大事なものが、近くにあるとは限らない
考えてみると当たり前のことや、それまで理解していたということも、人は自分のことになると認識できなくなることがある。いや、本当は何も理解していなかったのかもしれないけど。
友人と先日のnote「3つの強みを、掛け合わせる」の話題になり、彼女が私の強みを ①オペレーション ②文章力 ③イラスト と分析してくれていた。
①は、誰にでもできることをやっているだけ。
②と③は、上手い人がもっとたくさんいる。
私はそう言ったけれど、友人は「100人に一人の強みになればいいんでしょ?コルクラボ (友人と私が所属しているコミュニティ。現在約200人。) の中で、この3つは大体できてるから、いいんだよ!」と、かなり前向きに断言してくれた。
それでもなお私が、①が他の二つとあまりに違って、掛け算になると思えない、と笑いながら言うと、「遠くにあるものの方が、大事なときもあるんだよ」「絵を描きたいとずっと言ってるよね」「教育も軸になるかもよ」と真剣に返してくれた。そのうえ「あとから振り返ると、connecting the dotsになるかもしれないから、今だけを基準に考えないで」とも。
近くにあるものだけを集めると、そのときはトガったイケてるものができるかもしれない。けれど、それが自分にとって大事なのものかどうか、長い時間をかけて愛せることかどうかは別だ。
わかっていたつもりなのに、スッポリと抜け落ちていた。
それから、私は心の奥で無自覚に感じていたことや、もうずっと前に閉じてしまった思いを誰かに指摘されると、泣きそうなになるのを我慢して、なぜか笑ってしまうクセを自覚した。
◇
「遠くにあるものの方が、大事なときもある」は、他のことにも当てはまる。
・目の前のタスクに忙殺されてしまいがちだけど、その先にあるゴールを明確にすること。そして共有すること。
・同じようなバックグラウンドを持つ人たちだけでチームを作るのではなく、異分野からの仲間も増やすこと。
・数値目標だけにとらわれるのではなく、目標達成後にどういう状態であるのが幸せなのかを考えること。
◇
すでに持っているものや、形あるもの、近くにあるもの、そんなものに私は目がいってしまう。そのうえ自分一人で考えてしまうと、同じところでぐるぐると悩んでしまうクセはなおらない。
けれども今日パッと道が開けたかのように感じるのは、話したのが彼女だったから。ありがとね、とっちー。
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