落葉拾い~ある日の午後の日記〜いのちを考える
世間様がせわしないなか、すこしばかりの暇を頂きまして、またじっくりものを考えることに充てられることになりました。
季節は秋になりましたが寒暖差もあり、また今日は雨が降っていて、梅雨の日のような重さを持った湿った空気が体に覆いかぶさってくるようです。
そんな中でふと街路樹に目をやると、緑の色素を失い(空っぽになって)、地面に落ち始めていました。
木々を見て、Twitterにて闘病する方が亡くなった最期のツイートを拝見したのを思い出しました。人も木々もいつかは散りゆくものです。
生きていることについていくら考えても、答えは出ないものです。死の状態ではこれを考えられない、の対義的に生の所在を把握するしかないのかなと、たまに思います。
落ち葉に出会って写真を撮るとき、その葉の一枚に縁を感じることがありました。今日この日この時に出歩いていなければその一枚に巡り会ってはいないからです。
人の出会いもそうですね。
いま今日すれちがった誰かの人生はどんな彩りを持っているのでしょうか。
絵画のための絵の具は、混ぜ合わせると様々な色が生まれます。
人の色も混ぜ合わさって、街が彩られているような気がします。
雨、それぞれが持っている傘の色はそんなことを想起させてくれます。
今日はどんな景色を撮ろうか。
考えるうちに季節があっという間に色を変えてしまいそうです。
考えるに先んじて撮るのが写真なのでしょう。感性は待ってはくれないもの。
写真芸術とは、瞬間の中に情熱を込めることであるかと思いました。
まだこの時代に生きている予定ですが、
いつか来るその日の
「遺すもの」
があとの人たちへの善の遺産であって欲しいものだなと思いました。枯葉が次の芽ための養分となるように。
秋らしさが少し足りない日々ですが
寒暖差に気をつけて、ご自愛ください🍀
斑鳩入鹿