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【小説】エシカルな私たち ⑤(行き慣れない大阪で新歓)



 
 取材に同行した後、玲衣と私はエシ研に入ることを決めた。多田先輩のことが気掛かりではあったが、活動に参加したい気持ちが勝っていた。エシ研の活動場所へ向かうと、その旨を吉澤さんと多田さんに伝えた。
 吉澤先輩が「入ってくれるの! 嬉しい」と言いながら、私たちに握手を求めてきた。
「ほら、言った通りやん。こんだけ活動見学に来てたんやから、入るの確定してたようなもんやん。なあ、新歓やろうや、新人歓迎会! 来週の土曜、暇?大阪行って遊ぼうや」
 多田先輩が勝手に決めようとするので、吉澤先輩は焦って止めようとしていた。
「ちょっと! 勝手に決めないでよ」
「ええやん。一人暮らし始めてから、あんま遊んでへんやろ?せっかく一人暮らししてるんやから、遊ばな損やん。いつも来れてないメンバーも誘うし、絶対楽しいって」
 多田先輩の押しの強さに戸惑っているうちに、話は進んでいき、来週の活動を休んで、土曜日に新歓をやることに決まった。新歓の段取りを決めているうちに、時間が経ってしまって、その日は大した活動は出来なかった。
 どうにも気分がスッキリせず、玲衣と二人、自転車を手押ししながら、おしゃべりしながら帰ることにした。
「桃子、本当に新歓行く?」
「もう決まっちゃったし、行くしかないかなぁ」
「そうだよね。わざわざ大阪まで遊びに行くこと無かったし、こうなったら、息抜きだと思って、前向きにいこうかな。お酒勧められたり、遅くまで帰らせてもらえなったりしたら、ダッシュで逃げよ」
「じゃあ、私も逃げるシュミレーションだけは、やっておこうかな。玲衣って、走るの早そうだもんね」
「分かる?こう見えても高校のとき、陸上で短距離選手やってたの」
「ええー! それ、意外なんだけど!」
 玲衣と話していたら、新歓への不安は、いつの間にか消えていた。
 
 土曜日はすぐにやってきた。一人暮らしをしている吉澤先輩と玲衣と、最寄りの駅前で待ち合わせて、一緒に大阪駅に向かうことになっていた。
 大阪駅に行ったこともなく、どんな服を着て行ったらいいのか分からなかった。迷った末に、衣装ケースの奥にしまい込んでいた、花柄のワンピースを着ることにした。薄緑色の生地に淡い黄色の花がプリントされた、丈の長いワンピースだ。一枚二千円の安物のワンピース。これが私に出来る、精一杯のお洒落だった。
 ストッキングを履き、ワンピースを着て、鏡で自分の姿を確認してみる。何もおかしいところはないはずなのに、ちぐはぐな感じがした。
 出かける支度をしていると、時間はすぐに過ぎた。慌てて自転車で最寄りの駅へ向かった。運よく約束の時間より早く着いたが、すでに二人は駅前にいた。
「あ、桃子ちゃん! 今日は来てくれてありがとうね」
 吉澤先輩がいつものように、優しく声をかけてきた。先輩はジーンズとブラウスをシンプルに着こなした格好をしていた。
 その隣で、藍色の無地のワンピースを着た玲衣が微笑んでいた。
「じゃあ、行こっか」
 吉澤先輩の合図で、私たちは駅のホームへ向かった。
ホームでしばらく静かに待っていると、大阪方面へ向かう電車がやってきた。土曜日のせいか、まだ夕方にもならないのに、人は多かった。
一つの座席が空いていたため、吉澤先輩に譲ろうとした。
「いいよ。桃子ちゃんか、玲衣ちゃんが座って。私は立つから」
 玲衣と二人で、丁重に断り続けると、先輩が折れて、座ってくれた。吉澤先輩の座った席の近くに、二人で立った。
「多田くんが勝手に話進めちゃってごめんね。あの人、悪い人では無いんだけど、調子の良い人だから…。無理に連れ回す気はないから、嫌だったら、適当に言い訳して帰っていいからね」
 先輩の言葉に、玲衣と私は苦笑いするしかなかった。

