挫折するまでやってみる年に
昨年は「散歩するように生きる」をテーマに、様々なことに手を出してやってみた。自分の感覚や意志を尊重して、やる・やらないを決めた年にした。すると、自分の生き方や本当にやりたいことが見えてきた。経験から自らをアップデートして、今後の指針を作ることができた良い年になった。昨年を振り返ったnoteはこちら▼
今年も良い一年間を送るために、どう過ごしていこうか、言葉にしていきたい。
「挫折するまでやってみる」
今年のテーマは「挫折」とした。昨年はこれから進む道をひたすら模索して”幅”を広げていたが、今年はやると決めたことに対しての”奥行き”や”厚み”を意識していきたい。
一般的に挫折と聞いて、どのように感じるだろうか。暗い、下向きな、絶望感の漂う言葉に聞こえる気がする。挫折の意味を調べてみると、やはりネガティブな要素が多かった。
しかし、ネガティブな意味の中に、「未来」や「今後」など先の将来も含んでいることがわかった。挫折の持つ言葉の意味に自分の色を足すべく、二つの観点からテーマの意味を深ぼってみたい。
①「それなり」からの脱却
長年自分の中に在り続けていた課題である、「それなりで生きてしまう」ことにきちんと向き合いたい。
実は、最近コンプレックスだと気づいた。
大学、バイト、仕事、様々なことに、嫌味ではなくそれなりにできてしまう。器用であって要領が良い。だが裏を返せば、特筆したところがなく、熱中ができない。実は、今までの人生そんなことばかりである。学校のテストも、サッカー部時代も、受験勉強も、何をやっても「もう少し本気出せばできた」「もっと熱中すればよかった」とか、うんざりするほど何かしらに言い訳をしてしまう。今までの人生は「それなり」でやり過ごしていただけだった。
それなりの人生であると感じてしまった上で、どうするか。最近分かったのだが、熱中したり、本気になれないことに対して、熱中できるようになりたいとか、本気になりたいとかを思っているわけではない。
「なぜそれなりだと感じてしまうのだろうか」の理由を知りたい。まずはそこからだ。もしかしたら小さい頃からの何かトラウマがそう感じさせるのかもしれないし、生まれ持った自分の特徴なのかもしれない。熱中できていないと感じるのも、自分の熱中するスタイルが、ストレートに心の底から湧き上がってくるスタイルでないからかもしれない。だから、理由を知りたい。
そして、知るために、いつもはやらないことを日常的にチャレンジしたい。人と本気で意見のぶつかり合いをしたり、普段は言わない気になったことを口に出したり。
目的を持ったチャレンジを通じ、失敗を繰り返して挫折する。そこで生じる、自分の感情の揺れを認知して自分の中に取り込んでいきたい。
正直、怖い。が、自分の人生を生きる上で乗り越えたい課題だ。友達に「自分のスタンスの癖を知れる」とおすすめしてもらった下記の本を使って、自分の特性を客観的に捉えることも並行して行っていきたい。
②三年計画の2年目
2022年1月から2024年12月の三年間を、人生の基盤となる期間だと定めている。一年目の2022年はオンラインコミュニティのPOOLOに参加し、同世代の多様な価値観や幅の広い考え方に出会った。そして、自分自身に向き合って、やりたいことが見つかった年になった。
三年目を「チャンスを掴む年」にするべく、二年目の今年は、新しい環境で初めての挑戦を通じ、自分の可能性を少しでも広げていきたい。
やりたいことのバケットリストは別で発信していこうと思うが、少しだけ列挙しておく。まずは英語でコミュニケーションを取れるようになりたい。そして、noteやブログ、SNSやYouTube等を通じた発信も力を入れてやりたい。このように具体的に、今後の自分の生き方を発信する方法を身につけていく。それとは別軸で、一人の人としての厚みをつけるべく、音楽や芸術にも精通したい。
散歩するように生きた昨年は、少しずつ色々なことを摘んでいたが、今年はやることを選択して時間を使って取り組んでいきたい。選択し、やってみて、失敗し、次に繋げる。言葉だけでなく、行動と時間を伴って、チャレンジしたい。自ら取り組むことをして、悔しい、悲しいを実感する。
挑戦を通じて挫折する
まずは普段やったことのないことや普段やらないことを、とりあえずやってみたい。そしてやりたいと思っていることについては、自分で選択をして本気で取り組みたい。
総じて、挑戦をすること。そして、目的を持った、心のこもった挑戦をすることで「挫折」を味わう。挫折に対する心の揺れを認めて、「嫌だ」「嫌い」と思ったことを受け入れるのと、「悔しい」「悲しい」を実感したい。
去年一年間も予想のつかない年となった。今年もどうなるのか。この一年間もしっかり地に足つけて生きていきたい。