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自分を知る:欠点をさらけ出して、涙して、生まれてきたのは衝動的な感情だった。

今週は、不思議な一週間だった。

私が参加しているコルクラボでは毎月課題図書がある。今月の課題図書は、吉田尚紀さんの『なぜ、この人と話をすると楽になるか』

運良く、この本の読書会の企画メンバーになり、今週はじっくりと本を読むことにした。

この本では「コミュ障」を自認する人たちが、どうやったらコミュニケーションを楽しめるのか、ということが書かれている。

私もコミュ障だし、私にぴったりな本だわ~、と読み進めていくと、最後の最後の方で、一つの戦略として「キャラ設定」があった。

私が今まで言われたことのあるキャラは、「まじめ」「ちゃんとしてる」「なんか怒っているみたい」などなど。

でもね、こんな印象にいつも違和感があった。私はそんなにちゃんとしていない。部屋は汚いし、朝は激弱だし、機械オンチだからアナログ派だし。ああ、あと去年は毎晩のようにアイスを食べていたら太ったなあ、とか思っていた。それから、たまに怒ってるみたいって言われるけど、そうじゃなくてじっくり考えてるだけなんだけどなぁ、とか。

ただ、この本では「自分の欠点こそが最大の強み」であり、欠点をキャラにする「愚者戦略」が良いと書いてあった。

「これだ」と思った。

私が理解している愚者戦略は、次のような過程を経ていく。

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①まずは欠点を自覚することが大事。そしてツッコミをOKにすること。

②次にコミュニケーションは相手が必要、つまり欠点を認めてくれる相手が必要。

③だから、自覚した欠点をさらけ出す。

④欠点の自覚と承認で「キャラ」が創られる。

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いつもの私だったら「欠点かー。いっぱいあってホントに嫌だなぁ。」「さらけ出せって言われても無理やわ・・・」というところで止まったと思う。けれども、その日の私はなんだか自分の欠点を認めないと、次に進めない気がした。それは、コルクラボで、たくさんの人たちが「さらけ出し」ていく様子を見ているから。私も変わりたいな、とか、本当の私を知ってほしいなって気持ちがこの一年でムクムクと育っていって、どうやらコントロールが効かなくなったみたいだった。

それで、欠点をリスト化する作業をやってみた。

で、結果・・・想像以上に辛かった。

「ああ、この欠点わかってるんだけど、やめられないんだよね・・・」

「あれ?それって嫌だ嫌だと口では言ってるけど、変化できないのは自分が結局それを欠点と思っていないのでは?」

「自分の意思が弱いってことは私はもう変われないんじゃないだろうか」

ぐるぐるぐるぐる。悪い方へ、悪い方へ。

自己肯定感が低い方だとは自認しているけれど、正直、やればやるほど気持ちは落ち込んだ。

でも、これを誰かにさらけ出していかないと、私のキャラは私とは違うもののままだ。だから、さらけ出してみた。それもtwitterに。

どうやら、自分を追い込むことは得意みたいだった。



そしたら何が起こったか。



そこには、見たことがない世界が広がっていた。

ああ、なんて世界は優しいんだろう、と。

優しさの連鎖が、波打ちながら大きくなっていく様子に、私は携帯を見ながら、会社のデスクで大泣きした。

こんなの知らなかった。

だれも教えてくれなかった。

私はコルクラボではずっとずっと「やりたいことがない」と言い続けている。もう間違いなく「叶え組」の人間だ。好きにのめり込んだり、これを一生続けたいと思えることもなく、何かに打ち込むキラキラした人たちを羨ましく思いながら過ごすのかな、って思ってた。実は今もちょっと思っている。

でも、この連鎖によって、昨日の私よりも、今日の私は間違いなく変われると思ったし、変わりたいと思った。

その一つとして、これからnoteを書こうと思った。

ちょうどコルクラボガーデンとして「ほぼ日刊」になるからメンバーを募集していた。「これって運命だよね」っていつもは思わないようなことをつぶやいた。

すぐに役立つ最新の情報や、まだ広まっていない業界知識、マーケティングや経営戦略に使える理論。こういうものばかり追いかけていた10年だったけど、私は私のために、私の感情を大波が押し寄せてきたように動かしたものや、感情の微かな高まりを観察していきたい。心の解像度を上げていく努力をしていきたい。

一年前には、こんな風に思う日が来るなんて思っていなかったけれど、こんな自分も悪くないと今は思っている。

勢いで書きなぐった初投稿にも関わらず、ここまで読んでくれてありがとう。

何を書いていくかまだ私にもわからないこのnoteだけれども、また読んでもらえたらうれしいな。

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