自宅から半径5km以内にある場所について書く_箱書き
概要:自宅の近くにある砧大根公園について書く。なぜ書くか子供の時に住んでいてたが知らない公園であった。公園が作られた意味と大根の意味を調べてみる。子供の時には知らなかった公園から世田谷区のあり方と公園を利用する身としての心持ち。地域に住むということを考える。自分の過去、公園のあり方、大蔵大根、プレキャストコンクリート、の4つを合わせて考える。
現在:結婚し、子供が産まれ、自分の実家近くに住むことになった。高校の時まで住んでいた町で、大学の時に家ごと1駅先に引っ越した。実家は変わらずその場所にあるが、幼少期過ごした場所に住んでいる。子供も保育園や小学校と上がり、私の行っていた小学校に通うことになった。遊びに行く中で「大根公園で今日遊んだよ」と聞いたことない公園の名前が出た。
昔(小・中学生時代):小学生時代はファミコンからスーパーファミコンに変わった時代であったがまだ友達と集まれば公園で遊ぶことが多かった。自転車で公園をハシゴして夕方まで遊ぶ日々を送っていた。そのため公園には自信がある。その記憶の中に大根公園はない。
ちょっと昔:実際に行ってみる。場所を言われてもそんなところに公園を知らないので子供に連れて行ってもらうことにした。駅に行くルートの少し奥に入った場所にあり、昔は畑だったか覚えていないけれど公園がある。L型の公園でねじれた雲梯、3人乗りの犬の乗り物、ブランコ、小さなアスレチック、その中に大根があった。ちょうどL字の角の部分に公園を分断するように横たわっていた。地元が私と一緒で母親になった同級生と遭遇することもあった。
未来:世田谷区の流れ、それでも建売住宅が立ち並び、5階建て40室程度のマンションが畑を変えて立つようになった。コンクリート、木材など建築物としての作られていく。住居の建て替えか農地を潰してマンションを建てる。そして区画整理の中、マンションとマンションの間に干渉したいのように公園が作られていく。今回の公演には大根も構造物として作られた。今後も公園には大人と子供が来ることで僕のように大根の存在を知られることになる。
不明点:実在するので、いつからあったのか。またなぜ大根なのか。
現在:公園について調べてみる。砧大根公園は〇〇年開演、大きさ種類を記載する(公園の詳細)公園で遊ぶ時期から外れた際に作られていた。自分の記憶にないことは腑に落ちた。
現在:大根について調べてみる。もう一つの疑問がそもそもなぜ大根なのか。(大蔵大根の詳細)大根のプレートにも記載してある。畑がない
大根の作り方:世田谷区ではもともと作られていた。世田谷区といっても私がすむ地域は畑も多く、田舎くさい。大根が植えられて大蔵大根として地域で食されてきた。
公園の大根の作り方:コンクリートの大根は基礎が現場で作られ、大根自体は工場で作られて持ってきて、設置されたと考えられる。(イメージスケッチ追加)
まとめ:作り方が違えど、産地(その土地に)根付いたものを作ることでそこに継続する意味を生むことができる小学校は1000人を超えるマンモス校となる。昔から住んでいた人も地域を作り、新しく入ってきた人も地域を作っていく。元々の大蔵大根も地域の特色となり、コンクリートで作られた大蔵大根もその付近の少なからず僕みたいな人が多くいるのだろう。そして僕のように調べることでこの地区の特徴と継続すること、変わり行くことを想像しながら、過ごすことができる土地になる。