田舎在住にデジタルデトックスは意味があるのか、やってみた
6月18日、朝7時から夜7時までデジタルデトックス旅を実施した。
旅の条件としては、
●普段スマホにあるSNSやアプリに触れずに長期間過ごすこと
●自然の中に自分を持っていき普段と違う景色に触れること
●想いや感じたことをすぐに拾い上げるために、自分と向き合うこと
これらが大枠であり今回の旅の趣旨である。
さて、当日は友達がいる徳島県の牟岐(むぎ)町という田舎へ行くこととした。事前に携帯は使えないことはお伝えし、旅を開始した。
結果として感じたことは、大きく2点である。
○今の自分自身と繋がれる
○外向きの自分ではなく、内側の真の自分を感じられる
これらを感じた経緯をイメージしたり、旅中での出来事を理解していただくために、当日の動きを細かく文字に落としました。その過程から感じてもらえたら幸いです。
出発
朝8時半には淡路島を出発し、牟岐へ向かう。もちろんiPhoneは使えないので、Bluetoothで繋いで音楽をかけることもしていない。感じたのは、ワクワク。それはシンプルで、久しぶりに友達に会える高揚感。もちろん音楽のかかっていない中での運転は、静かで味気なく、そわそわとした雰囲気が漂っていた。
少し運転すると眠気が襲う。なんで眠気がするのか思考を巡らす。きっと朝ご飯を食べていないからだとSAで朝ご飯を食べていると、折角ならと思って彼へ淡路島のお土産を買っていった。お寺に住む彼にしたら煩悩の塊でしかない淡路島牛乳を使った「淡路島ロールケーキ」を。ご飯を食べると眠気はとび、景色に目を移せるようになっていた。街が、空が、海が、見える。
雨脚が強まるころ、僕はまた眠気に襲われていた。到着まで残り30分の距離となったとで、予定していた到着時間になっていた。連絡手段がなく、今できる事はなるべく早く着くしかないということもあり、死ぬ気で運転を急いだ。
眠気との戦いに勝ち、無事に到着すると彼が出迎えてくれた。安心した。見慣れた顔も久しぶりとなると嬉しい。会った瞬間にはいつもと同じ空気感に戻っていた。一通り彼の住んでいる環境を案内してもらった。そわそわと落ち着かず、情報として入ってくるものの、想いは別の所にいたような気がする。
また家の中に戻ると彼の家で飼っている雑種犬に吠えられ続けた。名前は「カンスケ」通称カンちゃん。カンちゃんはとてもビビりで、警戒していた。ふぅと息をつき、ゆっくりしているとコーヒーとお茶菓子を持ってきてくれた。気が利くなあ。コーヒーをたしなみながら、最近のことを話す。
「(会社辞めて)最近どう?」「楽しい?」「やりたいことできてる?」「いつも何しているの?」彼への興味関心が止まらない。彼の考え方が好きだし、面白いからだ。自分を常に持ち続けている。
「のすけさんは辞めないんですか?」ふいに投げられる。「おれは…」
タコパして散歩に行く
一通り団欒していくうちに『BEASTERS』と『ブルーピリオド』を読みふけっていた。漫画はすぐに入り込める、没頭できる。二人とも昼を食べていなかったのでスーパーへ行き、タコ・たこ焼き粉・紅ショウガ・キャベツ・卵を購入。今日はタコパ。男二人で50個ぐらいのたこ焼きを焼いていった。めっちゃおいしかった。なんかこうやって何かを囲んでみんなでつつく系の食事ってめっちゃ好きだなと思った。鍋・焼き肉・お好み焼きとかって、美味しいし楽しいし、好きだなあ。
たこ焼きを食べていると、カンちゃんが自分にかまってほしそうに泣いていた。理由は、夕方だからだった。「そろそろこの時間になるといつも散歩に連れて行ってて、それをわかってるんですよ~」賢いなあと思った。
さて、いよいよ散歩へ行く。ドキドキの対面。めっちゃ吠えられていたが受け入れられるのか。散歩へ行くと決まるとカンちゃんのテンションが爆上がりし、その場で跳ねまくっていた。玄関へ向かう。すると、初めはビビり散らしていたカンちゃんだったが、僕の匂いを嗅ぎ吠えなくなった。受け入れられた時、なぜかとても嬉しかった。赤ちゃんを抱っこして泣かれなかった時のような、純粋無垢なものに自分が受け入れられたことが良かった。
散歩はいつもコースが決まっているので、我が物顔でずんずん進んでいく。さっきまでのビビりなカンちゃんはどこへ行ったのだろう。ただ、なにか音がしたり、自分の中で嫌なものを見つけた時はとてもビビっていた。何かのトラウマでもあるのかな。ただ、全体を通して活き活きとしていた。散歩の時間を謳歌していた。自分(カンちゃん)が楽しみにしていたことだが、ちゃんとこれだけ楽しめているってすごいなと思った。
