コミュマネで自分なりのお節介を
2024年3月から「POOLO LIFE」でコミュニティマネージャー(以下、コミュマネ)の役割を担っている。
チャレンジするにあたって、まだ自分の中でうまく飲みきれていない問いがある。
コミュマネにチャレンジする思いを言語化したnoteを書いた中で、湧いてきた疑問。これをまだ上手く消化しきれていない気がする。
今回は、スタートして1ヶ月が経った今、何に自分は向き合いきれていなくて、消化しきれていないのかを言語化してみたい。
ほかのコミュマネメンバーの動きがすごい
そもそもなぜ消化しきれていない感に気づいたか。
それは、他のコミュマネメンバーの動きが素晴らしいからだ。
POOLO7期のコミュマネは全員で4人。
自分以外は女性で、二人は過去にもPOOLOでのコミュマネ経験もあるし、一人はオフラインでのコミュマネ業務も経験している。
女性だから〜なのかわからないけれど、細かな気づきや声掛けが本当にすごい。自分では見落としそうな気づきの掬い上げがあるし、こまめで丁寧なコメントが優しい。
それらの行為によって、コミュニティメンバーの背中を押すきっかけを作っているし、安心してコミュニティに参画し始めている雰囲気も感じる。
客観的に、それらのコミュマネの動きを見て、良い意味で「お節介」がめっちゃすごいと感じた。
自己紹介や1on1の促しはするし、課題のリマインドもまめで、メンバーの動きを観察して他のメンバーに繋げたりもする。手厚すぎるサポートに、すごい丁寧な対応だなと思った。
だが一方で、少しざわざわした。
丁寧すぎるコメントにメンバーが使命感を感じたりしないかなとか、背中を押す行為っておれからやったらおこがましくないんかなとか、それらの行為を見た上で、どこか自分はできなさそうとか、自分は難しいなと線引きをしてしまっていた。一応断っておくけど、否定的な意見を持ったとか、嫌な印象を受けたとかでは一切ない。
もちろん、コミュマネは4人いるからこそ、コミュマネ自身も個性を発揮して、自分らしくコミュニティに携わっていけば良いのかもしれない。でも、「すごいなあ〜」とどこか他人事で、自分に吸収しようとはしていない自分がいるのに気づいた。
お節介へのざわつき
「お節介」感への自分のざわざわ感を少し深ぼりしたい。
なんで、ざわざわするのか?
小さい頃、よくお節介していた。
小学校の頃は人に教えることが好きで、何でもやり方を人に教えていたし、勉強とかも教えていた気がする。妹に対しても、勝手に世話を焼いていた気もする。
お節介って何に対して思ってたか想像すると、自分の思い通りにしたかった時とか、なんとなく自分が上の立場にいて人に”教えてあげる”感を感じた時とか、「正しい」と自分が思った正義を全うするために人に寄り添った時とか、なんかそんな気がする。
お節介のイメージが、「自分の正しい・自分の思った通りのことを達成するために、人に働きかけて導こうとする行為」になっている気がする。
だから、『自己紹介や1on1の促しはするし、課題のリマインドもマメで、メンバーの動きを観察して他のメンバーに繋げたりもする。』行為に対して、メンバーをどうこうさせようとしている行為のように自分には映って、これらを”お節介”と捉えてしまっていたのかもしれない。
もう一つ深ぼりすると、「その人の行動の促しをする行為」への苦手意識がある気がする。
今まで、仕事で研修に携わってきた時もそうだし、セッションを通しての人との対話もそうだし、相手に対して「こうして欲しい」っていうこちらの意図や狙いを気づかせないようにしていたし、最早「こうして欲しい」と思うことすらなかった。てか、それが苦手だった。
なんでだろう。
確かにずっと、その人を直接こちらの思い通りに動かすような働きかけが苦手だった。どちらかというと、暗にこちらの意図や目的を伝え、そこから自分たちで考えて答えを導き出し、自分たちで考えて前に進んでもらうという形に設計することが多かった。
逆に、自分が動かされるような働きかけをされるのが苦手で、こうしたら良いんじゃない?ってアドバイスを受けても、素直にそれに従うことはなくて、自分で考えた上で自分の選択をしたって捉える場合がよくあった。
人へのコントロール感が苦手なのか?
人からのコントロール感も苦手なのか?
人から勧められて何かをやらされると感じる時、自分の意思が反映できない、自由が奪われたと感じる。主体性や裁量権が大事だと思っている。
つまり、「ざわざわ感」を感じていたのは、おれが主体的な感情や考えに従って生きていきたいと思っている人間が故に、対応や促しに対して敏感に、「コントロールされている感」を感じてしまう人間であり、対応や促しに対して超個人的に苦手意識を持ってしまっている。
だから、感じたことであると分かった。
※自分のこれまでの価値観とか、人間性が相まって、お節介の行為に対してざわざわ感を感じたということで、「お節介」の行為自体に否定的でネガティブな印象というわけではない。
メンバーに合わせての使い分け
ほかのコミュマネメンバーがお節介をしたいと思っている訳ないだろうし、メンバーをコントロールしようとしている訳ない。
また、メンバーによっての受け取り方の違いもあるんだろうと思う。
おれだったら、逆に「お節介だ」と感じてやる気をなくしてしまいそうな気がする。親から「宿題やったの??」と言われて、やる気がなくなる現象。
でも逆に、提案をくれたからこそ一歩踏み出せるメンバーもいるはず。自分からだと何を選んでいいのかわからない人もいると思う。そもそも提出期限を忘れてる人もいるかもしれないし、忙しすぎて課題に気づいていない人もいるかもしれない。
要するに、使い所をちゃんと観察して動く必要があるだろう。必要であれば、おれも丁寧な促しをするし、提案も必要になる。ただ、そのやり方を自分のオリジナルなやり方で表現したら良くて、自分らしくやっていったら良いんだと思った。
まとめると、メンバーの個性や特徴を観察してどのような接し方がコミュニティにとって最適だろうかを考えていくことがまず大事。そのメンバーに合った、コミュニケーションの取り方があるからね。
それと、コミュマネの中でも役割があるだろうということ。丁寧な促しやマメなコミュニケーションを、当たり前に対応できるコミュマネもいるだろうから、その中で自分はどんな関わり方ができるのかを考えるのは必要だろうな。
最後に、「お節介だとざわざわ感を感じてしまう自分」をもっと理解していきたい。何が原因で「ざわざわ感」を感じてしまうのだろうか、どこを乗り越えられていないのか。
今回のコミュマネを通して、より自分のことを深ぼっていけたら良いなと思う。人を観ながら、自分の理解度も上げていきたい。