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なぜ学の旅 台湾馬祖列島での再発見
(時事速報 「広州から見たベトナム」2011年7月13日を再編集したものです。)
広州から福建省の省都、福州市に飛び、そこからフェリーに乗って台湾の島、馬祖列島に赴いた。福州の馬尾埠頭で出国手続きを済ませ、50人乗りくらいの船に乗り、90分ほど揺られると馬祖の南竿島に着く。南竿島で台湾入境手続きを済ませ上陸した。南竿島は馬祖列島の主要な島のなかで最大の島であるが、それでもバイクで1時間も走れば1周できてしまうほどの大きさしかない。地図を眺めればすぐに分かるが、ここ馬祖列島とアモイ沖の金門島は台湾の島とは言え、台湾本島からはかなりの距離があり、むしろ中国大陸に近い。国共内戦の時に国民党軍がこれらの島に上陸し、共産軍と攻防を繰り広げた結果、島の防衛に成功し、台湾の島となった。その後も大陸からの攻撃に備え、馬祖列島や金門島は軍事要塞のように改造されていった。馬祖列島には多い時で約2万人の台湾軍兵士が駐留していたが、平和が訪れた現在では数千人にまでその数を減らしている(※あれから13年を経てむしろ緊張状態にある現在、馬祖がどうなっているのかは不明)。
北竿島での休日
南竿島の船着き場から漁船のようなボートで15分ほど行くと北竿島に渡ることができる。あらかじめ南竿島の観光案内所で聞いた民宿に電話すると15分くらいで宿のおやじさんが波止場まで車で迎えに来てくれた。港の駐輪場に停めてあるスクーターの鍵を渡し、「バイクでついておいで」と言う。民宿は海辺の切り立つ岩山の麓の20軒ほどの集落、斧壁村にあった。かつて漁業で栄えたが、漁法の近代化と流通の発達、島民人口の減少などで漁業は衰退した。この民宿は島を出た島民の家を改修したもので、花崗岩を積み上げただけの簡素な家屋を客室として使用していた。
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バイクにまたがり島内を駆け巡った。山道が多く、急こう配の坂道を走り、散在する斜陽な漁村を横に見ながら30分ほど走ると元の斧壁村に戻ってきた。今となっては島民の数よりも海の女神の方が多いのではないと思うくらい、至る所に天后宮(天妃宮)があった。昼食は島内一の繁華街と思われる集落で魚麺を食べた。魚の白身を麺に練り込んだ島の特産だという。付け合わせは紅麹を塗付けて唐揚げにしたアナゴだったが、いずれも絶品だった。島での2日間の食事は毎回店を変えつつこの組み合わせに悩殺され続けた。
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島内にはセブンイレブンが一軒だけある。当たり前のことだが、こんなに大陸に近いのにわざわざ台湾本島から物資を空輸している。若い兵士たちが休憩時間ともなるとここに集まり、セブンイレブンで弁当やお菓子を買い食いしている。兵士たちにとって、このコンビニは最大にして唯一の娯楽施設である。
絶壁の上に建つトーチカの横に立ち、海峡を見つめ、濃霧が立ち込める山間道をひた走り、疲れてはベンチに腰掛け、腹が減れば魚麺を食べる。波音をBGMに陳舜臣の「琉球の風」を読み返し、飽きたら再び無作為にバイクで野山を駆け巡った。夜の斧壁村の石垣テラスでミルクティを片手にカエルの合唱を聞きながらぼんやりと海を眺めていた。民宿の女将に「明日、日の出見られるかな」と聞くと、女将は「見られるよ。星が出てる」と言った。見上げると天空の漆黒の闇に北斗七星がゆらゆらと弱い光を明滅させていた。
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何もしない贅沢
翌朝、激しい雷雨で目が覚めた。外は既にぼんやりと明るくなっていた。木戸が暴風でガタガタと音を立て、大粒の雨が石垣や屋根をバチバチと打ち付けた。15年以上前になるがベトナムのハイフォンからポンコツ船に乗って渡ったカットバーという電気のない離島を思い出した。あの時も夜明けに暴風雨が瞬間的に吹き荒れ、寝ていた部屋の木戸が「バタン!」と開いて、雨風が室内に吹き込んできた。あわてて木戸を閉めて朝を待ったが、外がやけに明るくなったので木戸を開けると、雲ひとつない青空が広がっていた。島の天気は変わりやすい。
馬祖の離島で過ごした時間は、「何もないから何もしない」という贅沢なものだった。「何でもできるのに何もしない」時とは異なり、怠惰な一日を送ったことへの罪悪感はない。何もすることがないから何もしないという贅沢ではあったのだが、「退屈」であることに変わりはない。予定より半日早く島を離れ帰途に着いた。「何もしない」ことに対する自分の耐性が、昔よりもずいぶんと弱くなったことに気づかされた旅となった。
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