 大阪駅に近づくにつれて、乗車する人の数は増えていく。車窓から見える景色と、乗車してくる人を見つめながら、地元を離れて身を持って知った、あることについて考えてしまった。
 田舎の中にも、大きな格差があること。
 日本の端にある九州と、日本の真ん中あたりにある関西とでは、どうしたって立地差がある。関西圏の田舎には、大企業の工場が多い。かつて田んぼや畑が広がっていた場所は、大手メーカーの工場に変わった。一方で、九州は進出してくる大企業は数少ない。当然、賃金格差も生まれる。私は田舎の中でも、貧しい地域の生まれなのだ。
 そんなことを考えているうちに、車内の人口密度が高くなっていた。田舎では考えられないくらいの人が密集している。少しずつ、息苦しさを感じるようになった。
 私の隣に立つ、暗い顔をした中年男性が大きな溜息を吐いた。ドア付近では子どもが大声で泣きだして、母親らしき女性が大声で怒鳴り始めた。他人の行動のひとつひとつが、私の神経をすり減らしていく。
 故郷を離れて分かったが、私は人で溢れかえった街で暮らすのに向いていない。人が集まりすぎて金持ちしか土地を買えない都会ではなく、誰も金を出して土地を買わないような田舎が、私にはお似合いだ。満員電車に揺られる生活なんかをしていたら、すぐに気が狂ってしまうだろう。
 田舎が嫌いで、早く出たいと思っていたはずなのに、今は田舎が、故郷が恋しい。地元でなくても、将来は田舎に住もうと強く思った。

 大阪駅に着いて電車を降りたが、変わらず人が多いことに驚いた。目の前で絶えず人が行き交うのを見ているだけで気分が悪くなってきた。
「桃子、大丈夫?もしかして疲れちゃった?」
「平気。人が多くて、ちょっとびっくりしただけ」
「二人とも大丈夫?待ち合わせの目印のカフェ、こっちだから。ゆっくり行こうか」
 はぐれないように、吉澤先輩の後を追う。最寄りの駅で待ち合わせて良かったと思った。もし一人だったら、広くて迷路のような大阪駅では、待ち合わせ場所を見つけることすら出来なかっただろう。
 自分がどこにいるのか分からないまま歩いていると、駅の出入口が見えてきた。そこで多田先輩と三人の女性が談笑していた。
「多田くーん!」
 吉澤先輩の声に気付くと、三人は薄笑いを浮かべたまま、小走りでやってきた。
「おお、今日はよろしくな。あれ、玲衣ちゃんと桃子ちゃん、こいつらと会うの初めてやんな?俺と同じ学科の幽霊部員なんやけど、一応メンバーってことで、仲良くしたって」
 私たちとは違い、厚い化粧をした三人組は、甲高い声で自己紹介をした。三人とも、似たようなノースリーブのワンピースを着て、長くて茶色い髪をしていた。私はこの三人が同じ人間なのではないかと錯覚しそうになった。この先も見分けがつかない予感がしたので、この三人のことは、まとめて"キャピキャピスリー"と呼ぶことにした。
 多田先輩を先頭に、キャピキャピスリー、吉澤先輩、玲衣、私と続いて、大阪駅を出た。地元には無いような、背の高い建物ばかりで圧迫感がある。どこかから垂れ流されている大きなスピーカーの音が、街の猥雑さ助長している。

 大阪駅を出ても、たくさんの人がいた。人気俳優を真似するように古着を着た、周りを気にせず騒ぐ若者たち。高級ブランドの服で全身を包み、肩で風を切るように堂々と歩く年齢不詳の大人たち。中にはお世辞にも似合う格好とは言い難い人もいて、気の毒な気持ちになった。
 一方で、流行りに流されず、自分の好みで選んだ服を着た人たちは、とても輝いて見えた。その服が高いか安いかなんて知らないし、そんなのはどうでもよかった。
 様々な人たちが、好き勝手に行き交っている。その様子をぼうっと眺めて、決めたことがある。自分が好きな服を着て生きること、自分の服がどんなに安くても、流行りに乗っていなくても、嘆かないことだ。流行りの服や高級品を身に包んだところで、人間そのもの価値が変わるはずがない。それならば、自分が手に入れることができる範囲で、好きな服を着て、生きるのがいい。それでいいはずだ。
 みんなが無言で歩いていた時、突然、多田先輩が話し始めた。
「なあ、都会ってええやろ?いろんな人におるし。それに、なんか夢あるやん。うちの大学、田舎にあるし嫌いやねん」
 楽しそうに笑う多田先輩とキャピキャピスリーを見て、苦笑いするしかなかった。
 多田先輩みたいに、都会にしか夢がないと考える人は、他人の耕した土壌でしか育たない、つまらない奴だと思う。都会って、どこの誰だか分からない、有象無象の人々が耕した場所だと思う。そんな場所でしか育たない人間にはなりたくない。
 私はどんな場所であろうと、自分の手でその土地を耕し、夢を見出せるような人間になりたい。これは田舎で生まれ育った、ひねくれ者の強がり。

