見出し画像

浦幌にふれたら学びが溢れたって話。



学びの旅を始めて5か月目に突入した8月。

わたしが3か所目に選んだ場所は北海道の東部にある「浦幌町」というところだった。



滞在先の前後で「頭と心を整頓する」という作業を行っているから、浦幌に1か月滞在した今のタイミングはちょうどいい。道東の地で自分の感じたこと、学んだことなどをただただ徒然なるままに書き連ねていこうかと思う。



いけだは何しに浦幌へ?


まず「なぜ浦幌へ来たのか?」という理由について。

大きくわけると2つあるんだ。

1つは、3月の東京で旅を始める直前のわたしが出会ったありささんが、浦幌でゲストハウスのスタッフになるという話を聞いたことだった。
1回しか会っていないけれど、親しみやすくて居心地のいいありささん。彼女が浦幌に生活拠点を移す決断は、きっと勇気のいることだったのだと思っていたんだよね。そんな風に勇敢に一歩踏み出したありささんがステキだなぁ…と思っていたから、これは会いに行きたいって考えてた。それがちょうど夏の滞在先のタイミングに合ったこともあって、ぶっ飛んできてしまったわけなの。



そして2つ目は、福井で学んだことでもある
「主語が大きいことで考えず、もっと手の届く範囲から行動する」ということを私なりに行動に移してみようと考えていたからだった。

わたしという人間は、気づけば「こういう社会は嫌だなぁ…。こうなればいいのにな。」って理想ばかりを考えてしまいやすい。今もよくあって反省する。

私がいつも考えてしまうのは、生きることで精一杯な世の中だったり、安心して生きられる場所が保証されない社会についてとか。

だけど、どんなに憤りを感じていても何かできるわけでもなかった。ただただ空中戦な考えに終わっているのが今のわたしの現状。

そんな時、ある本を読んでいたら
「うんうん、それはわかったからあなたは何をしたの?」というセリフが目に入った。ぐさり。

頭や口では理想を語って、現実問題行動には移せていない自分にとって、そのセリフは痛すぎる指摘だった。




(とはいえ、わたしには何ができる…?)


そんな問いに、じっくり思考を巡らせても何か大きなことができるわけもなかった。




社会の生きづらさを少なくしていけれたら1番いいけれど、わたしのできることは、もっともっとスケールの小さいことでしかない。

そして考え抜いた結果

「これまで関わってきた人達の顔の見える範囲で、少しでも気持ちが綻ぶように文通や、会うなり話すなりして、ときどき気に掛けること。
あとは身近な人が一息つけて、生きやすくなるために、自分のできる範囲での経験を増やすこと」だった。

いつでも駆けつけられたり、疲れたでしょ休んでて!って椅子を用意できるような、いわばお手伝いのプロみたいになりたいって考え始めていたんだよね。結構本気で。

別にかっこいいことなんてできなくていいから、友達が、家族が、これまで関わってきた人たちがこれから関わる人達が、こころを緩められる時間なり、空間なりを生み出せる自分でありたい。

そんな風に、身近な人のため息を1つ分でもいいから減らせられるような経験を積むことがヘルパーをするにあたっての目的でもあった。


私から見た浦幌


ここで一息。

わたしのレンズを通した浦幌という町について書こうかな。



浦幌は「みんなの町」という意識が強くて、地域の問題を自分ゴトとして捉えている人が多い。

なんたって地に足つけたかっこいい大人が多いからさ、その背中を見ている若者たちも「浦幌がすき」っていうんだぜ。



そんなにナチュラルに笑顔で自分の地域を
「すき」といえるなんて。
今だから言えるけど、鳥肌が立つほどに衝撃を受けた記憶がある。

もちろん地域の未来への危機感とかもあるのかもしれない。でも、ここまで自分たちの生きる場所をみんなの力でどうにかしようという意志があるのは、なんともナイスだった。ほんと1つのチームみたい。