自分に置き換える。これだけ「今の時間」をずっと楽しみにして過ごせられることって最近あっただろうか。何か、期待だったり、リスクだったり、誰かとの比較、効率、考えていないだろうか。いや考えている、考えている上で、ちゃんと考えていることを自覚できていただろうか。
散歩から帰ると、雨上がりの道を歩いたせいで泥だらけになっていたカンちゃんはお風呂に連行されていた。お風呂に入れられているうちにたこ焼きの片付けと、帰る準備をする。お風呂からあがってもカンちゃんは覚えていてくれて、撫でることもできるようになったし、吠えられなくなった。とても嬉しかった。また会う時も覚えててくれていたらいいな。
帰りの車の中で
車に乗り込み、また今度会う約束をして帰る。もちろん帰りの車も音楽はなしで。家に向かうまでの山間の景色に、赤のようなオレンジのようなピンクと黄色と青と紫が混ざったような夕焼けがあった。とても綺麗だった。いつもならiPhoneを取り出して写真に納めているだろう景色を、今日は自分の目だけに焼き付ける。そういえば散歩の時もそうだが、今日は森の良さを感じた一日だったなと思う。海とは違い、静かでどっしりと構えている森はすべてを包み込む強さを感じた。
ふいに投げられた「のすけさんは辞めないんですか?」を反芻する。結論、辞めるだけのゆるぎない自分の中の主張がないという言い分のもと、辞めていない。辞めるのが正義であるとか、辞めたいけど一歩踏み出せないとかは思っていない。ただ、「ゆるぎない自分の中の主張」は、辞める辞めないにしろもう少し自分の中に持っていた方が良い気がしていた。持っていた方が良いというと、するべき感が出てしまうが、そういうわけではなく、「今自分はどうやって生きたいか?」という“今”からは目を背けない方が良いと思った。
たくさんのものが省略され、リアルじゃなくても簡単にオンラインで繋がりが生まれるようになった時代。便利になったために時間を持て余す。その時間をきちんと埋めようとネットやSNSの中を覗いたり、その中で自分を誇示したりする。少しの時間の中でのやれる選択肢が増えてしまったが故に、その時間の使い方の優先度が【コスパ】になってしまっていたことに気づいた。また同時に、時間の使い方から逆算した選択となっているが故に、今の本当の自分の感情や想い、主張に耳を傾けることがなくなっている事にも気づいた。
せわしない毎日の中で置き忘れてしまいがちな自分。誰かと何かで繋がり続ける中で創り出されてしまう外向きの自分。そんな自分もいるということを自覚できた旅だったと車の中で思った。
マインドフルネスと振り返り
家に着き、何も持たないまま海岸に向かった。今日は曇りで風も少し吹いていた。その中で少し目を瞑ってマインドフルネスをする。波の音、風の音、空気の温度感、湿度、タイルの冷たさ、感じているものを感じ、呼吸を整える。
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田舎在住だからと言って、普段からオフラインの生活ばかりかと言ったらそうではない。むしろ今の時代の中で、どんなに頑張っても勝手に繋がってしまうので、どこへ行っても同じことなんだろうと思う。
今回のデジタルデトックス旅は、
●自分の中の価値観をアップデートできる
●人や自然と繋がれる
●自分の好きな場所・環境を見つけられる
というものができるのではないかという仮説の基行っていたが、結果として感じたことは
○今の自分自身と繋がれる
○外向きの自分ではなく、内側の真の自分を感じられる
この2点になる。
外との繋がりが断たれたときに見つかる自分。それも、「今の自分」と「内側の真の自分」。じゃあ普段の自分は今の自分ではない、真の自分ではないのかというとそういうわけではない。未来を見据えてvisionを展開する自分もいれば、外向きに発信をしていく自分もいると思う。必要な視点としては、未来を見据える以前に“今”の自分もいること、外向きに形成していく以前に“内側の真”の自分もいるんだということ。
デジタルデトックスをすることで、丸裸にされる自分。都会だからとか田舎だからとか、関係なく全員に必要な時間だと思う。またやる時は、何人か友達と一緒に旅をして、本音で語らう旅とかできたら楽しいんじゃないかなと思う。
一緒にデジタルデトックスしてみませんか?