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【小説】エシカルな私たち ⑩(農業バイトとの出会い)



 
 エシ研の解散後、二回生になると、出かけるのは大学とバイト先の安井弁当店、近所のスーパーくらいになった。代わり映えのしない、味気のない日々を過ごしていた。
 いつものようにバイトへ行き、何事もなく仕事を終えた。帰り支度をしていた時、めぐみさんが、しかめっ面をして、腰をさすっていた。
「めぐみさん、どうかしたんですか?」
「イタタタ…。実は、ちょっと腰を痛めてもうて」
「大丈夫ですか?良かったら、私、店番やりましょうか?」
「ええよ。今日も大学あるんやろ?早う、行き。大丈夫やから。アイタタタ…」
 大丈夫と言いながらも、めぐみさんは腰の痛みで顔を歪めた。
「めぐみさん、それって、必殺大丈夫ですか?」
「あははは! アイタタタ…。桃子ちゃんに、そんなこと言われる日が来るとはなぁ。じゃあ、頼んでもええか?」
「はい。大学なんて一日くらいサボっても大丈夫です。上手く出来るか、自信はありませんが…」
「大丈夫 !あんたならできる。これはれっきとした、大丈夫や」

 見よう見まねで、注文のあった弁当の準備、掃除、開店準備をした。
 レジ係として店頭に立つと、最初に、主婦らしき中年女性がやってきた。
「いらっしゃいませ」
 女性は軽く会釈をすると、迷わずに弁当を一つ手に取り、レジにやってきた。心臓はバクバク鳴っているが、急いで値段を確認した。
「…千四百円です」
 彼女は千円札と五百円玉を差し出した。初めての接客で緊張してしまい、お釣りを出すのに手間取った。
「…お釣りの百円です」
「おおきに。今日、弁当の空き箱、忘れてん。今度持ってくるわ」
 お客さんは微笑みながら帰っていった。
 その後も断続的にお客さんがやってきたが、緊張しながらも、なんとか仕事をこなすことができた。

 正午前に、めぐみさんが店にやってきた。
「おつかれさん。お昼ご飯に好きな弁当、選んで食べて」
「ありがとうございます。腰、少しは良くなりましたか?」
「湿布貼ったけど、ちょっとアカンみたいやわ」
「じゃあ、ご飯食べたら、またレジやります」
「ホンマに? 助かるわぁ。桃子ちゃんがおって良かったわぁ。時給、ちょっと上げとくな。悪いんやけど、午後からは、野菜の配達で人が来んねん。対応、お願いできるか?伝票もろうて、持ってきはったのが合ってるか確認するんやけど」
「伝票と持ってきた野菜の確認…やってみます」
「大丈夫?まあ、間違ってることはほとんどないから、適当でええよ」
「はい。頑張ります」
「頑張らんでもええよ。適当にやり。さあ、ご飯食べておいで。その間は私、おるから」
 めぐみさんに促され、店を出た。店の近くにある公園で、急いで昼食を食べた。食べ終わると急いで店に戻って、店頭に立った。

 しばらくすると、店の前に一台の軽トラがやってきた。運転席から降りて店に入ってきたのは、見覚えのある男性だった。
「こんにちは。めぐみさんいないんや。君、バイトの子? あれ? お嬢ちゃん、どっかで会ったことある?」
 目の前で私を凝視しているのは、エシ研の活動で出会った、有機農業を営む藤原さんだった。
「めぐみがさんは、ちょっと腰痛で…。あ、私、バイトの山野です。実は、一年前くらいに、サークルの活動で畑を見せていただいたことがあるんですけど…」
「ああ! あの時の。奇遇やなぁ。ここでバイトしてる子って君か !めぐみさんから、よう聞いてるわ。朝早くから遅刻もせずに、仕事も丁寧にやってはるって」
 褒められることに慣れていなくて、顔が赤くなっていないか不安になった。
「まだ農業に興味ある?」
「あ、はい。知識も経験も、全くないですけど」
「もしよかったら、うちでもバイトせえへん? 収穫が重なる時期は、家族だけじゃ手が回らんのよ。まあ、無理にとは言わんから。あ、これ、今日の配達分と伝票。ほな、まいど」
 早口で言うと、藤原さんはすぐに店を出て行った。思ってもみない突然の提案に、私は何も返事ができなかった。