でも。

”なんでそんなに町のためにできるのかな?”と疑問には感じていた。

1ヶ月滞在した今,この問いへのわたしなりの答えをいうと、

“そこで生きる人たちの顔が浮かぶから”
なんじゃないかと思っている。

「この子たちがこの先も帰ってきたいと思える場所になるように。」

「あの子たちが浦幌を誇りであってくれるように。」

行動の先に浮かぶ顔がある。
だからなんとかしたいと思えるのではないだろうか。

密度の濃いコミュニティは悩ましいことでもあるとは思う。でも生きるのには、この先何かを継続させていくには、きっと必要。

こんな風に、顔の見える関係性を十分に活かして次世代へ繋ごうとしている人の多い、スーパーかっこいい町だった。


ハハハとわたし

さて、お世話になったハハハのことに戻そう。

ヘルパーとして滞在したハハハホステル。



オーナーの小松さん、スタッフのありささん、
小松さんのパートナーりかさん、そして2歳のあらたくん。そんなほっこりーず4人がスタメン。


私はもう1人のヘルパーのふみかちゃんと、最後らへんにはりりかちゃんと、楽しく過ごしてた。(かわいくてかわいくておばさんは毎日こころがホカホカでしたらぶ)



そんなハハハではどんな学びがあったか。

結論からいうと、日々自分との闘いだった。

人が常にいる空間に慣れていないという事実と、どこかのコミュニティに入るのが苦手人間だということと、初対面の人達に対する警戒心があるということと、コミュニケーションのキャッチボールがうまくできないタイプだということと…

何日か過ごしてて、「あれ?これは私の苦手な領域に足を踏み込んでしまったのでは?」とまあ、開始早々ラスボスに遭遇した時みたいな面持ちではあったよね。

*浦幌滞在当初のいけだの内面イメージ図




自分の変えられないものを受け入れる受け皿があったとしても、毎度それらと向き合わざるを得ない状況にいると、けっこうきつい。

自分のペース、、ペース、、、、。と呼吸を整えていても、どこかしら緊張してしまって、楽しみたいのに楽しむことのできない自分に嫌気がさしてた。

ひとつだけいう。誰かと話したり純粋に楽しむことができるのも、ひとつの才能だ。

わたしはみんなが当たり前にできそうなことがとても苦手だったから、強くそう思った。

楽しもう!ってのも案外うまくいかないもんだ。むずいな……。まぁそんな自分のことを学んだからいい発見だよな。

だけどね、ちょっとしんどいぞ?って中にも楽しさがあることにも気づいたんだよね。

ハハハという密度の濃い場所にいたからこそ、人の温かさに触れて今までで一番、別れが寂しいって感じたのも事実で。

これまでは、しんどいなあというものには、しんどさしか含まれないと思っていた。でも苦しさの中にも楽しさがあるんだ。

プラス要素にもマイナスな部分は含まれていて、マイナスな要素にもプラスな部分は含まれていて。

きっとそれらがどちらもあるから、物事は成り立っているし、人生なんだ。

私は多面的に物事を捉えることを大事にしていても、結局自分のこととなると、自分のめがねで偏ってものをみてしまう。

“頭では大事にしていたこと”を、経験を通じてあらためて学び取れた。

ありがとう、ハハハヘルパー生活、、、!愛。



これからについて


私は今年からずっと大切にしている価値観がある。

それは

「先の不安や、不確かな未来のために今の時間を消費するんじゃなくて、いまの自分に目を向けること」というものなんだけど。

今の私はというと、その価値観を尊重しつつも

(でも少し先のことも頭に入れなくては。)

と、”今とその先”がぶつかり合っている間にいる。

これまでの旅は、その時の私にとって、ただワクワクする波に乗って過ごしていけたのだけれど、半年ほど経ったいま、少し地に足つけながら波に乗るスタイルに向かっていきたいとも思い始めているんだよね。

「うんうん、それはわかったからあなたは何をしたの?」

この言葉にハッとさせられたおかげで、

「自分が手の届く範囲内で行動としてうつす」
ということを、旅をしつつもしっかりと取り組みたくなってるんだ。

私は、人の繊細な部分に寄り添うために、自分なら何ならできるかを行動としてうつしていきたいという気持ちがある。

手段はわからないし、もはやこだわるつもりは一切ない。

こうしたい、こうしたい、と言ってばかりじゃなくやってみる。その勇気がまだ踏み出せてないからそのフェーズに移っていこう。

つまりは「やってみたらええやん」ってことだね。

やってから考えればいいし、つべこべ考えず、まず始めてみなさいよわたし!

という決断に至ったわけだ。


こんな感じに浦幌も大好きになって、ハハハでもいい気づきや学びがたくさん吸収できて。

ここでnoteを書いている今も本当にしあわせ。

次の一歩へギアを入れられるような人と町に出会えて最高だ。


また来るぞ!






いいなと思ったら応援しよう!