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バンドをやりたくて上京。そして性懲りも無く今も続けてる。1990年代〜編①(クレイジーなOK君)

前々回で上京後に初めて組んだバンドで初ライブを行ったことを書いた。  

そのバンド「ハニーハンター」はハードコアとグランジを半々にやっているような方向性だった。

何回かライブをするうちに知り合いも増えてきて高円寺20000V以外に、確か高円寺の北口にあったレイジーウェイズという名前のライブハウスにも出演する機会に恵まれた。

この時はハニーハンターではなく、ダンボール・バットのAさん、AA撲殺チェンソーロボトミーのメンバーの人達と組んだユニットでの出演。

カバーする選曲として上がったのがなぜかExplloited、KingCrimson、Sex Pistols。練習に入ったのは二回のみで半ばうろ覚えのまま好き勝手にアレンジして演奏した覚えがある。

俺もY君もたいして楽器は弾けやしなかったので先輩バンドの人達の胸を借りた感じだったけど、スタジオの時から楽しかったし、そのまともにやってない感じが良かったのか、その日の出演者の一つ「HAWAII5.0」というカッコいいバンドの人たちに話しかけられ、仲良くなることができた。

※ちなみにこのHAWAII5.0のリーダーの石原君はのちにサーファーズ オブ ロマンチカに加入したり、lost frog productionというレーベル(今でも毎月配信リリースをして勢力的に動いている。俺の宅録ソロ名義での作品もリリースしてくれた)を立ち上げたりする。ギターのきん君はその後俺とThe Weekenderというパンクバンドを結成したりしてその後も長い付き合いが続いているし、ドラムのジューシー君、ベースのトーヤン君とは最近は会っていないが、ジューシー君とはハニーハンターの後に始めたバンドを一緒にやるし、ベースのトーヤン君とも後にスタジオに入ったりライブを観に行ったりと、HAWAII5.0だった人達とは縁があるな〜と思っている。

話を元に戻そう。

ハニーハンターはスリーピース編成だったが、もっと音を厚くしてよりぶっ壊れた音楽性にしたかった。

正統派なロックバンドの形式から離れることで逆にロックンロールのクレイジーな本質に近づいて行くということをしたかった。(口で言うのは簡単)

そこで高校の同級生で前にもスタジオに入ったことのあるOK君をメンバーに誘ってみることにした。

OK君は不良とかそういう感じでもなく、どちらかというと真面目で性格的にカタいところもあり、高校卒業後はきちんと就職もして会社員をしていたが、どこか人格がぶっ飛んでいてとにかく酒グセがめちゃくちゃに悪かった。

高校の時もみんなで飲んでいる時にいきなりウチの実家のコタツを破壊しだしたり、普段はシャイな感じなのに一度酒が入ると初対面の人にも平気で失礼な態度を取ってしまったりするような困った人物だった。

ちなみにOK君はなかなかの男前だったが、眉毛が劇画の様に妙にくっきりとして上を向いており他の友達には「OKの眉は※Let'sダチ公みてーだな!」と言われていた。

※当時、週刊少年チャンピオンで連載していたツッパリ漫画。登場人物の眉毛の描写に特徴あり。

OK君は当時、川崎に住んでいて俺が住んでいた船橋市からは遠かったが同級生のよしみでたまに遊んだり一緒にライブを観に行ったりしていた。

酒癖の悪さには閉口していたが、そこまで酔っていない状態の時はただの気の良い青年だった。(そういう俺も酔って記憶を無くした時に一度OK君を殴ったことがあるらしい。※グダグダのパンチで全然痛くなかったとのこと笑)

OK君を迎えての初スタジオの時も彼は到着時すでにかなり飲んでいた。

ちなみにOK君は楽器は一切弾けない。

だけど高校生の時には初期のPCを使って一曲オリジナル曲を作っていたりと妙な才能もあった。

担当はあえてVo &Gにした。彼のクレイジーなところを全面に打ち出したかったからだ。

初スタジオではOK君の酔っ払いぶりに他のメンバーがキレやしないかとヒヤヒヤしたのを覚えている。

新編成での初ライブは下北沢屋根裏でのオーディションだった。 

対バンはケミカルウォッシュの上下を着たよくわからないハードロッカー気取りのバンドで、正直「なんでこんなやつらと一緒にオーディションを受けなきゃならないんだよ!」と思ってしまった。

そのバンドがステージにあがって開口一番「レディース&ジェントルメ〜ン!」とMCをかました時には失礼だが爆笑してしまった。

ウチらの出番。

客席のほうから火薬で音が鳴るピストルを鳴らしながら登場。(もちろん嫌がらせで)

全員酔っ払っていたが、中でもOK君はウイスキーのポケットボトルをガンガン飲んでいて(若者が飲む酒じゃないよな...)一番メートルを上げていた。

ライブ中は曲間にベースやギターを軸にしてぐるぐる回って全員でぶっ倒れてみたりと(お笑い番組でわざと目を回したい時にやるやつ)、明らかに間違ったステージングに進んでいた俺たち。

ライブ終了後、OK君のギターの弦は全てぶっちぎれていた。(もちろんコードも押さえられないしアンプのセッティングもできない。他のメンバーの演奏にひたすら雑音を重ねていただけ)

そんな酷い状態だったが何故か屋根裏のスタッフにはウケてしまい「早速ブッキングさせてください!」と言われてびっくりした笑。

それなのに実はハニーハンターはこの時点でもう解散が決まっていた。

だったらオーディションなんか受けるなよ!って話だけど当時はとにかく目の前の退屈がしのげればそれで良かったのかもしれない。(この時の演奏は録音しておけば良かった...)

メンバーのうち俺とY君はすでに新しいバンドを結成することを考えていた。そのための解散でもあった。

次に組むバンドではロックやパンクといったものの約束事からさらに離れたことをやりたかった。

そして上京してもう何回目かわからないメンバー募集を懲りずに音楽雑誌に投稿するのであった。

「追伸」ちなみにOK君とはもう20年位会っていない。やはりというか酒の上で頭にきたことがあり俺のほうから遠ざかってしまった。自身も経験した今だからわかるけれど、OK君はまた俺とは違ったタイプのアルコール依存症だったんだと思う。

友達のつてを辿れば再会もできそうなんだけど、もし昔のままだったら、、と思うと複雑な気持ちがして未だに会えてはいない。

とりあえず生きてはいるらしい。

俺がとやかく言うことではないが、身体のためにもできれば酒をやめていてほしいなと思っている。

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※↑当時21、22歳位。なんかちょっと生意気そうだな。着ているロンズデールのTシャツはパチ物だったことが後に判明する。

※見出しの写真。ある年の正月、帰省したら玄関にこの「辰ちゃん漬の等身大パネル」が置いてあった。母親がパート先からもらってきたらしい。こちらも取っておけばよかったな〜。


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