見出し画像

観察力の鍛え方を読んで思うこと

観察力の鍛え方
佐渡島庸平(著)

物事を理解する上で、正しく物事を把握する必要があると思います。目の前の事柄に対し、正しく理解するための観察力。例えば、試験の問題を解くために、まずは問題の文章を理解する力が必要になるといった感じです。算数の問題を解く時に、問題の意味がわからないから教えてほしい、と子供から言われることがちょくちょくあって、問題が解く力があるけれど、問題がわかっていないから解けない、もしくは問題の意図を間違えて回答してしまっている。そんなことが私にも起きてるんじゃなかろうかと思ってしまいました。

子供の問題の話は国語力や読解力などですが、私たちの前にある問題は、親切に問題文が書かれていることはないので、対象を対して何が問題なのかを見極める観察力が必要なのではないかと思います。

そんなこんなで、観察力の鍛え方を読みました。


表現者(多分、note投稿者)必読です。

どんなの本か

編集者の佐渡島さんが観察について考えたことをまとめられている本です。
観察:物事の状態や変化を客観的に注意深くみて、組織的に把握すること
この「客観的に注意深くみる技術」について重点的に書かれていて、観察に関する考察が多角的にされています。

観察とは?
観察を行うには?
観察を阻害するものは?
観察する対象はどこからどこまでか?
改めて観察とは何か?

話題があれこれあり、観察について考えることができます。観察について考えながらまとめられているので、その思考プロセスの中で、認知バイアスとの付き合い方や、アンラーニングとは何かとか、感情の分類方法について書かれており、観察に必要な周辺の知識を学ぶこともできます。

著者が漫画の編集者であるため、時々見たことある漫画が登場します。他にも説明を補足するための漫画が挿絵として登場したりします。

著者の考え(抜粋して編集)

僕はクリエイターを発掘し、育成する仕事をしていて、「いいクリエイターの条件は何ですか?」という質問をよく受ける。そのたびに「観察力だ」と答えている。

では、観察力とは何か、僕ははっきりと答えることができなかった。そのことに驚きつつ、観察とは何かを考え始めた。この本は、僕がクリエイター達とより良い創作をするために、必要な観察とは何かを徒然なるままに思惑したものをまとめたものだ。僕と同じように観察力を鍛えたい人には、ヒントとなるものはあると思う。

わからないまま思考している様子を文章にすることで、わからない人も読みやすい文章になるのではないかという仮説だ。その仮説がうまくいっているのかは、僕のもよくわからない。この中途半端な状態をむしろさらけだすことによって「観察について考える参考になった」という人が現れたなら幸いだ。

この本に対して、観察に対する考えが甘い、なんだか違和感が残る、と感じた人もいるだろう。それは僕のブラインドに気づいたということなので、ぜひ文章にして欲しい。モヤモヤした感情をそのまま書いて欲しい。それを僕は読みたい。

この本は、僕の既知があふれている。本を書き終えることによって、僕はその外へと想像を巡らせることができる。その外の存在を気づかせてくれるのは、読者の反応に他ならない。Twitterでもブログでも、感じたことを教えてくれると嬉しい。

読んでのまとめスケッチ

いろんな話があってどうまとめるか考えるのに時間かかりました。

本を読んでのモヤモヤからの整理

いい観察とは、ある主体が、物事に対して仮説を持ちながら、客観的に物事を観て、仮説とその物事の状態のずれに気づき、仮設の更新を促す。

第1章 観察力とは何か? P19

観察とは、問いと仮設の無限ループであると書かれていて、その通りだなぁと思い読み進めていくと

観察とは愛である
最後に、観察にとって最も重要なものに気づいた。
それは、愛だ。

第5章 あいまいのすすめ P229

と最後で、意外と急に違う角度からのまとめが来て、「あれ?急に!」となりました。言ってることはわかるんだけれど、なんだかいまいちよくわからない、というモヤモヤ状態に最初に読んでいた時に陥りました。
 とはいえどこかにヒントはあるだろう、と感情について書いている箇所を読み返しました。ちゃんと記載がありました。当然ですね。読み飛ばしてました。

たとえば、「愛」。
「信頼」と「喜び」が、混合している感情だ。

第4章 見えないものまで観察する P168

プルチックの感情の輪から説明が書かれていました。「観察」にとって必要なものは「信頼」と「喜び」であると。「喜び」は問いと仮設のループの中で発見やその行為自体が楽しく、喜びを感じるんだろうと思えますが、「信頼」って何に対して?という問いが起きてきます。また戻って読み返してきました。

早逝してしまった瀧本哲史さんから、こんなことを言われた。「『起きていることは全て正しい』と思うことは大切ですよ」

第3章 観察はいかに歪むか P114

自分の想い、経験、感情をベースに見てしまうと起きていることを正しく思えなくなってしまい、正しくないと思ったことを正そう!とか、受け入れない!といった状態になってしまうじゃないかと思えます。そうすると問いと仮設のループも止まり、いい観察でもなくなる。
 そうならないためにも、『起きていることは全て正しい』と起きていること全てを信頼するスタンスが必要になるんだろうと考えてみます。まとめます。

観察は、起きていることは全て正しいと思い、対象を客観的に注意深くみて、問いと仮設の発見に喜びを感じ、無限ループを楽しむこと、である。

というまとめが本書を読んでの僕の仮説です。長ったらしいですが、これからも学習しながら、更新しながら観察力を身についていこうと思います。

本書の観察からの問い

そういえば、そもそも、自分が見えるもの、観測できるもの、意識できるもの、認知できるもの、が観察対象になるとすると、観察できる対象は自分がみえている対象に限られちゃうんだよなぁと気づきました。
 当たり前ですが、みえないものは観察ができないとなります。

観察は、脳の中にある認知を変える。同時に認知は、観察の仕方に大きな影響を与える。

第1章 観察力とは何か? P33

観察力を鍛えることと合わせて、認知力?も鍛えればいいんじゃないかと思うわけです。認知は意識と同義と考えることもできるとも書かれています。
 自分の意識できる範囲を広げていくことで観察できる対象が広がり、さらに広く深く観察ができるんじゃないかという問いにちょっとワクワクしています。

今は「認知」について考えています。調べていく中で、チームラボも猪子さんのインタビュー動画で認知について話していることを知りました。私は「認知」を理解するために、昔読んでさっぱり忘れてしまっている猪子さんと宇野さんとの「人類を前に進めたい」という本を改めて読んでみようと思っています。インタビュー動画で今までの認知が変わっているので、感想も変わるような予感があります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?