無駄、の、話
考えるだけ無駄、やるだけ無駄、みたいな事はよくありますよね。考えても解決しない、やっても自分の人生に何の役にも立たない、って思う事。
でも、人生を豊かにするものって大抵無駄から出来てるので、タチが悪いなと思います。
何か新しいものが生まれる時って、その始まりは絵空事で、だから、その瞬間は無駄だと思える事が、無駄で終わるとは限らないわけで。
あー、タチが悪い。
大学の時
英米学科に行ってましてね、私。でも英語、全然喋れないんです。英語力を向上させたい、というモチベーションがなかったんです。なんで英米学科に入ってん!とツッコミたくなると思うのですけど、ちゃんと理由はありますが、それはまた別の機会に。
なので、学費をドブに捨ててた、とよく言われました。留年もしました。
テストも200満点で9点取った事あります。9点ですよ!9点!逆に何を正解してん!となるレベルです。
授業中も、高校生か!ってくらい、よくボケて、みんなを笑わせようとしてましたので、教授達からも嫌われてまして、よく、『お前は何をしに来たんや』って言われてました。正論です。
例えば、ワザと遅刻して、
出席届けってのが、教卓の上にあるんですけど、教授にバレないように、匍匐前進で侵入して、出席届けを書いて、教卓の出席届け入れに入れて、また教授にバレないように、匍匐前進で教室から出て行く。
そら、嫌われます。
でも、一方で、みんなからは大学を一番満喫した男とも言われたりしまして、学科会の会長や学生自治会の会長にも選ばれたりしてました。
ある教授に言われた事
天理大学英米学科の長い歴史の中で、学科会長が留年したのは僕が初めてでしたので、留年が決まった4回生の終わりに教授たちにそれぞれ教授室に呼ばれまして、順番に延々と嫌味言われたり、怒られたりしたんですど、そんな中、唯一、私に理解があった教授が、
『青木君、やっちゃったねー。まぁ、留年するよね、あれじゃ。で、どうするの?』
『僕、大学辞めようと思うんです。芸人になろうと思ってまして、事務所も決まりましたし、そんな才能あるわけやないから、1年遅れたら、同年代に勝てないどころか追いつきもできへんので。それに、この4年間で、一生もんの友達も出来ましたし、学科会長、自治会長もやらせてもらって、人を知りましたし、勉強以外の事はいっぱい学ばせてもらったんで、充分です。』
『そうか、芸人になるのか。じゃあ、辞めてもいいかもね。君は友達や後輩からも信頼されてるようだし、課外活動においては歴代の英米学科の子達と比較しても最高に優秀だったから。ただ、勉強の方がお留守で教授達の信頼は得られなかったから、青木君は50点だよ。それでも辞める?ああ、勿論、君のことを理解できない教授達も50点だけどね。』
無駄な事はなくて、全部が繋がってる。
その教授の一言で、私は留年を決めました。なんでしょう、やはり、物事の表と裏を分け隔てなく見ている方の言葉は説得力があるだけでなく、乗せられます。勉強になりました。
で、事務所の活動を抑え気味にして。それからは授業のない日も、毎日のように、嫌われてた教授達の元に通って勉強しに行って、少しずつ信頼して貰えるようになって、卒論も沢山の教授の協力の元、チャップリンについて英語で論文を書きあげる事ができました。ABCFの評価の中のB評価でした。
私にすれば上出来です。
卒業式の日はドラマの撮影で、その恩師には会えませんでしたが、改めて、会いに来なさい、と連絡を頂いて、挨拶に行ったら、豪華なご飯を食べさせてくれました。
仕事、夢、恋愛の話を散々した後、教授の一言で辞めずに留年を選択したお陰で、とても充実した1年でした、と感謝を述べ、
『僕、何点になりました?』
『ああ……、51点だね。』
『低っ!!』
『でも、あの教授達よりは上だよ、おめでとう。あとの49点は、君がこれから無駄だと思う事に挑戦して取っていきなさい。』
『ちなみに教授は何点なんですか?』
『ま、99点だよ、君にも僕を抜くチャンスを残しとかないとね。』
無駄だと思う事、遠回りだと思う事への意識が変わった。
頭ではね、無駄だと思ってる事から生まれるものがある、とはわかっていたつもりですけど、それを、一番大切な一年と引き換えに実践した事で、なんと言いますか、体に染み込みましたね。
それから、出来ないとか、そもそも興味がないとか、そう思ってた事にも、時間を割けるようになりました。いっぱい恥をかきながら。
漫才やコントが上手くなりたかったわけなので、それ以外に時間を割くのは嫌でしたし、そもそも、脚本・演出・役者・映像製作・龍笛・花火・音響・MC・制作・イベントプロデュース、演劇講師などは好きじゃなかったのですが、まあ、でも、無駄だと思えるなら、無駄じゃなかった、にしないと、という事で、『お金頂けるとこまで頑張ったら無駄じゃなくなるよな…。』と、いう安直な考えのもと、必死に残りの49点を目指して、続けてると、不思議なもので、今のお仕事は、ほぼ、シナリオ、花火、演出、イベントプロデュース、映像製作、俳優でして、肝心の漫才を月に1回もやれてません。
ただ、以前より格段に漫才が上手くなってると思います。・・・多分。
で、繋がってるんだな、とも思います。
上を見上げては。
その教授は随分前に他界されたのですが、それ以来、僕は事あるごとに、上を見上げて、
『今、僕、何点ですか?』
と、聞くようになりました。
特に役者やってる時の出番前の袖、とか、演出やってる時の本番始まる前の客席では必ず見上げて聞きます。
『まあ、60点くらいだね。』と、言ってはりますわ。