計画された偶発性 ~進路指導を考える〜
人生は選んだ人生と、選ばざるを得なかった人生の二つに分けることができるとして、選ぶ人生を良しとする進路指導があると思う。
しかし、すべて選ぶことができる人生などない。選ばざるを得なかった人生を、どう豊かにするのか。ここの進路指導は、必要だ。
幸せな人生を送っているように見える方は、後者が多いような気がする。
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と書いたところ、友人の渡辺先生から教えていただいたのがこれ。
キャリア教育における、計画された偶発性理論というもの。
https://agent-network.com/column/workstyle185/?fbclid=IwAR1crKmmLcC0iFSAaKa4-gDzKzZXI4CeRpBn6txDjySwiDyhezsItZP3J0s
なるほど、理論があるんだと思った。
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私が中学生の頃、「中学校を卒業した女子がつける仕事は300種類ぐらいで、大学を卒業すると3000種類ぐらいある」という話を聞いた。結論は、「だから大学まで進学すると進路の可能性が広がる」というもの。大きいことはいいことだの時代の風を受けてのことだろう。
それは社会が右肩上がりだった頃の話。
もちろん、今だと仕事の種類は6000とも7000ともあって、やはり大学に進学して資格を得ることで就ける仕事はあるし、そういう仕事は高収入であることも多い。
ただ、そう簡単にはいかない。
基本的にその人が就ける仕事は一つ。もちろん、矢萩さんのうような天才は別。あれこれする。しかし、通常は一つであり、それが私のように中学から大学へと変わったり、授業者から管理者へと変わったりするのはあってもなかなか別の仕事をやるということはない。副業が認められるようになっても、それはそうであろう。
だから、可能性が増えるということはあっても、実はその可能性を生かせるかどうかというのはまた別なのだ。
中学の担任をしていた時に、
「江戸時代はいいなあ」
という生徒がいた。なぜかと問えば、
「だって、生まれてきた時に仕事は決まっているから、選ばなくていいでしょ。面倒でない」
というものであった。びっくりした。自分の努力で自分が好きな仕事に就けることをよい社会として目指してきたのに、そんなのはいらないという子供がいたことに。
しかし、確かに、まだよく分からない仕事の世界に対して
「将来あなたは何の仕事につきたいのですか?」
と言われても分からないというのが正直なところであろう。仕事の種類はどんどん増えるし、また、どんどん減っていくのに。
さらには、一方で、不登校や引きこもりという話を考えると、この進路選択の仕方も原因の一つになっているのではないかと思えた。つまり、早くに一つに目標を決めてしまうと、それがかなわなかった時大変だということだ。
3000の仕事の中から一つを選ぶ。自分の意思で選べたならそれはすごいが、まあ、親の希望であることが多いのではないかと思う。で、一つを選んだのだが、それがかなわない。それは自分を全否定したくなる。
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そこで生徒に話していたのが、好きなものを選ぶのではなく、ダメなもの取り除くということである。
つまり、3000の仕事の中から、どうしても自分には合わないというものを取り除く。例えば、生き物にさわれないのに、獣医、医者、魚屋などはなれない。そうやってダメなものを規準にして、自分には向いていない仕事を考えるのだ。
例えば、向いていない仕事が500あったとしても、可能性は2500ある。一つの可能性に絞っていくより、いいのではないか。
そして、その2500に対して、なんとなくこっちの方向の仕事がいいなあと緩やかに方向を決めて、それに関係することを学ぶ。そして、そこで出会う何かを受け入れて、自分を前に出す。これを繰り返していくと、方向性は出る。その先にあなたが興味があって、あなたを必要としてくれる仕事に出会えるのではないか?
こんなことを進路指導主任の最後のあたりに話していた。
ま、私の人生は、これとセレンディピティで作られているようなものなのだけれども、なんだか自分のものを一般化してはまずい気がして、恐る恐る言っていた。けど、よかったんだねえ。
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計画された偶発性という言葉を知っていれば、もう少し上手く説明できたかもしれないけれど、多分、同じような子ことを話していたと思う。自分の考えが裏打ちされるってのは、嬉しいねえ。
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