 エシ研での出来事や藤原さんの言葉を思い出しているうちに、閉店の時間になった。
「おつかれさん。ほんま、ありがとうな。助かったわ」
「いいえ。めぐみさんにはいつもお世話になっているので」
「嬉しいこと言うやん」
「いつも野菜は配達してもらってるんですか?」
「せやで。うちは地元の食材を使うようにしてんねん。やから、地元の生産者さんに野菜を配達してもらってんねんあ、唐揚げ弁当と卵焼き余ってる。良かったら、持って帰って」
「わあ、嬉しい。ありがとうございます。お弁当、ちょっと余っちゃいましたね」
 気を遣いながら言うと、めぐみさんはゲラゲラと笑った。
「せやねん。うちは安井弁当店って名前やけど、全然、値段安くないやろ?安い外国産の食材やなくて、地元のええ食材を使ってるからやねん。私は地元のええもん使って、うまいもん作って、商売したい。数少ない常連さんのおかげで、なんとかやってる。まあ、多少は売れ残ってもええねん。近くの児童養護施設に持っていって、食べてもらってるから」
 いつもにこやかな表情と違い、真面目な顔でめぐみさんは言った。弁当店の仕事を、真摯に取り組んでいることが伝わってきた。
「徹底してるんですね。でも、せっかく作ったお弁当を、タダで手放しちゃっていいんですか?」
「ええねん。ちょっとくらい、社会にええことしたいやんか。ええもん使うて、美味しいもの作って、ぼちぼち稼げたら、それでええねん。そんで食べ物は粗末にしたくない。それだけや。あ、もうこんな時間や。早よ帰り」
 余ったお弁当をもらったお礼を言って、家に帰った。その日はクタクタに疲れてしまって、もらったお弁当を食べて、風呂に入ると、すぐに寝てしまった。

 
 腰痛のめぐみさんの代わりに店番をした日から、掃除やレジの作業なども手伝うようになった。それと同時に、藤原さんに会う機会も増えていった
「こんにちは。あ、今日は桃子ちゃんおるやん」
「なんや、藤原さん、桃子ちゃんのファンかいな?」
「せやねん。大ファンやねん。桃子ちゃんも、俺の野菜のファンやんな?」
「どういうこと?桃子ちゃん、藤原さんのこと、知ってたん?」
「はい。以前、サークルの活動を通じて、お会いして」
「まあ! そんな偶然、あるんやなぁ。運命ちゃうか、運命」
 めぐみさんと藤原さんがゲラゲラ笑うので、私も笑うしかなかった。
「でも、何度口説いても、ダメやねん…」
「ちょっ、藤原さん!そんな言い方しないでくださいよ」
「えっ、どういうこと? 二人は、年の差を飛び越えた関係なん…?」
 そんなわけないのに、めぐみさんは茶化して、面白がっている。藤原さんも笑いをこらえるのに必死だ。
「ちゃうねん。桃子ちゃんに、バイトに来へんかって誘ってんねん」
「桃子ちゃんは安井弁当店のもんや。勝手に引き抜かんといて」
「そうやなくて。収穫で忙しいときに、一、二日だけでもって思ってんねん」
「あらぁ、そうなん。なら、ええんちゃう。うちよりバイト代もええんやろ?」
「いやいや。そんなことはないけど。桃子ちゃんなら、興味あるんちゃうかなと思うて」
 特に断る理由は無いし、お金が稼げることが魅力的に思えた。次の週末に、お試しで、農業のバイトに行くことになった。
 