 しばらく歩いた後、都市部ならどこにでもありそうな、格安居酒屋に到着した。わざわざ大阪駅まで来て、行くような店だとは思えない。酒を大量に呑んだ人特有の下品な笑い声が、あちこちから聞こえてくる。今すぐ帰ってしまいたい気持ちが沸き上がってきた。それでも、必死で気付かないふりをした。
 個室に案内されると、多田さんとキャピキャピスリーが上座の、新歓が始まった。多田さんが注文用のタッチパネルを素早く手に取った。
「玲衣ちゃんと桃子ちゃんは、未成年やし、まだお酒呑まんやろ?まあ、ちょっとくらい、内緒で呑んだってええけどな。何飲む?烏龍茶?」
 つらつらと捲し立てて喋るので、ただ頷くしかなかった。多田先輩が一通りし終わると、丁度飲み物が運ばれてきた。
「じゃあ、乾杯しよか」
 多田先輩が咳をするふりをしてから、大きな声で言った。
「今年は有望な新入生が二名、入ってくれました! エシ研の未来を祝しまして…乾杯!」
 多田先輩さんとキャピキャピスリーはビール、吉澤先輩と玲衣、私は烏龍茶で乾杯した。私たちは、毒にも薬にもならない話をして、運ばれてきたおつまみを食べた。酒呑み向けに作られているおつまみは、味が濃すぎて箸が進まなかった。
 酒が入っているせいか、多田さんとキャピキャピスリーは、ゲラゲラ大笑いしながら話をしていた。
 自然と、残された三人で話す状況になった。
「吉澤先輩って、社会学科で何の講義が好きですか?」
「メディア系の講義かな。今はスマホで簡単にネットが見れる時代でしょ。ネットとかのメディアが、どうやって人に良い影響を与えられるか知りたいの」
「面白そうですね。その講義、受けてみようと思います」
「桃子ちゃんは、どの講義が好き?」
「社会学入門ですかね。参与観察の研究事例の話が面白かったです。図書館で有名な本を借りて読んでみました」
「熱心だねえ。桃子ちゃんがうちのサークルに入ってくれて、本当に良かった」
 面と向かって褒められたことが嬉しくって、照れ隠しに烏龍茶をグッと飲んだ。
 すると、話の輪に入っていなかった玲衣が、私にこっそり何の話をしているか尋ねてきたので、話を振った。
「社会学科で、どの講義が面白いかって話をしてたの」
「へえ。二人は同じ学科ですもんね」
「玲衣ちゃんは、国際学科だっけ。何の講義が面白かった?」
「国際支援についての講義です。実際に現地であった話を聞いて、とても勉強になりました」
「国際支援に興味あるんだ。じゃあ、留学とかするの」
「行きたいとは思ってるんですけど、まだ決めていません」
 玲衣が留学することを、考えてもいなかった。もし留学してしまったらと想像すると、急に寂しくなった。
 寂しさに囚われそうになったとき、酔っ払った多田さんが大声を出し始めた。
「玲衣ちゃん、玲衣ちゃん。俺はな、どうやって金を稼ぐかってことに興味があんねん。最近、エシカルとかエコってよく話題によくなるやろ。やから、そういうの使って、稼ごうって思ってんねん。ああー、俺も金と土地があれば、今すぐ太陽光パネル、ぶっ立ててやんのになぁ!」
 そう言って多田先輩が下世話に笑った。つられてキャピキャピスリーが品のない笑い声を上げた。四人の酒量は、明らかに多くなっている。
 嫌な予感がして玲衣の方を見ると、酷く怯えた顔をしていた。
 私たちの動揺を察したのか、
「あれ、もうこんな時間だ。桃子ちゃん、玲衣ちゃん、そろそろ帰ろっか」
と吉澤先輩が助け船を出した。
「ええー、もう帰んの?早ない?もっとお話ししようやー」
 引き留めようとする多田先輩に、キャピキャピスリーが同調してくるが、それを無視して、吉澤先輩はバッグから財布を取り出し、一万円札をテーブルの上に置いた。
「これで足りるかな?」
「あ、うん。三人はお酒飲んでないし、足りるんちゃう」
「え、私たちも払いますよ」
 慌てて二人、財布を取り出そうとしたが、吉澤先輩が強く静止した。
「いいの。今日は新歓だから、二人にはお金を貰わないって決めてたの。だから気にしないで。ほら、早く帰ろ」
 多田先輩とキャピキャピスリーに、早口で感謝の言葉を伝えると、吉澤先輩に促されるまま、居酒屋を出た。

