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職在広州 漢字の伝播力

(ジェトロ・センサー「間奏曲」2007年4月号を再編集したものです)

広州で勤務していた時、福建省アモイに出張した。アモイの繁華街に掲げられた「普通語拡大で公務員は手本となれ」「普通語普及は子供から」というスローガンを目にした。日本的に言えば「標準語を話しましょう」ということになろう。地方にはさまざまな方言があって、むしろ古来の言い回しを保存するのが国の使命ではないかと違和感を覚えつつ、中国が統一されているのは「漢字」の存在が大きいというどこかで読んだ論説を改めて思い出したのであった。

アモイの町に掲げられたスローガン(2006年9月)

私の勤めるジェトロ広州事務所の中国人スタッフの共通言語は普通語だ。広東省出身者のほかに他省出身者が一緒に仕事するので普通語でないと会話が成り立たない。しかも同じ広東省であっても広州語、梅州語、潮州語などさまざまで、これらの地方言語間に互換性はほとんどない。同じ広東省出身でも方言によっては普通語で意志疎通を図るのである。

古代中国文明は黄河と長江流域を中心として栄えた。稲作、漢方医学、宗教、統治機構、戦術、儒教思想といったものが生まれた。厳寒の地に住み、氾濫を繰り返す大河とともに農業を営み、絶えず紛争に対処しなければならない緊張感。こうした厳しい環境がその地に住む人々の生活技術を高めたのであろう。

一方、気候が温暖で飢餓と無縁であるような南方は生活に必要な知恵や努力は北方と比べ少なくて済んだはずである。ある日、こうした南方地域の人々は陸路や海路でやって来た古代中国文明人に出会うことになる。稲作や畑作技術、そして医学などの実用的な知恵に出会い、それを習得したいと思ったに違いない。さて言葉である。こうした上層文化の伝播(でんぱ)は見よう見まねでは会得できない。医学や儒教思想が書かれた漢語文典を読むためには翻訳するしかない。しかし、翻訳しようにも地元言葉は文字を持たない口頭言語である。文字があったとしても新概念に該当する土地の言葉は存在しない。つまり、高度な技術や新発明は漢字ごと輸入するしかなかったのである。言語はまさに「文化と共に移動する」のである。

「漢字」とともに近隣地方に伝播し、知識層を中心に漢語が普及していった。日本は島国であるが故に、中国文明との出会い方が大陸各地に比べると緩慢だったのだろう。古来の大和言葉に外来の漢字を融合させる時間的余裕があったのである。漢字は万人が等しい理解を共有できる表意文字である。圧倒的な高度文明によってひとつになった現代中国が、その結節要素である漢語、共通言語としての普通語を強化したいと考えるのも至極当然のことなのである。

アモイは観光地としても人気のあるところ(2006年9月)

日本語ではカタカナ用語の氾濫が著しい。あまりに無遠慮に外来語をカタカナ表記した結果である。ローマ字を漢字で表現したとしても、漢字もまた外来語ではなかったか。日本は大和言葉をベースに表意文字「漢字」と表音文字「仮名(かな)」の巧みな使い分けにより、日本語を保持しながら外来文化を上手に輸入してきた。とは言うものの「マイコンピュータ」を「我的電脳」、「デスクトップ」を「卓面」と表記する中国語のパソコン画面を見る度に「やはりカタカナよりは漢字かなあ」と表意文字が持つ説得力の高さに感心してしまう。

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