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人生は選択の連続である。その選択は恐怖からくるのか、愛なのか。
こんにちは。久しぶりのnote投稿になってしまいました。
シーライクスに入会して毎日の行動が変わり、今までの人生では流れにのって生きてきた私は最近「選択」することの難しさを感じています。
「自由な選択ができるように」と漠然と思いシーライクスに入会した私ですが、自由な選択の定義ってなんだろうと思い「自由」と「選択」について考えてみました。
「自由」って一体何者だと思いますか?
自由になりたくて仕事を辞める、自由になりたくて実家を出る、自由になりたいから、別れる
なんだか根底にネガティブなイメージが付きまとう気がするのは私だけでしょうか?
英語で「自由」はどのように訳されるのでしょうか?
英語の「Freedom フリーダム」と「Liberty リバティ」は、ともに自由と訳される。現在、この2つの語はほぼ同じ意味で用いられるが、その意味合いはいくらか異なっている。
フリーは古英語の「frēo」に由来する。これは古インドヨーロッパ語の「prijos」や「prēy-」、あるいは古ドイツ語の「frijaz」に起源をもち「好む、愛」の意味を持つ。一方でリバティはラテン語「liber」の「社会的・政治的に制約されていない」「負債を負っていない」という意味から、英語の「liberal(形:自由な)」や「liberty(名:自由)」の語源となった。
日本では往生楽土、楽市・楽座の語に見られるように、「楽」を「自由」という意味で使う用法があった。
私が先ほど例であげた自由の使い方は、「liberty」に近いのかもしれません。
「自由な人」って聞こえは良いけど、なんだかズルをしているように感じてしまうのは、みんなが我慢している社会的な制約や負債を追っていないからなのかな、と。
日本で使われるようになったという、「楽」=「自由」という発想はどうでしょうか?
楽市楽座は、織田信長の政策で、それまで「座」つまり商工業者や芸能者たちで結成された同業者組合のことです。この組合が実質「市」(=経済活動の場)を支配していたため、それらを廃止して自由に商売ができるようにした施策です。
こちらの「自由」の意味は、硬直したルールをなくした純粋な自由という印象を持ちます。
最後に「free」の自由。私はこの自由がこれからの時代に一番必要な自由だと感じました。
自由=好む・愛
一見するとなんだかしっくりこない気がします。
ここで、「選択」について考えてみます。
自由な選択とは
私が通った中学の校風が「自由」でした。生徒の自主性を重んじるためいわゆる”校則”というものがありませんでした。(実際は暗黙の了解的な感じでしたが)
しかし、この「暗黙の了解」が非常に厄介なんです。なぜなら規制や決まりがない上での自由って規定がないから。
「liberty」的自由なら、規制や校則、拘束からの自由というわかりやすい指標があるのですが、当時の私が通った中学校の校風のような「楽市楽座」的な「楽」の自由は、自由の指標がなく自由な選択の、選択するものがありません。
結局3年間向き合っても、(多分先輩たちも向き合ってるから3年以上)自由とはなんなのか結論が出ませんでした。
ヒトラーの恐怖政治からみる選択
先日、以前もnoteで紹介した「株式会社コテン」さんのヒトラーの歴史を聞いてふと、選択と自由について合致した気がしました。
当時国民がヒトラーに傾倒した理由は、時代背景的な恐怖からくるものだったということです。
国力が弱く、仕事がなく、食事もままならない、お金は紙くず同然の状況下で台頭したヒトラーは、その国民の恐怖を煽りまとめ上げてしまいます。
ヒトラーに賛同する理由=自身に降りかかる恐怖からの選択
悲しい結末はみなさんご存知ですよね。
つまり、マイナス感情によって選んだ行動は最終的な結果としてはうまくいかないのです。例えば転職においても、給料が低い、とか会社のこんなところが嫌、という理由だけで行動してしまうと、結果同じような理由で転職先でも嫌になりませんか?(私はなりました……)
もしその転職が、自分のやりたい分野の仕事だったり、憧れの人が働く会社、だったりしたら完璧な転職成功と言えなくても、満足できる結果になるのではないでしょうか?
この会社の〇〇という商品を愛している、憧れの〜〜さんの下で働いている。こんな社員がいる会社って成功しそうですよね。
その選択に愛はあるのか?
人生は選択の連続です。(by シェークスピア)
流れるように生きていては、選択する前に何も考えていなかったではもったいないと思います。
明日の朝食だって、パンケーキにするのかスコーンにするのかを真剣に考える。
めんどくさいからトーストでいいや、じゃなくて、この美味しい食パンを食べるために起きたんだ、レベルの選択力を磨けば人生がもっと豊かになるのでは、と思います。