 店を出てすぐに吉澤先輩は歩くスピードを緩めて、「なんか疲れちゃったね」と振り返って笑った。
 それからは帰り着くまで、三人でゆっくりと、自分たちのペースで話した。
「桃子ちゃんと玲衣ちゃんって、学科違うのに、やけに仲がいいよね。もしかして、元々知り合いだった?」
「いいえ。入学式のとき、桃子が隣に座って、話しかけてくれたんです。同じ講義を受けることもあって、いろいろ話すようになったんです。私の出身は静岡の浜松で、桃子は九州です」
「玲衣なら、なんとなく仲良くなれるような気がして、つい話しかけちゃったんです。そういえば、先輩も関西弁じゃないですけど、出身、どこなんですか?」
「私は名古屋。『えびふりゃー』とか言わないけど。」
「えびふりゃー?何ですか、それ。玲衣は分かる?」
「いや。聞いたことない」
「エビフライのことなの。名古屋出身ですって言うと、"エビフライのこと、えびふりゃーって言うんでしょ(笑)"って馬鹿にされることがあるから。あれ、腹が立つのよね」
 そう言って笑う吉澤先輩の横顔は、どこか気品があって、とても綺麗だった。
「名古屋コーチンって、どうやって育てられてるんですかね?」
「え?急にどうしたの?桃子ちゃん」
「桃子、そんな急に言うとびっくりしちゃうじゃん。先輩、桃子の実家、養鶏場やってて。鶏さんのこと大好きなんです。ね、それで気になったんだよね?」
「あ、はい。なんか、田舎っぽいから、恥ずかしくて、あまり言わないようにしてるんですけど…」
 吉澤先輩は珍しく怒ったような顔をした。そんな顔をされるとは思わず、何が悪かったのか分からなかった。
「何言ってるの! そんなの恥ずかしくなんかないよ。そっかぁ、桃子ちゃんは鶏さんと一緒に育ったのね。それって、なんか素敵」
「そうですよね!素敵ですよね。ほら、何も気にすることないんだって」
 二人は田舎に幻想を抱いている。そんなに甘いものではない。
「私にとっては、名古屋も浜松も、立派なシティーですから。まだお気付きではないかもしれませんが、お二人も立派なシティガールですよ」
 私がふざけた調子で話すと、二人は不思議そうな顔をしながらも笑った。
 本当は、田舎で暮らす苦しさを知らないくせに、適当なこと言わないで欲しいと伝えたかった。けれど、私には面白くも何ともないことを言って、やり過ごすことしかできない。これはきっと、私がお父さんに似ているからだ。似なくていいところばかり似てしまう。こういうときだけは、好き勝手に言いたいことを言う、お母さんに似ればよかったと思う。二人が田舎の素晴らしさについて講釈を垂れていたが、何も入ってこなかった。
 一旦話が終わると、誰からともなく、地元や家族、将来のことなどを話し始めた。無理に捻り出さなくても、話題はいくらでもあった。思い出したくもない新歓になったが、三人での思い出が増えたことだけは、思わぬ収穫だった。


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池田はまな
読んでくださって、ありがとうございました。