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上京してバンドを組むまで。1990年代⑩(LIVE IN しまむら)

Y君と初めてスタジオに入ることになった時、彼がKT君という幼なじみを連れてきた。

KT君は作曲家志望とのことで採譜のバイトをしているという。

だけど見た目はもろにヤンキーっぽくてスラッシュメタルが好きという謎の青年だった。

※90年代に青春を過ごした世代で小洒落たシーンとは無縁だった人ならわかると思うけれど、当時はまだパンクシーン、ハードコアシーンにもヤンキーファッションっぽい人がたまに居て、スパイキーヘアーのバンドの中に一人だけヤンキーっぽい髪型の人がいるバンドというのをたまに見かけたものだった。

※今も「心情はヤンキー」っていう人達はたくさんいるんだろうけど、みんな平均的にオシャレになっているからパッと見はわからない。昔の漫画に出てくるようなヤンキーファッションはウチの田舎のほうでもさすがに見かけなくなった。

KT君はギターはうまかったけれど、どうもノリが合わない。しまいにはスタジオでY君と口論をはじめる始末。

結局KT君はメンバーにならず、しばらく俺とY君の二人でスタジオに入っていた。

まだドラマーも見つからず、スタジオでやることと言えば「即興でギターをかき鳴らす」「歌詞も無いのに絶叫しまくる」「感極まってドラムセットにダイブする」といったことくらいしかしていなかった。(店員さんが様子を見に来たことも) 

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※画像はイメージです。

いま考えると全くもってどうしようもないんだけれど、真面目に言うと当時はいわゆるロック、パンクの曲という概念からも外れたくてそういうことをやっていた。

あとはお互いにどれだけ相手を笑わせられるか?ネタ出しのような雰囲気もあった。

バンドに入れ込む一方で俺と彼女のOさんはすれ違い気味になっていった。

Oさんは専門学校とバイトの両立で忙しい。

俺はせっかく組んだバンドを観に来てほしいし(しょうもないことしかしていないのに...)、できれば応援もしてほしい。(虫が良すぎるだろ)

いつしか塞げない溝のようなものができて、なんだかんだでフラれてしまった、、。

その時期に買ったCDやレコードは長いこと聴けなかった。

元はといえば彼女から紹介された縁ですっかり友達になったY君は俺を励ましてくれた。

EXTREME NOISE TERRORとKLFが共演した音源を聴かせてくれたり、うのせけんいち先生の漫画をプレゼントしてくれたのもY君だった。

そのY君とももう今は連絡が取れない。

特にケンカしたりとかそういうことがあったわけではない。

俺が船橋から練馬に引っ越してからも、Y君とは30代の前半くらいまではたまに会って一緒にライブを観に行ったりもしていたが、なんというか「生活」や「環境」が知らず知らずのうちにお互いを疎遠にしたのだと思う。

そんなことをいってもしょうがないけれど「大人ってつまらないな」と思ってしまう。

せめて少しでも面白くしたくて未だに音楽をやったり、こうした駄文を書いていたりしている。

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↑Y君、Oさん達と観に行った「稲毛海浜公園」での野外イベント。BEYONDS主催。最高のバンド、最高のシチュエーションだった!この時はお腹も全く出ていません。

※(見出しの写真)当時の練習テープを発掘。ラベルに書かれた内容からも馬鹿さ加減を感じる。

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