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時代遅れでも、手編みしたい

棒針でストールやショールばかり編んでいます。
シェットランドレースのような、美しい透かし模様を編んでみたいという淡い希望があるので、一種の修行(?)として、ひたすらストールを編む日々です。

まだ簡単な模様や構成のものしか編めませんが、いつか理想の1枚を編むことができれば、こんなに嬉しいことはありません。

シェットランドレースのことを紹介する映像がYouTubeにあって、何度も見ています。
コメント欄にも、編み物にまつわるのエピソードがたくさん書き込まれていて、とても面白いです。

年配のご婦人方が、とんでもない早さでレースを編んでいる姿を見ては、勇気をもらっています。
技術を習得するまで、とてつもない時間を費やしたんだろうと、その長い年月を想像して、尊敬すると同時に、途方に暮れます。

仕事として編み物をしていた先人たちの技術に、一朝一夕で追い付くことは不可能だと分かっていますが、
「いつか自分もあんなふうに編めるようになれたらいいな」
と、これまた淡い希望を抱いています。
編み物をすることが、歳をとること、生き抜くことを前向きに捉えるきっかけになりました。

動画の中で、シェットランドレースの価値を言い表すのに"金"が使われているのを見て、石炭が"黒いダイヤモンド"と例えられたことを思い出しました。
石炭を日常的に使ったことがないので、石炭といえば、映画で見る貧しい炭鉱のイメージしかありません。
時代の流れに伴って、シェットランドレースも石炭も、昔ほどの価値は無くなってしまいました。

時代によって物の価値は変動するし、必要とされる人の技能も変わっていきます。
今の世の中、機械編みの既製品であふれているのに、ちくちく手編みをするなんて、不毛なことかもしれません。
編み物に限らず、色々と時代の流れについていけていない自覚もあって、たまに胸が苦しくなることもあります。
ああ、後ろ向きなことばかり考える自分の脳ミソが憎い…。

世間的には価値も、意味も、需要も、何もかも低いかもしれませんが、編むことが好きだし、いろんなものを編んでみたい。
それに、編み続けていたら、自分が編んだものをいいって言ってくれる人がいるんじゃないかと期待しています。
まあ、誰もいなくても編み続けるつもりです。

効率やコスパ重視の現代とは逆行していますが、いつまでも編み物を続けることができたら幸せです。

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池田はまな📝🧶
読んでくださって、ありがとうございました。また、どこかでお目にかかることを、楽しみにしています。