとは一生付き合っていかなくても良いんだなとやっと理解することができました。
いや遅すぎやろ
と思われたかもしれませんが、僕には親交的な先輩などがいなかったので早く気づくことができませんでした。あと、自分がそんなよりも無意識的に同調圧力に負けていて、みんなと同じでないといけないと勝手に勘違いしていたことの方が大きいかもしれません。
人と違っていていいんだと思えたのは、高校生3年生頃だったので、遅過ぎましたが、自分だけ違う大学に進学することに決めました。それは、同調圧力から逃れられた瞬間だったかもしれません。1人で進んでいいんだということに気づけた。それが高校時代で1番の学びだったかもしれません。
自由に過ごした大学時代
いまも大学生ですが、大学生になってこんなに自分で自由に意思決定できる環境があるなんて、本当に最高だなと思えました。
1人暮らしもできる、バイトもなんでもして良い、1日中寝ていても良い、自分から行動して行事に参加しても良い。
最高すぎました。大学の知り合いに関しても、自分が本当に仲良くしたいと思った人にしか連絡しなくても良いし、自分にとって心地の良いコミュニティのみで過ごしていいなんて、、、
大学は最高すぎましたね。もうそろそろ終わりますが、、、
やっと同調圧力から解放されたと確信をもつことができました。
自分に共感してくれる人はいる
自分の考えや価値観を共感してくれるかたはたくさんいることに気づきました。
全然、自分を偽る必要ないし、むしろ全開に個性を出していってもいいんだなと思いました。
これを早く知りたかった!だからこそ、いろんな考え方・生き方を共有できる価値観を育てられる環境が必要だと感じました。
教育方針変えようぜ?
人間の成長において、幼少期の経験が大きく影響してしまうことを実感したので、教育方針を変えた方がいいんじゃね?と考えるようになりました。
まずは、いろんな意見を言えるディスカッション形式の授業や、外部から講師を招いて特別授業をしてみたいり、こういったことを小学生時代から取り入れることで、多様性が身について、同調圧力という無意味なものがなくなっていくんじゃないかと思います。
最後に
長くなって、わかりにくいかもしれませんが、ぼくの考えを共有しました。
同調圧力によって個性がなくなってしまうのは本当に良くないと思うので、皆の個性や多様性を成長させられるような教育になってくれれば、このピンチな日本を救ってくれる人材が生まれると信じています。
僕も頑張ります。
ありがとうございました。