自分が駄目な奴という事『は』知っている。
ええ、そうなんです、滑舌がめちゃくちゃ悪かったんですよ。いや、今も悪い方やと思いますけど。22,3の頃、MDにボケを録音してツッコむみたいなスタイルで、僕もピンネタをやっている時期があったんですけども、滑舌が悪すぎて、当日、ネタ中にMDから流れてくる自分のボケに『え?なんて?』って聞き返した事あるくらい酷かったんですよ。いや、ウケましたけどね。
まあ、ネタは滑舌悪いのも、多少なりとも味にできましたし、自分だけの問題で済みますし、言うても5分程の事ですし、マイクもありますから、さほど問題ではなかったんですけど。
でも、25歳の時、キャパ1000くらいの劇場で、お芝居に出る事になったんです。しかも準主役くらいの大きな役で。で、その芝居はピンマイクではなくて集音だったんですね。いよいよ、滑舌の悪さが多くの人に迷惑をかける事になるわけですよ。
案の定、稽古初日から、演出の方にも滑舌でダメ出しを受けるという論外のスタートを切りまして。芸人、しかも売れてもない芸人が畏れ多くも役者さんと同じ舞台に立たせて頂くわけですから、焦りまくりまして、『この滑舌も味になる』とか言って、何もしなかった自分を殺せるものなら殺したかったんですけど当時の科学では無理だったので、とにかく稽古中や空いてる時間に役者さんから教わった発声をしたり、早口言葉したり、口を揉みほぐしまくったり、と人事を尽くすんですけど、25年間慣れ親しんだ喋る癖と言いますか、口回りの筋肉と言いますか、口の形と言いますか、そう簡単に直せるもんじゃありません。しかも、稽古中は段取りやら考える事多いし、初めて役者さんとご一緒して緊張なんかもしておりましたから。
そこで考えるわけですよ。馬鹿なりに。あ、これは無意識に出来るようにならないと、と思い付くわけです。
で、やり始めたのが、日常生活で意識的に人と喋る機会を増やすんです。例えば、コンビニでレジに商品持っていった時なんかも『お願いします。』とか、『1000円でお願いします。』『ありがとう。』など、相手の顔を見て、はっきりと、舞台上で客席を意識して喋るようなイメージで。
通常より大きな声なので、店員さんは驚きますし、他のお客さんは怪訝な顔をします。
でも、そんな事どうでもいいんです。こちとら、論外のスタートを切っとるんですから!
他にも、普段、友達と話す時は勿論、エレベーターで乗り合わせた人、マンションの住人、飯屋の店員さんにはひたすらお勧め聞いたり、さらには、ナンパとかしてみたり、居酒屋で知らないグループに交じってネタをやらせてもらって、その後、やかましい店内で正確に言葉を伝える、などなど、とにかく、自然と滑舌良く喋れるようになるまで、日常のありとあらゆる場面で人と喋る回数を増やす努力をして、常に舞台上に立っているという意識で喋りました。
まあ、勿論、1,2か月やったところで、劇的な変化はしませんけど、稽古終盤では演出の方から、滑舌の事を言われる事はなかったと思います。
単純に諦めただけかもしれませんけど。。。
舞台終わってからも、ナンパ以外は続けましてね、滑舌マシになったよね、と、2年後くらいに、その演出の方に言われたように記憶してます。
でもですね、普段から意識して、無意識に出来るようになる、っていうメソッド(いや、メソッドとは言わない。)は、演出や講師なんかをするようになって、人生で何十年も付き合ってきた癖というものがいかに修正する事が難しいのか、という事を役者さんの演技を通して教えてもらってますし、さらに僕は自分が不器用であるという事を知っているので、未だに日常生活の中から意識的に変えて、自分の中に取り込むという手法はけっこう使っております。
癖はねぇ・・簡単じゃないですよねぇ・・。
勿論、最近、始めたランニングも痩せたいとか、鍛えたい、というのは付加価値で、一番の理由は、作品を創る上で、『毎回、自分を追い込み切れてない自分に幻滅する。』を繰り返してるので、それを変えるためのアプローチの一つだったりします。
いや、そんな事どうでもいいから追い込めよ!と思うでしょ?僕はね、常に音楽聴きながらボーっとしていたいんです。もう一日、それでもいいくらい。
だから、『俺は駄目な奴』という事を知ってはいるんです。
念には念を入れないと駄目なんです。