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竹内常一先生との出会い
昨日は、恩師、竹内常一先生の命日。学生時代、仕事を始めた時、そして仕事を続けているずっとの時間を支えてくださった先生がいたというのは、本当にありがたかった。
ゼミの卒業生たちと一緒に、追悼文集を編んだ。
Googleドライブに共同編集で文章を集めた。
私も数編書いた。
私の書いたものを一つあげておこうと思う。
ーーー
「金曜日は、塾のアルバイトだったよな」
國學院大学にはゼミがなかった。今はあるかどうか分からないが、私の頃には、単位の出るゼミはなかった。大学といえば、ゼミというイメージがあったから、ちょっと悲しかった。だけど、そんなに勉強が好きではない私にはちょうどよかった。
先生の授業、そう教育方法2だったと思う。
3年生の最後の授業の時、授業後、先生は黒板に書かれた。
「来年度、教育のゼミを金曜日にやります。希望者は申し込むこと」
のようなものだった。
勉強は嫌いだったが、先生の授業は好きだった私は、話を聞いてみたいと思った。
「あの〜、来年度のゼミのことなのですが」
と聞いてみた。
すると、
「池田は、確か、金曜日は塾のアルバイトがあったよな」
と言われた。
をい、ちょっと待て。
なんでそんなことを知っているんだ? 私、そんなことどっかで先生に話をしたっけ? 確かに授業後に、あれこれ質問したり、自分の考えをぶつけては投げ飛ばされてはいたが、そんなこと話したかなあと思っていた。
しかし、確かに金曜日は塾のバイトがあり、来年度も金曜日から変わることはなさそうで、ゼミに出たいなあと思っていたがのだが、ちょっと無理かなあと思っていたところ、
「それじゃあ、水曜日もやるか。人数も多そうだしなあ」
との言葉があった。
え、そんな。そりゃあ、参加しないわけにはいかない。というか参加したい。
◆
私の勤務校の大学では、一回生からゼミがある。単位の出るゼミだ。このゼミを通して、学生たちが大学での居場所を得られるように設定している。また、大学での学び方を教える授業をしている。実に丁寧だと思う。
私たちの頃の國學院大学は、放牧してくれていたと思う。私はそれが大学の良さだと思うし、放牧されている心地よさを感じていた。
しかし、先生は放牧されている私を見ていてくださっていた。多分、放牧されて崖から落ちそうになっているのを、落ちているのを見つけてくれていたのだと思う。
今、大学の教員をしていて、一週間に2回、学生の自主ゼミに付き合うなんてことはとても考えられない。
「まあ、今とは忙しさが違うからできたんだよ」
と先生はおっしゃると思うが、それにしても信じられない。
◆
だけど、本当に思う。
大学は、ゼミだ。
それも、あんなに勉強したのに、単位が出ない、自主ゼミこそが大学なのだと思う。
「池田、大学は、公園のようなものであるべきなんだよ。市民がふらりときて授業に参加して、ゼミに参加して学ぶ。学び合う。ただし、市民は単位は出ない。税金払っているんだからそのぐらいあっていいんだよ」
先生はそんなふうにも話してくださった。学びたいものが必死に、学びたいことを学ぶ。単位が出るとか、成績が優だとかそういうことではないのだということを学んだ場所が、竹内ゼミだった。本当に、あの時参加しなかったら、私の人生はどうなっていたのかと思う。
私はこうして竹内ゼミに入った。入れてもらった。
ーーー
先生、そちらはどうですか。
こっちは台風が過ぎて少し、涼しくなりました。
今、先生が若い頃されていた非常勤先の大学で、先生が担当されていた授業を、私も非常勤で担当しています。
夏も、そろそろ終わりそうです。
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