旅のゴールはどうする?@岡山滞在記


「うわあ、ついに来てしまった。」


1月からの舞台は岡山県へ。
岡山駅の西口からスタスタと奉還町商店街を歩き、次の滞在場所へと到着した。初めてといえるくらい、地元の人の生活の一部であるような商店街らしい商店街だった。しかも活気があるようにも思える。

その中に位置する「とりいいくぐる」というゲストハウス。ここが今回のヘルパーとしての滞在場所だ。何を見られるのか、感じられるのか。ソワソワしながらの生活がスタートした。


今回とて、あくまでわたしのレンズから見たものばかりです。実際にその地に足を運んでみることでしか感じ得ないものばかりなので、このわたし主観の情報だけで判断せず、ぜひ訪れて自分の肌で感じてみてくださいね。


岡山という場所



駅へ降りて、商店街を歩いていた時にふと感じたことが、

「纏う空気感がおだやかでやわらかい」というものだった。

人は場所場所によれど、空気感が心地いい印象を初日から感じられるのはなんだか不思議。

多分この空気感は、世の中のペースに惑わされない視点を持ち合わせている人が多いというところに関係している気がする。

まちの作り方や、お店の作り方、空間の作り方それらはすべて中の人を本当によく表すもので。

何を大事に残し、どんな価値観を持っているのか。そして何を表現したいのか。

わたしが訪れた範囲内にはなってしまうのだけれど、「自分たちにとって大事なもの」に迷いがないの。清々しいくらいにね。

変わりゆく社会が求めるものに従順になるよりも、自分達の世界観を大切に表現していた。

写真より今自分がいる時間や空間をもっと味わってほしい、というこのカフェの願いを見た時、ほんとにハッとした。



ある喫茶店ではね、
元気100倍マスターが、

「見えるものだけじゃなくて、見えないものにこそ気を遣わんと。」

って、そこの喫茶店で何を大事にしているかについてたくさん聴かせていただいた。


人となりというものは全てに滲み出る。
お店に限らず。食べものにも、空間にも、言動にだって。

迷いなく大事にしているもの、それは自分の「暮らし」なんだろうなと、このマスターと話していてじわじわと受け取った。



商店街で立ち話をしているおばあちゃんたち
河原で会話しながら散歩する人たち



カフェや喫茶に限らず、
誰かとの時間、そして自分との時間を大事にできるような雰囲気がそこかしこで見受けられた。


どこへ行ってもあらゆる場所で、パソコンやスマホばかり開いている人たちのいる環境が当たり前だった私にとって、そういうデジタルなものから距離を置く時間が取れているこの場所は、心にも余裕があるあらわれなのだと感じ取った。


「自分たちの足元にある何気ない生活が大事だもの。」

そんな風にみな言っているようだった。


昔から紡がれてきた価値観の数々が、今もなお続いている、そんな生活の匂いがする場所。


とりいくぐる

最近ゲストハウスにこだわりをもっているのは、人の居所を考えていたからなんだよね。

ここにいたら誰かいるみたいな、こころの孤独を抱えやすい人たちのひとつの可能性になりうる場所だと思った。


とりいくぐるのゲストハウスとしての立ち位置だったり、働いている人、集う人たちの考え方にすごく感銘を受けるものが多かったから、書いていくぞー!


類友にならないように


とりいくぐるは別で姉妹店にラウンジ・カドという場所があるのだけど。


そこでイベントが開かれることもしばしば。

わたしさ、色んなところに居ながら毎回モヤついてたものが、またここのコミュニティ内かいな、、、ってなる感覚だったんだよね。

集う人の循環のなさというか。
「つながっている」という世間の狭さは嬉しさも覚える一方、私にとって残念感が否めなくなってもしまう。

また同じだ、同じような顔ぶれだ、同じような会話だ…(笑)

つまらないぞバロメータが急上昇している感じ。


オーナーさんによると、その状態になるべくならないように、自分たちの興味の範囲内外関わらず、多様なジャンルの人たちをカドのイベントへ受け入れているようなのだ。ス、スゴい、、、!


居場所への想いや工夫


とりいに滞在してほんの少し日が経った頃、まさかの前のオーナーさんたちと数日過ごす機会があった。

わたしにとって彼らに出会えたのが、めちゃくちゃに好運だったと思ってる。

なんたって、とりいくぐるにおいてのゲストハウスのあれこれを教えていただいたから。

その中でも1番印象に残っているものは、

「内輪ノリを極力しない」というもの。
ゲストハウスに限らず、私が場所において居心地が悪くなる要素の一つがまさにこれでもあったんだよね。

知っている人同士で固まって、外部の人がここにいて大丈夫かな、と思ってしまうあの時間や空間。

”スタッフ同士で固まらずに、なるべく輪をゆるめておき、いつでも入ってこれる形にしておくこと”


人との距離感をほどよく保ち、落ち着ける場所への工夫を、見えるもの・見えないもの関係なく1つひとつ意識されてきたんだと思うと、尊敬する。

もっと学んだことも多いけど、キリがないのでここでストップ。zineを作る際に、もうすこしかこうかな。


旅は終わらない


ここからは私のことを。


これまでは、次の行先に乗り込めばよかった私の学びの旅。


だけど、いつまでもこういう生活をしていたいわけではない。

“では、一区切りをつけるとしたら?”

わたしはどうしたいのか、どんな選択が自分にとってひとまずの区切りにふさわしいのかを考える毎日だった。

いろんな情報を吸収しやすいわたしにとって、他人の意志と自分の意志が混合し、自分がどうしたいかがわからなくなる状態も少なくない。

そんな時、宿でお会いした方の

すべてのこだわりを取っ払ったとき、わたしはどんなところへいたいと思うのか。

という言葉を思い出したんだよね。

「あっ。」

色んなことは頭をよぎるけれども

1番は自分が居るのが不安と思わないところにいたい、そのように思った。


つまりは”私にとっての生きていきやすい場所にいる”こと。

はい、これ大事!!

誰かの生きやすさに力添えしていくのが自分の使命と思いつつも、自分をケアできていない人がそんなことしようだなんて、おこがましいよな。

まずは、自分が落ち着ける場所にいることが大事。それが一区切りのゴールだと思った。

決断に何かしら割り切ることは必要でも、ここは妥協できないなと思う。


そんでもって、自分にとってのそういう環境は肌で感じないとわからない。


ということは…

また動き回り、人と場所と出会っていく日々には変わらない、と言うことだ…。(oh)


どこかに滞在する学びの形は一旦終わりを迎えど旅はつづきますね。


もう少し修行が続く気しかしないな。

(鍛錬、鍛錬。私は竈門炭治郎…)

ここに詳しくは書かないけれど、またちゃんと伝えていきたいな。


あともうひとつ。

私にとって必要だと思える場所(空間に限らず)なくない??

って気持ちが増幅し、もう創るしかなくない??とも最近思うから、そこもほどほどに始めていこうかと思っている所存でございます。小さくともコツコツとね。

わたしの尊敬する人が

「人生は行動した通り」と言っていたんだよね。

うまくいかないかもしれないからやらないとかいっててどうする。うまくいかないかどうかも、一歩踏み出さなきゃわからないじゃないの。

所詮、人生は思い通りにならないことの方が多いのだし。

なーんて考えながら、動き回る準備を進めてる今日この頃なのでした。


だんだんと乱文になってはしまったのだけど、岡山滞在記はここまで。

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