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なぜ学の旅 インドシナ難民

(時事速報 「広州から見たベトナム」2011年5月18日を再編集したものです)

1975年以前、ベトナムに在住する華僑は145万人だったが、終戦を迎えるころには137万人が国外へ脱出し、うち111万人が米国やカナダに、26万人が中国へ帰還したとされる。旧南ベトナムに住む華僑は共産化を恐れ、また宗教弾圧を逃れて南部に居住した人も多いだろうから、その多くが中国へ帰還せずに米国へ向かうことになったのも頷ける。75年以降、南北統一を果たしたベトナムは経済運営に行き詰まり多くの餓死者を出した。ベトナム北部にも華僑・華人が居住していたが、その多くもまた中国へ帰還していった。その数は戦後から1979年まで中越国境紛争までの4-5年間に20万人に達したとされる。 

こうした華僑難民が流れ込んだ中国は、広東省、福建省、広西チワン族自治区が主な受け入れ先となった。各地に「接待安置印支難民弁公室(インドシナ難民受入事務所)」が設置され、インドシナからの難民受け入れ業務にあたった。1978年春の広西チワン族自治区防城港市の東興ゲート(ベトナム側はモンカイ)には、約4,000人の難民が押し寄せた日もあったという。


向かい合う中越国境(モンカイ=東興)のベトナム側。国境副標1369番(2011年6月)
東興側の国境副標

難民の受け入れは中国華南地域で様々な社会問題を引き起こした。各地方政府は政府機構や企業、学校、事業単位、一般家庭を動員して難民への住居、食事、飲料水、医療を提供した。しかし、犯罪や地元住民とのもめ事も多く、難民を分散収容するのではなく、難民の集中居住地(中国語で「難民安置点」)を設置する政策に転換した。難民安置点は、華僑漁村、華僑農場などと呼ばれ、職業、学校、病院を備えた帰国華僑街を形成した。いうなれば、中国国内に華僑の移民街である「チャイナタウン」を作り出したのである。

 華僑農場の誕生
在外華僑の中国帰還は大きく3つの時期に分けられる。第1期は1950年代のマレーシアの英国植民地当局による排華政策の時期であり、第2期が1965年にインドネシアで発生した華僑弾圧(9.30事件)の時期であり、第3期が1970年代初から1980年頃までのベトナム、ラオス、カンボジアからのインドシナ難民の流入時期である。現在(2011年時点)、中国は全国で196ヵ所の難民安置点を有しており、うち華僑農場は広東(23カ所)、広西(22カ所)、福建(17カ所)、雲南(13カ所)など、華南地域を中心に84カ所が残っている。

広西チワン族自治区は、東南アジアへの航海路に近く、またベトナムと陸で接する地理的特性から、雲南省と並ぶ難民流入地点となった。また、華僑難民の多くは友人や親戚を頼りに本国帰還する。広東省を出身とする在外華僑・華人は2000万人ともいわれ、福建700万人、広西チワン族自治区260万人などが続く。

1990年時点で、広西チワン族自治区へ帰還した華僑は18万人にのぼり、最も古い時代では1907年の孫文による欽州、防城港、友誼関での武装蜂起に参加するために本国へ戻った華僑たちだったとされる。1960年代にインドネシアから帰還した華僑は2万人が広西チワン族自治区で受け入れられた。そして1970年代のインドシナ華僑難民では、同自治区国境ゲートから入国した22万人のうち10万人が同自治区内に定着したという。

北海市の僑港鎮は、華僑難民漁村として知られる。ここは主にベトナムで漁業を営んでいた華人を集め華僑漁業公社を設立したのが始まりで、1979年6月の設立時には7700人のベトナムからの帰国華僑が暮らしたという。また、南寧市郊外の「南寧-ASEAN経済開発区」は、1990年に造成された「南寧華僑投資区」を前身としている。また、南寧華僑投資区は1960年に設立された華僑農場の一部を利用して造成されている。この華僑農場設置当初は1万2000人超の華僑が居住したといい、現在でも8000人が居住している。

広西チワン族自治区沿海部の北海の小型漁船が浮かぶ海辺の朝(2009年1月)

このように、華僑農場が工業園区や開発区に姿を変えるか、もしくは一部を転用する例が各地でみられる。現在、帰還した華僑の多くは、生活支援を必要とするような危機的状況からは脱しており、社会生活は安定している。多くの華僑安置点は所期の目的を達成しその役割を終えつつあるのだろう。

 移民の複雑さについてはこれまでにも書いてきたが、一向にすっきりした解は得られない。知れば知るほど知らないことが増えていくような焦燥感すら覚える。その地に形成された移民街のほんの一部の個別事情がようやく分かっても、全容には依然モザイクがかかった状態である。あちらこちらの移民街を見て回ることで多少合点のいく解が見つかるのだが、それすらモザイクの目が少し細かくなり解像度が多少改善する程度である。見えてしまった以上さらに奥を見てみたいという興味が沸いてくる。何とも厄介なテーマに取りつかれたものである。

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