 農業バイトの当日、安井弁当店の前に、藤原さんが車で迎えに来てくれることになった。藤原さんの畑に到着すると、すでに数人が収穫作業をしていた。
「桃子ちゃん、みんなが収穫したじゃがいもを、きれいに洗ってくれるか?」
 藤原さんが指差す洗い場の傍には、かごいっぱいに入った、収穫したばかりのじゃがいもがあった。
すでに洗っている人がいたので、戸惑いながらも、その真似をしてみた。 不慣れなせいでぎこちない動きしかできなかった。
  土の残るじゃがいもに触れているだけで、力を、命をもらっているような感覚になった。このじゃがいもたちが、口にした人々に活力を与えることを考えると、自然と口元がほころんだ。
「おおっ!  いいなあ。やっぱり、仕事が丁寧や」
「あんまり褒めないでください。照れてミスしちゃいそうです」
「別に少しくらい、ミスしたってええよ。畑で育った野菜を収穫するのって、気分がええやろ?この瞬間があるから、どんなエライ思いしても、我慢できんねん。それに『また育てよう』って気持ちが、生きる理由になるしな」
 藤原さんの言っていることに、とても共感できた。私の場合は、野菜ではなく、鶏さんだ。鶏さんの生きている姿を見たい、お世話をしたいという欲が、あの辛い夏の生きる糧になった。
「作業が終わったら植えた木をみんなで見に行くんやけど、一緒に見に行かへん?」
「木ですか?」
 興味が湧いたので見に行くことにした。
  藤原さんの車に数分揺られると、背の低い木が数本生えている土地に着いた。
「耕作放棄地に、木を植える活動を始めてん。放棄地は、だいたい土地が狭くて、離れた場所に多い。育てるのに手間のかかる野菜は、よう育てられん。せやから、育てるのにそこまで手のかからん、木を植えてんねん。ここに植えてんのは梅や。いずれは収穫して、みんなで利用できたらええなぁって言うてんねん」
「素敵ですね」
「せやろ。桃子ちゃんなら、分かってくれると思ったんや」
 私の顔を見つめて、藤原さんは豪快に笑った。
「梅って、梅干しとか梅酒にしたら、長く保存できますもんね」
「そうやねん。別の場所は、栗を植えてるんやけど、栗きんとんに甘露煮…。アカン、想像しただけでよだれ出てまう」
 藤原さんがよだれを拭く素振りをしたので、思わず笑った。

 目の前の小さな梅の木たちが、成長する姿を想像してみる。
 晴れの日も、雨の日も、ゆっくりと枝を伸ばし、背が高くなると同時に枝や幹も太くなっていくだろう。虫たちの隠れ家になるかもしれないし、鳥たちが羽を休める止まり木になるかもしれない。
 大きくなった梅は、厳しい冬を耐え抜き、美しい花を咲かせた後で、実をつけるだろう。立派に育った梅に、悪さする虫が表れるかもしれない。でも、ちょっとくらい見逃してやりたい。今まで人間が死に追いやった命を考えれば、ちょっとのいたずらや盗み食いくらい、大目に見るべきだ。そもそもこの土地のもの全てが、私たち人間のものだと考えること自体、傲慢なのかもしれない。

 想像に耽っていると、藤原さんが、再び話しかけてきた。
「他の地域やったら、広い土地に桃植える人もいるらしいで」
「すごい! 桃、大好きなんです。いいなあ。私も育ててみたい…」
「桃はちょっと手間がかかるし、場所を選ぶから、俺らは挑戦できへんけど。そんなに桃が好きなら、気候の合う所で育てたらええやん」
「無理ですよ。うちの田舎じゃ暑くて育たないし、知らない土地を借りるのってなんだか難しそうだし」
「はははっ。まあ、そんな簡単にはできんわな。チャンスがあったら、やってみたらええわ」
 今度は、知らない土地で、自分が桃を育てる姿を想像してみる。
 枝の手入れをし、桃を捥ぐ。肉体労働で大変だけど、木々の葉が青々と茂り、桃が実る姿を眺めて幸せを感じる。きっと笑って生きているはずだ。
 私の地元でも、人々に見捨てられた土地が増えている。そこで木を育てることができたら、きっと楽しいだろう。

 その日から、人手が足りなくなったとき、農業のバイトをするようになった。藤原さんの田んぼや畑では、稲も野菜も、種から育てていた。種が芽吹き、葉が背丈が大きくなる姿を見ているだけで嬉しくなった。


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池田はまな📝🧶
読んでくださって、ありがとうございました。またどこかでお目にかかることを、楽しみにしています。