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時間の面影を見て思うこと

時間の面影を見てきました。

写真家の濱田英明さんの展示会「時間の面影 – resemblance of time -」です。
今週末の土日で終わりです。

建物全体が展示会で使われています。1Fです。

BOOK AND SONSさんのBLOGに今回の展示会について紹介されています。
詳細についてはBLOGを読まれることをオススメします。

上記リンクで紹介されていますが、今回の展示会の元になった考察になります。

写真 ー 見る人に「時間」が委ねられる。時間は伸び縮みする。
動画 ー 作る人が「時間」を意図している。時間は制御される。
時間 ー ある流れの何かと何かの「間(あわい)」にあるもの。そのすべての移ろい。
空間 ー ある場所の「空(くう)」にあるもの。そのあらゆる広がり。

この考察は、あらゆるものごとは常に変化しながらその都度失われる、という道理を撮影という行為を通し実感することで導かれたものです。
例えば、一瞬の出来事を永遠のように感じたり、永い記憶を一瞬のように感じられることはありませんか。そして、何もないところにこそ確かな存在を見出すことも。あるようでないは、ないようで、ある。では、時間は存在しない、とするならば?
本展はそのような思考についての実験であり、時間と空間の感覚への問いを考えていく試みでもあります。

https://bookandsons.com/blog/osk_resemblance-of-time.php

近距離からの撮影はNGのため、少し遠目から写真を撮りました。

1Fは窓際に作品が展示してあります。
映らないように撮りましたが、窓際の作品は早い時間は普通に見づらいという…
2階も展示があり、壁に展示されています。

あまり詳細に書いてしまうとこれから行く人に申し訳ないので、少し抽象的な感想と、濱田さんの話と、それを聞いて思ったことを書きます。

私が作品を見ている時間、作品内の時間、それをみて私が感じる時間、作品を作った時間と複数の時間を展示会の空間で感じることができました。通常の展示会とは違う表現であるため、普段は重なりあわない複数の時間が重なってしまって飽和するような、でもこの建物の中でうまく収まっているような不思議な感覚を経験できました。

地下のシアターはチケット制になっていて、集中して鑑賞することができました。旅行先であったり、街角であったり、空や海など実際にその場所にはいったことは無いのですが、普段の日常で目にしている風景や昔見た違うけど似ている思い出の中の景色を頭の中で重ねて見ていられる上映でした。

今回の展示方法にはまだ名前がついていないそうです。

地下のシアターで作品を観覧した後に、濱田さんからの今回の展示について説明を聞かせてもらうことができました。
今回の作品や今までの写真もそれがみんなのものとなる・みんなの時間になることを目指して活動をしているとのことでした。写真だと動画よりもそのアプローチしやすいので写真を撮っているそうです。

その話を聞いて、インスタや写真集やポスターで見た濵田さんの作品にそういった意図があるから、あの写真がそうあったのかとフッと腑に落ちる感覚がありました。

覚えている限りで書くので違っているかもしれませんが、ここから、濱田さんが会場で話されていたことを箇条書きで書いていきます。間違っていたら私の記憶力と表現力のなさのせいです。すみません。

作品をみて時間の面影を感じてほしいです。
面影とは記憶によって心に思い浮かべる顔や姿です。
自分が撮った写真や映像がみんなの個人のものになってほしいと考えてます。
それはどういうことかというと見ながら別のものを想像するような状況です。
それは作品を見ながら晩御飯に何作ろうかな?だったり、おばあちゃんのことを考えたり、懐かしい場所などを思い出すことです。
知っているけど見たことがない景色がそのことを実現できると考えています。

濵田さんの展示会での言葉

濱田さんは、「見たことがある・ない」「知ってる・知らない」の2x2のパターンで撮影を考えていて
「見たことがある」x「知ってる」 は撮らない
「見たことがない」x「知らない」 も撮らない
「見たことがない」x「知ってる」 を撮る
その中でもみんなの時間になる作品を発表するそうです。

「見たことがない」x「知ってる」写真が、みる人の時間で、みる人の「見たことがある」x「知ってる」映像を想起させるきっかけを作り、みた人みんなの時間になる。そういうことだと感じました。

そういうことで、今回の展示会ではいつも感じている時間よりも複数レイヤーで時間を感じていました。そのため、「時間が存在しないのであれば?」と最初の考察にかかれていたことは、どういったことなのだろうかとしばらく考えていたのですが、話を聞いていて、「毎秒毎分とすすんでいく時計の針のようは絶対的な時間が存在しないのであれば?」という問いなのだと思いました。

時間とは瞬間の連続であるという話を聞いたことがあります。

写真の連続が動画であると入ったイメージで、なんとなく理解していました。今回の体験で、その瞬間である写真と写真の間に記憶の景色が入り込み、フラッシュバックのようにチカチカ切り替わるのではなく、目で見えている景色と頭の中に見えている景色が自然に溶け合っているような、レンジファインダーで二重像を合わせるような、見えているけど瞬間の連続ではなくなったことで、時間を超えた「名前がついていないもの」になり、時間が存在しなくなるということが言えるのかもとぼんやり思いながら帰宅しました。

明るい時の方が空間は素敵だと思います。

ほかにも、

  • 自分の撮る家族写真も「見たことない」x「知っている」ことを意識すると楽しそうだと考えたり

  • 読んだことある「よつばと」が濱田さんには全然違う見え方をしていることに驚いたり

  • ハルとミナもいいけど、DISTANT DRUMSもいいなぁ、と気が付いたり

  • やっぱり来て直接の体験できてよかったなと思ったり

雑念的に雑多な感想を持ちました。

残り会期は短いので、その影響でさらに混むかもしれませんが、少し遅めの時間のほうが作品が見やすいかもしれません。ぜひ、まだの方は体験してみてください。

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