【Z世代が日本を想う】①少子化問題
最近、ニュースを見ていると岸田首相の「異次元の少子化対策」なんて言葉をよく耳にします。この間なんてこんなニュースを目にしました。
このような、最近目にする少子化問題のニュースに対して、Z世代の一員として何か違和感を感じます。若者の意見としてこの先、この問題に対してどう接するべきか耳を傾けていただければ幸いです。
「日本人多すぎ問題」
まず少子化問題に対する違和感として挙げられるのが「そもそも今の日本人が多すぎなのではないか」ということです。
「少子化」と言いますが、日本人は多すぎます。昭和時代の日本人の数が異常なんです。でもこれはしょうがないと言えます。明治時代以降、近代化による医療の発達によって子どもの死亡率はうんっと下がりました。その結果、医療が発達する以前の感覚で、子どもが幼くして死んでしまうことも考慮して子どもを作っていたら、みんな元気に育ってしまった。こりゃ大変です。5人兄弟なんていたるところで見られました。
その世代は僕の曾祖父母の時代だと思います。5人兄弟の一番下なんて、もう自由です。「東京にでも行って、遊びながら暮らしてやる」そんなこんなで上京しようとしたら、戦争に駆り出され...非常に混乱した時代だったと思います。僕自身、曾祖父母から上の家系図は書けません。それは前近代的な「家柄」や「身分制」からの完全な解放ともいえます。
さてその子どもが所謂「団塊世代」を中心とした今、70歳以上の方々です。現在日本には70歳以上の人口が2800万人います。(江戸時代の総人口は3000万人です)
日本の最適人口とは
上の表を見て分かりますが、日本は徳川幕府になってから人口が増え、3000万人あたりで停滞します。つまり江戸時代の生活方法では3000万人が限界だったと言えます。
江戸時代の生活は今よりも自然に寄り添った生活で、巧みなリサイクル術を持った持続可能な世の中だったと言えます。もちろん鎖国もしていましたから、食糧もほとんど国内で生産されていたものなので、食糧自給率もほぼ100%だったと言えます。
しかし明治時代以降は近代化(産業革命)による作業の効率化と、戦前は国土の拡大、戦後は食糧輸入に頼ることで日本の食糧は保たれてきました。
しかし、近代化以降、環境は破壊され、食糧も自国でまかなえなくなるなど様々な問題が出てきました。
食料自給率は2022年時点で38%です。とてつもない単純な計算をすれば日本の人口1億2千万人の38%は4560万人です。こうして考えるとやはり、日本の本来あるべき人口は3000万人~4600万人な気がします。
皆さんはどう思いますか。
日本の人口減少は”急激すぎる”
と言っても、人口が急激に減少すると既存の社会システムは働き手がいなくなることで崩壊します。もう何年も前から年金制度が崩壊することが言われていますし、都内のコンビニやファーストフード店では多くの外国人の方々が働いることからも、24時間営業など日本独特の社会システムは日本人だけでは営むことができないと言えます。外国人の方々に感謝しなければなりません。このように少子化は持続可能な社会のためには必要だと思いますが、現在の日本はあまりにも子供が少なすぎて、人口減少が急激すぎる、これが大きな問題なのだと思います。
では具体的になぜ、こんなにも子どもが少ないのか、考察していきます。
子孫を残すことまで犠牲にして...
