「青葉家のテーブル」松本壮史は青春という都市伝説を映像化させたら右に出るものはいないと確信。
松本壮史監督は映画というお伽話で、私たちそれぞれがそれぞれに抱えている「青春のわだかまり」を昇華させる。この手腕が見事すぎて「これは監督自身の青春への諦観の反動なんじゃないのか?」なんて勘ぐりたくなるくらい。
つい最近見た松本壮史×三浦直之コンビの傑作ドラマ「デリバリーお姉さんNEO」第3話に「青春って都市伝説だと思っていた」という「青春があったと浮かれた者」には両頬を打たれる様な、そして「青春って何?勢」にとっては首がもげそうになるくらいの激しい同意を催さざるを得ない名台詞があるのだが、この映画で松本壮史監督は「都市伝説の映像化」に成功している。
なんというか、ツチノコとビッグフットとネッシーが盆と正月に現れたぐらいの高揚感、青春って俺にもあったのかも!って思わせてくれる。(私に取っては幻影ですが)
前作(公開順は逆だが)「サマーフィルムにのって」を観た人には正直物足りないと思う。この映画に「サマーフィルムにのって」の様なエナジーの爆発はない。
けれども本作と近い時期に作成されたドラマ「お耳に合いましたら。」が本作と相似形だと感じ取れる瞬間がある様に、松本壮史監督の本来の作風はこちらなのではないだろうか。
一緒に仕事をした業界人から「人格者」「優しい人」と慕われる松本壮史監督だが、私はあの柔らかな風貌の下に隠された強い意志から目が離せない。
作品は紛れもなく監督の自己投影である。おそらく松本壮史監督はそことの闘いは徹底的に挑む人だ。
松本壮史は信用できる男だ。