21世紀を生きる現代人のための哲学入門2.0を読んで思うこと
21世紀を生きる現代人のための哲学入門2.0
富増章成(著)
今、会社でgaccoのリベラルアーツ講義動画が見れるようになってます。
講義の分野はいろいろとあるのですが、歴史はCOTENラジオで聴いていて、言語についてはゆる言語学ラジオで足りているため、哲学・自然科学をメインに面白そうなものから聞いています。
基本的に、ながら聞きのため、画面に資料を映して説明するものとか、淡々と説明している授業っぽいものなど途中でやめっちゃってたりします。そんな中、哲学の講義の中で内容としてちょうど良さそうな「現代人なら知っておきたい役立つ哲学入門」を聞いたところ、最後まで面白く聞けたので、富増さんの本を買って読んでみることにしました。
どんな本か
現代人の主張や疑問を哲学者とディベートする形で書かれています。現代の悩みについて、哲学者と対話しながら悩みに対する考え方、受け取り方を提示しながら解決に向けてのディベートが繰り広げられています。
ディベート内でも途中で解説が入ったり、そのテーマで取り上げられた哲学者とその考え方についても最後にまとめられています。普段感じている疑問について哲学者の視点の考えを学ぶのにも、簡単に概要を学ぶのにも便利です。
話題によって出てくる哲学者が時代の流れとは関係なく出てくるので、西洋哲学の大きな流れがわからず、これはまとめないと理解できないなぁとおもっていたら、最後に図解シートまでもついていました。なんでもあって便利です。至れり尽くせりです。
帯に「様々な哲学者の考え方のさわりを簡単に知るのに、倫理の教科書の次くらいに読むと良いです。」と書かれている通りの本だと感じました。
著者の思い
この世界に生きる人々は「みんな違う」のです。みんな違うからこそ、物事の見え方や感じ方、考え方も異なります。それにも関わらず、我々はいつからか「こうあるべきだ」「これが正しい姿勢なんだ」といった一つの考えにとらわれ、自ら苦しんでしまうもの。
だからこそ、自分の考えが本当に正しいのか吟味する、哲学が必要なのです。
哲学とは、「本当にこれが正しいのか?」「そもそも正しいことなんてあるのか?」と、思い込みを破壊し、新しい概念をつくりあげる学問なのです。
だからこそ本書では、一方的に哲学の考え方を説明するのではなく、現代人が哲学者とディベートするという形式をとりました。
「今考えていることも、もしかしたら思い込みなのかも?」そんな風に考えることができるようになれば、日常の行き詰まった問題解決にも役立つかもしれません。本書が、人類の歴史を動かしてきた叡智に、多少なりとも触れるきっかけになればと思います。
読んでのまとめスケッチ
聞いての感想(gacco動画)
本と同様にgaccoの講義内での質問に対する富増さんの受け答えも面白く、ながら聞きにもちょうどよく、最後まで聞けました。軽い感じでの受け答えが聞きやすい中で、仏教やキリスト教の話やスピリチュアルな分野に触れる際には各分野への敬意を感じることができたのも、聞きやすい理由だと思いました。
哲学というと、「何の役に立つの?」と聞かれる学問の最有力候補のイメージかと思います。もちろん、私もそう考えていて、今まで学校の倫理の授業以降は特に勉強しようとも思っていませんでした。
他の分野はよくわかっていなくても、科学だったらPCやスマホなどに応用されていることをなんとなく知っていたり、他にも医療に役立っていたりと今送っている生活の役になっている想像ができるので、必要と思えているのではと思います。(だからと言って自分が勉強すべきかどうかはまた別の問題ですが。)
今の生活へのつながりを想像できないことが、哲学を役に立たないと判断する理由になっていて、勉強しても意味がないものと考えてしまう理由にもなっているんだろうなと考えました。
「何の役に立つの?」質問に対して、富増さんは下のように答えています。
哲学とは何かというと、コンビニである。
人の生き方について考えることが哲学か?と聞かれることが多いが、それはコンビニで言うとお弁当コーナーのことであって、哲学全体を表してはいない。哲学とは日常に役立つもので、即効性があり、元気が出るものである、ということでした。
今ある悩みは昔の人も考えていて、人類の歴史の中で天才中の天才たちがそれをめちゃくちゃ考えて答えを出しているので、参考にすればその悩みを解決できて、結果元気が出るということかと思います。ちょっと辛い時にコンビニに行く感覚で哲学を調べてみる、参考にしてみるという感じなのかと思いました。
「人生に目的は必要か?」なんて悩みに国語も数学も化学も特に答えを出してくれないので、悩みを入れると答え(考え方や受け取り方)を出してくれるツールとして、哲学は特に今の生活に有効であるように思いました。
本を読んでの感想
図解シートを見ながら、まとめた時に感じたことを書いていきます。
「論破」と表現されていましたが、哲学の世界では、以前の考えに対しての反論や新たな視点での考えを更新し続けている歴史が繰り広げられていました。なんか似たようなことを前に整理したなと思ったので振り返ってみると「知識ゼロから始める近代絵画入門」で同じ流れだったなと思い出しました。
それは技術革新や新たな知の発見などで認知が変わる時、その影響によって見え方が変わり、今まで良いとされていたもの、正解と思われていたものが、見え方によっては、間違えているようにも見え、そこから新たな問いが生まれ、その回答として新たな考えや表現が出てきているように思えました。
図解シートでは、ルネサンスが挙げられていますが、絵画も同様にルネサンス頃にレンズが発見されて写真のように描けるようになり、写実的な表現が生まれたと別の動画で聞いたことがあります。これも人類の認知が変わり、世界の見え方が変わることが影響している構図は同じなのでは!?と感じ、これは面白い!ってなりました。
続けて脱線していきますが、産業革命以降などプロダクトが生み続けられて、前のものより安価で品質の良いものが取って代わるスピードが上がり、交換が起きることが当たり前になってきています。例としては、携帯電話が大型ものから小型なものになり、PHSなども出たりする中、ガラケーの時代がありましたが、iPhoneの登場でスマホに取って代わり、現代ではAndroidやその他も出てきて、分岐している状況にも似ているなと思いました。
さらに想像ですが、これは西洋的な考え方なのかなと思われました。東洋は仏教を例にすると、仏教は積み上げられてきたものであり、西洋のように否定して新たな案を提示し続けるわけではないそうです。
仏教は積み上げ式で、こういう状況に対してブッタであれば理論的にこう考えるはずだから、経典に追記できるというロジックで世界の見方を拡張していくイメージです。木が伸びていくような自然のイメージです。
感想ではなく脱線と想像とをつらつら書いてきましたが、こういった仮説を確認するためにもまた勉強しないといけなくなってしまいました。今後は東洋哲学ももちろんですが、自然科学についてもgacco動画を聞いてみようかと思います。
少し勉強するとあれも勉強しないといけないなということが増え続け、終わりがない状況になるのでは?という悩みが出てきました。その悩みについて哲学者とディベートをしたら「それはそういうものだよ」と即答されそうです。永久に勉強ですね。わかりました。