ちなみに先に言いますと私自身、子どもは欲しいです。やはり子孫を残すことが生物としての役割だと思いますし、死ぬときに一人は嫌です。
私は今21歳ですが、20歳を過ぎると地元じゃ結婚する人も出てくるし、就職活動を通して「将来設計」なんて考えて、結婚や子育てがうんっと近く感じるようになりました。いざそうなったときに強く感じることはやはり、子育てをする難しさです。
子育てするためには何としてもお金が必要です。そのために大手企業や商社なんかに入ったとしましょう。20代は転勤ラッシュです。見ず知らずの土地に飛ばされ、パートナーとの出会いもクソもありません。30代になってやっと落ち着き始めてから婚活、子育て...なかなかこの歳から婚活と子育てをするなんて難しいと思います。私ははっきり言いましょう。30代からはパートナーを探して...なんて無理です。
それじゃあ、転勤のない地元の企業に入社して...ブラック、給料少ない、人手不足で忙しい、子供を育てる時間なんて全くない。
つまり今の社会のシステムは出産適齢期である25歳前後に不安定な生活を押し付けるいわば「子どもを産むことすら犠牲にしてまで稼ごうとしている社会」だと言えます。資本主義はついにここまで来たかと。生物の本能である「子孫を残す」ことを犠牲にしてまで生きていく人間は良く言えば非本能的であり、理性的ともいえます。(しかしその「理性」とは表向きだけです)つまり超少子化の道を進む日本人は世界で最も理性的で神に近い民族である!まったくもってくだらない、全否定します。理由はそんな社会、持続性のない、その場しのぎな社会だからです。
さてここまでは子どもが欲しい人ですら感じる子育てに対するマイナスなイメージです。今、国が対策しようとしている少子化問題はこのような子育てしにくい社会を改善し、「子どもが欲しいと思う人」は誰でも子育てできるようにすることを目標に頑張っているんだと思います。
しかし少子化問題の根本は上の記事のように「子どもが欲しくない人が多い」ということです。なんでこうなってしまったのでしょうか。僕の考える理由は2つあります「子どもの捉え方の変化」と「みんな自分勝手になった」の2点です。
何のために子どもを残すのか
「子どもが欲しくない」と感じる理由は、「子ども」の捉え方が近代化以降大きく変化していったからでしょう。日本を含め、世界は義務教育が普及するまで、子どもは「小さな大人」でした。つまり、農作業など労働力として子供が必要だったのです。端的に言えば、「自分が楽するために子どもを産む」のです。武家などの支配階級では家を存続させるために子どもを産みました。
義務教育が普及した近代化後、子どもは「国の発展のため」に必要と捉えられます。(残念ながらこの考えは今の政治家も思っていることでしょう...)残酷な言い方をすると、学校は戦争に送り込むための「兵士製造工場」だったといえます。明治維新後も戦後まで、地方では前近代的な生活をしていましたから、学校では「国の発展のため」の勉強し、おうちに帰れば親の作業を手伝うといった感じでしょうか。(なんと大人想い何だろう)
しかし、今の世の中を見てみましょう。はっきり言いますと、経済的に子どもを作ることは、何の価値もありません。パソコンをカチカチしてご飯を食べるために、子どもはいりません。ましてやパートナーさえも...
こうした社会になった今、子どもは「嗜好品」と言えるでしょう。しかしどんどん格差が広がっていく社会、「意図する妊娠」は嗜好品として、富裕層だけに。「意図しない妊娠」は貧困層に広がり、中間層は妊娠を考えもしない。中間層の子供が消え、どんどん貧富の差が激しくなっていきます。恐ろしいです。
究極の個人主義社会
次に2点目「みんな自分勝手になった」です。
「みんな違ってみんないい」素晴らしい言葉だと思います。今世界は究極的な個人主義の時代を迎えています。(これについてまた別の回で説明します)
究極の個人主義の下では、たとえ赤ちゃんであっても、独立した「個人」であります。つまり自分の生まれてくるであろう、子どもに対しても、生まれるその瞬間まで自分と繋がった存在だと思えないのです。「他人」なのです。(生まれたら可愛くて仕方がないと思うようになると思います)
そして個人主義だから、子どもを作らないことに対して誰も何も言ってこないし、何といっても子どもがいない方が「楽」なわけですから、作りません。「子育てする時間があったら家でネトフリを見てた方が良い!」こんな感じでしょうか、はっきり言いましょうこれは多様性の皮をかぶった自分勝手です。
まとめ:「少子化」とは
さてここまで少子化について論じてきましたが、まとめましょう。
まず現在の日本人がそもそも多すぎる。
持続可能な社会のためには5000万人以下が理想だ。
↓
でもいかんせん日本は人口減少が急激すぎて社会が持たない。
なぜここまで、みんな子どもを産まないかというと
1.今の社会が子どもを産むことすら犠牲にしてまで動いているから
2.子どもが嗜好品になっているから
私的に、少子化とはマクロでみれば、もはや「神の見えざる手」だと思います。日本列島に一つの国家を作った際の最適な人口が4000万人ならば、最終的にそこに落ち着くのだと思います。
しかしミクロで見れば、「子どもを産む」か「産まないか」は私たちが決めることです。沖縄県では現在でも合計特殊出生率が1.8前後を推移しており、依然として高い水準を保っています。これは沖縄県では古くから「子どは宝」と捉えられているからです。私たちも人生において何が本当に大切なのか考えてはいかがでしょうか。(特にZ世代...)
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