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【小説】三年目(13)落語少女の進路希望

 三年生になった途端、先生たちは将来の夢や進路の話をよくするようになった。
 耳にタコができるくらい聞いたのは、「努力すれば未来は拓ける」とか「苦労は必ず報われる」とかいう言葉。これって、どんなに努力しても夢を叶えられなかった人たちの存在を無視した、残酷なものだと思う。努力しなくても生きていれば未来は勝手にやって来るし、苦労した人が悲劇的な最期を迎えることだってある。義務教育最後の年なんだから、子ども向けのきれいごとなんかじゃなくて、思い通りにいかない人生を生き抜くすべを教えてほしい。

 四月の終わり、ホームルームで進路希望調査の紙が配られた。その瞬間、クラスの中に変な緊張感が漂った。
 なりたい職業なんて、私には何もない。最低限、生活できる金を稼げれば、どんな仕事に就いたっていいと思う。ほどほどに働き、休みの日にばあちゃんちで落語を楽しむ生活が出来れば、それでいい。
 
 今年も運良く、美香ちゃんと同じクラスになった。休み時間のたびに、二人で話した。
「美香ちゃんって、進路決めてる?」
「うん、なんとなく。うちから自転車で通える港高校にしようかと思って」
「本当に?  私もそこを受験しようと思ってた。受かったら、また一緒に過ごせるね」
 港高校は、近隣の高校の中では、比較的難易度が低めの公立高校だった。
「卒業後のこと、考えてる?」
「医療事務の仕事に就きたくて。専門学校まで行けたらなあって」
「そっかぁ…。医療系の仕事だったら、どこでもお仕事ありそうだもんね」
「萩ちゃんは?」
 彼女の問いかけに、内心戸惑いつつも、つい最近思い立ったことを伝えた。
「私は、高卒で公務員試験を受けようかなあって」
 色々と考えた結果、とりあえずは地元で公務員を目指すことにした。余程の事をやらかさない限りクビにはならないし、地元にいたい私にはうってつけの職業だと思う。それに、地元のために仕事ができるって、素敵なことだ。ただ、一番の理由は、公務員として働いていた父に、憧れを抱いているからかもしれない。
「へえ。公務員は安定してるらしいもんね。家族も喜ぶんじゃない?」
 優しく微笑みながら言うのを見て、ほっとしている自分がいた。
 
 学校で美香ちゃんと進路の話をした日の夕食後、進路希望調査の紙をお母さんに手渡した。
「お母さん、これ、進路希望調査の紙なんだけど。今度、三者面談があるでしょ? 面談前に、親御さんと話して、記入しときなさいって」
「萩ももう、将来のことを考える時期になったのね。なんだか感慨深いわ」
 そう言って、お母さんは目頭に手をやった。お母さんの目に浮かんだ涙が、私が大きくなったことへの安堵なのか 、それとも自分の苦労を思ってなのかは知らない。こういうときのお母さんは、相手にするのが面倒だ。無視して話を進めることにした。
「私、港高校に進学したいの。高卒枠で公務員試験を受けようと思って」
 港高校は進学組と就職組にクラス分けされ、卒業と同時に就職する生徒へのサポートも手厚いと聞いていた。実際に、港高校から地元の市役所に就職した実績も多数ある。
 娘に進路希望を伝えられたお母さんは「高卒枠で公務員…」と小声で言うと、目を丸くして固まってしまった。予想外の反応に娘が戸惑っていることに気付くと、はっと我に返って話を始めた。
「ああ、ごめんね。きっと萩は『将来は落語家になるんだ』って言うと思ってたの。だって、部活も勉強もそっちのけにするくらい、あなたは落語が大好きでしょう? 落語家になりたいと思ったことはないの?」
「落語は大好きだよ。でも、地元を離れて修行して落語家になるっていうのは、なんかしっくりこない。私、地元で暮らしたいし、自由に落語をやりたい。仕事として落語をやるようになったら、そんなこと許されないよ」
 私の言葉に納得できない様子の母は、更に言葉を続けた。
「落語家を目指さない理由は分かったわ。でも、なんで高校卒業したら公務員になりたいの? 地元で働きたいなら、他にいくらでも仕事はあるでしょう。あ、お金のことは心配しなくていいのよ。萩が大学に行けるくらいの蓄えはあるから。専門学校に行って何か資格でも取って、専門職に就くのもいいわね」
 きっとそれがいいと繰り返し、変に明るい声で言った後、少し間をおいてから、「公務員は、やめときなさい。いろいろしんどいよ、きっと」といつになく真剣な表情でつぶやいた。
 反対されるとは微塵も思ってもいなかった私は、反抗的な態度で突っかかった。
「私、地元の公務員になりたいの。地元の人のために働くことができるって、素敵なことでしょ? それに、お父さんみたいになりたいの」
 語調を強めた私に対して、お母さんは「やめときなさい!」と怒鳴った。
私よりも驚いた顔をしたお母さんは、荒い呼吸を整えるように深呼吸を繰り返してから、再び口を開いた。
「こんな田舎の公務員になったらどうなるか、分かってるの? 理解できない言動をするような、面倒な市民とも向き合わなきゃいけない。嫌みな零細企業の小金持ち、話の全く通じない貧しいジジイやババア。話すだけで疲れる相手ばっかりよ。あなた、ちゃんと仕事できるの?」
 普段の優しい姿からは想像できないほど、下品で、汚い言葉に、ショックを受けた。まるでばあちゃんが乗り移ったようだった。
「…ばあちゃんみたいな意地悪、言わないでよ」
 ばあちゃんの話題を出すと、案の定、お母さんは苦虫を嚙み潰したような顔をした。このまま口を閉ざすかと思ったが、続けて諭すようにゆっくりと話を続けた。
「私はお父さんが仕事で苦しんでるところを、何回も、近くで見てたの。萩には同じような目にあって欲しくないのよ。
 父の苦しむ様子が頭に浮かんできて、何も言えなくなった。
 その様子しばらく見つめた後で、お母さんは「まあ、好きにしない」とだけ言うと、部屋から出て行ってしまった。取り残された私は、まだ何も書き込まれていない紙を無言で見つめるしかなかった。
 
 お母さんと進路の話をした翌日、ばあちゃんに前日の出来事を話した。きっとばあちゃんは私の味方になってくれると思っていたからだ。
私がリビングで話をしている間、ばあちゃんはずっと眉間にシワを寄せていた。興奮して要領を得ない語りにも、ずっと耳を傾けていた。
 一通り話が終わると、ばあちゃんはいつもの顔で「公務員なんて、目指さなくたっていいじゃない。今は、女だって落語家になれる時代だよ。もっと夢のある仕事を目指しなさいよ」と言った。
 予想外の言葉に、私は大人げなく言い返していた。
「公務員だって夢あるじゃん。地域の人のために働けるなんて、すてきだよ。それに、お父さんも市役所で、立派に働いてたんでしょ?」
 ばあちゃんはぼんやりとした顔をして、「そうだね。萩ちゃんの好きにしなさい」とだけ言うと、リビングから出て行ってしまった。たぶん、お酒を取りに行くのだろう。
 逃げるように去っていく後姿を見て、この話を続けるべきではないと思った。ばあちゃんが戻ってくる前に、カセットテープのある部屋へ行き、いつものように落語を聴くことにした。

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池田はまな📝🧶
読んでくださって、ありがとうございました。またどこかでお目にかかることを、楽しみにしています。